閑話休題

    ―――――――――――――――――――――


 さて、随分と長くなったがここまでが事の顛末になる。そして今、私はまさにゴブリン達に処刑される寸前というわけだ。整理がついた、話を本筋に戻そう。


 ゴブリン達は、私をブナの木に吊るしたいようだが様子がおかしかった。口々に何かを言い合い、