幕引きの開幕
ベンズの村は発展が遅れていたところもあったが、一方で
原っぱでは村の子供たちが球蹴りをして遊んでいて、私は彼らの輪に入れずに輪の外から彼らを眺めていた。
風が吹いて私の髪が凪いだ。母譲りで赤みがかっているものの、基本は父の血のせいで真っ黒な髪だった。
子供の一人が蹴り損ねて、球蹴りの球が私のところまで転がってきた。
私がそのボールを拾おうとすると、「さわんなよ雑種!」と球を追いかけてきた子供が叫んだ。
私は何も言えずに、球の横で立ちすくんだ。
子供はボールを拾うと、私を敢えて見ないようにして子供たちの輪の中に戻っていった。
私は他の子と違う耳を引っ張って上に持ち上げようとした。そうすれば、耳が少しでも皆に近づけると思ったからだ。
「……クロウっ」
後ろから心を溶かすような聴き心地のいい声がした。
「……あ、×××」
振り返ると、そこには銀髪をなびかせた美しいエルフがいた。
「どうしたの? みんなと遊ばないのかい?」
エルフは不思議そうに私を見ていたが、すぐに私が子供たちの輪に入れないことを察して、何も言わずに私の隣に座った。
「……ねぇ、×××」
「なぁに、クロウ?」
「……私の耳って、変かな」
「そんなことないよ。君にはその耳が似合ってるさ」
「……ありがとう」
私たちはしばらく遊んでいる子供たちを眺めていた。たったひとり隣に座っているだけだったけど、隣の少年の存在が私に孤独を忘れさせていた。
「……クロウ」
「なぁに? ×××」
「君の……その体を恥ずかしく思うことなんてないよ」
「でも……みんなより歳をとるのは遅いし、×××より歳をとるのは早いから。きっとずっとひとりぼっちだよ」
「そんなことないっ」
「え?」
「それは……ぼくがずっとクロウのそばにいるからさっ」
彼はそう言ってくれているけれど、私には慰めにはならなかった。ただでさえフェルプールと相容れないのに、エルフに受け入れられるとは思えなかった。
私の様子を察した×××が、思い切ったように言う。
「ねぇ、クロウ。君、ぼくのお嫁さんになりなよっ」
褐色の肌が真っ赤になっていた。
「え? でも……わたし貴方より早く死んじゃうよ?」
「そりゃあ、ぼくはエルフだからね。人間だってフェルプールだってぼくらより寿命は短いよ」
「だったら……。」
「かまわないさ。ぼくはいつまでも君だけを想って生きるから」
「私がおばあちゃんになっても、×××は若いままなのに?」
「それでもさっ」
自信に満ち溢れた笑顔だった。根拠もないのに、その笑顔は私を安心させた。
「クロウ、目を閉じててっ」
私は彼に言われるままに目を閉じる。しばらくすると、彼が指に触れているのが分かった。
「なにしてるの?」
「まだ開けちゃダメだよっ」
左手の薬指に何かが巻かれていると思っていると、×××が「いいよっ」と言った。
目を開けると、薬指には野花で作られた指輪がはめてあった。白く小さな花が、宝石のように指輪の上に乗っていた。
「約束だよ、クロウ。君が大きくなるころには、世界で一番綺麗な宝石で作った指輪をはめてあげる」
私は薬指を撫でながら目頭を熱くした。
「うん、分かった」
彼の力強い言葉は、私にとって信じるに値するものだった。
目を覚ますと、私は実家のベッドにいた。
体はしっかりと、手当をしてある。服は……着替えさせられているな。
私はベッドから起き上がった。窓の外は昼の太陽が登っていた。どうやらあれから一日中寝ていたらしい。そしてまた……妙な夢を見ていたようだ。
寝室のドアが開いた。私は思わず部屋の隅にあった刀を手にとった。
「……目を覚ましましたか」入ってきたのはロルフだった。「どこか……痛むところはありませんか?」
「……お前さんが看病を?」
「ええ、そうですけど……剣を置いてくれませんか?」
私はシャツを引っ張って言う。「眠ってる女の服を脱がせるような奴を警戒するなと?」
ロルフは苦笑して首を振った。
「申し訳ありませんでした。ただ、信じて欲しいのは、やましい気持ちは決してなかったという事です。貴女を助けたい一心でした」
「……かもしれないね」
私はベッドの横の椅子に座った。建付の悪い椅子がギシリと音を立てた。
「それで……。」私は言った。「お前さん、どういうつもりで私を助けたんだい?」
ロランは水の張った洗面器を扉の横の棚に置き、扉にもたれ掛かった。そうされると私が出ていけないのだが。
「ゴブリン達は、ぼくの屋敷で暴れ大きな被害を出しました。なので、彼らをこの領内から一掃するのは民心の安定のため、早急のぼくの仕事だったんです。たまたまあそこにいた貴女を助けたのは、我がヘルメス領の者ならば、種族階級問わず、誰でも分け隔てなく接するのがぼくのモットーだからです。父の時代とは違います」
「父君とは違うと?」
「そうです。父はエルフと貴族の繁栄しか考えていませんでした。それ以外は、自分たちを支えるための道具でしかなかったんです。そのくせ古い慣習には捕らわれ、自分たちが理解できない者は尽く排除していきました。異文化への嫌悪、異教徒への攻撃、異なる階級間での結婚や異種族間を否定していました、そして同性の恋愛も……。どうしたんですか?」
どうやら私は知らない間にニヤケ顔になっていたらしい。
「いや、失礼。どうしてもおかしくなってしまってな」
「そうですか? ぼくは自分自身に恥じることなどどこにもありませんが」
「……そういえば、お前さんは以前、ヘルメス侯の前でも同じことを言っていたな」
「……何を仰ってるんです?」
「しばらく見ないあいだに、随分と男らしくなったじゃないか。いや、男そのものになったらしいな」
私はほんの一瞬、息を止めるように彼を見つめた。
「生きてたんだな、ロラン」
ロルフはしばらく私を見つめた後、微笑んで肩をすくめた。
「……もしかして、最初から分かってたのかい?」
「いや、そうかもと思ったのはつい最近だ。何より、私はお前さんの事をどう処理すればいいか分からなかった。死んでるにしても生きてるにしても、ね」
「……確かに、君を振り回してしまったかもしれない。けれど喜んでよ、ぼくはしっかり生きてたんだ。この顔にもだんだん慣れてきたしね」とロランは顎を撫でた。
「しっかり?」
「あ、ごめん……。でも分かって欲しいんだ。ぼくだって、君を傷つけないように、あれこれ気を回したんだよ。君が出ていくよう周りに頼んだし、役人にだって不審に思われない限り手を回してたんだ。……なのに、君ときたら」
「出ていくどころかここに戻って、いろいろ嗅ぎ回ったりね」
「君がほんの少しの間ここを出ていってくれてれば、ここまで難しくはならなかったのに」
「……私がどういう思いでここに残ってたと?」
「それは……。ごめん」
私は答えづらそうにしているロランを無視して身支度を始めた。ジーンズをはいてベルトを締め、革のジャケットを羽織った。
「やっぱり怒っているよね」
私は微笑んで肩をすくめた。
ロランはやきもきしながらため息をついた。「他にやりようがなかったんだよっ。君だって見ただろう? 父上のあの傲慢さをっ。ああでもしなければ父を権力の座から引きずり落とすことはできなかったし、ぼくも男の体を手に入れなければ後継者には結局なれなかったんだっ」
「……だろうね」
「じゃあ、だったら……どうしてそんな目で君はぼくを見るんだい? まるで、君はぼくを軽蔑してるみたいだ」
「ロラン……。お前さんが自分の理想のために生きることを私は否定しないよ。だがね、あまりにも犠牲になった者が多すぎるんじゃないか?」
「それは……。」
「それに、あのゴブリン達だってそうなんじゃないのか? あいつらだって、お前さんの手の内にあったんだろう?」
「……ああ」ロランは目をそらした。「試練の後に、ラクタリスを彼らに明け渡して自治区にする約束を持ちかけたんだ。彼らにとっては夢にも思えなかった故郷への帰還に喜んでたよ」
「大した役者だな、あのゴブリンは。ハッタリにまんまと乗せられた」
「面白いゴブリンだったよ。ぼくが教えたことをまるで自分の体験談のように話すんだ。自分でもホントか嘘か分かってないんじゃないかってくらい。多分、優れた役者ってのはああいうところがあるんだろうね。……どうしたの?」
「お前さん、本当にゴブリンたちにあそこを明け渡すつもりだったのか」
「もちろん……だよ?」
「こうなる事が分かってたんじゃないのか? それにお前さん、狼の口に私を放り込んだな? 差し出す約束をしたのはラクタリスだけじゃなかったんだろ」
「……彼らはゴブリンだ。いずれは問題を起こしてた」
「それが奴らの悲願や信念を利用して良い理由か?」
「彼らは君のことも狙ってたんだぞ? いや、途中から完全に彼らの目的は勇者の子供の君になってた。君を守るためでもあったんだよ」
「ああ、それには感謝をしているよ。おかげでこれからは枕を高くして眠れる」
「じゃあだったらどうして……。」
「例え命を狙われた相手でも、そこまで良いように利用されてるとあっちゃあ気の毒で仕方ないよ」私は煙草をシガレットホルダーに挟んで火をつけた。そして一吸いしてから言う。「タバサ、ロルフ、賢者の爺さん、それにゴブリン……お前さんは自分の理想のため、
「……出来るだけ救おうとした。出来るだけ傷つく人がいないように頑張ったよ。特に君はぼくにとって大切な人だったんだ。誰にも指一本触れてほしくなかった。ぼくだって辛かったんだ。分かってよ、クロウ」
「大丈夫、分かってるさロラン」
「なら、どうして君はそんな目でぼくを見るんだい?」
「別に、何も思うことはないさ」
「嘘だ」
「本当さ。まったくもってお前さんに対しては何の感情もないんだ」
「……どういう意味だい」
「結局ロラン、お前さんはそういう奴だったってことだよ。確かにお前さんのその宿命に屈することを拒んだ目には惹かれるものがあった。そしてお前さんは自分の宿命に屈することを拒んで、それを支配できるようになったのかもしれない。だがお前さんは自分の宿命を支配した途端、人の宿命も支配できると思い上がったんだよ。あらゆるものを利用して踏みにじって自分の我を通したのさ。世の中にはそういう奴だっているだろうし、だからこそ成功した奴もいるだろう。だがね、私はそういうものには興味がないんだ。情愛も友情も
「そんな言い方……。」
「自覚がないのがよりたちが悪い」
ロランは暫く黙っていた。しかしそれは、自責の念が芽生えたからということでもなかったようだった。
「……何て言ったらいいのかな。説明しづらいんだけど……確かに彼らは今回はこうなってしまったけれど、別の回では上手くやってるんだ」
「……何の話をしてるんだ?」
「君も、ぼくの周りを調べてた時に気になってたんじゃないかい? ぼくが君に語ったぼくの過去と、君自身が調べるぼくの過去に違いがあるって。けれどぼくは嘘をついてるわけじゃなかったんだ。実際、君に話したのはぼくが体験したものなんだからね」
私はロランの話を黙って聞いていた。
「ソニアさんの所に行った時のこと覚えてるかな? 特に君が気にしていた“リセット”という転生者の祝福のことなんだけど、あれは正確に言うと、一旦死んでしまった後に、また一からやり直せる力のことなんだ。ぼくは最初この世界に来た時に失敗してしまって、今は二度目をやり直してる最中なんだ」
私は黙ってこそはいたが、これまでのことに考えをめぐらせていた。兄と入れ替わったロラン、タバサの語る過去、前世から出会っていたかのような二人、外法を使用できる才能、覚えの早い子供、強運、魅了……私の思い出の断片に現れ始めたエルフ。その可能性は否定していた。否定したかった。
「すごいね君は……。」ロランは感心するように言った。「その顔だとこれもどうやら察してたのかい」
「ああ、そうだね……。」
すべて彼の手の内だったというわけか。始まりから終わりまでどころか、始まるずっと前からも。
「お前さん、転生者だな」
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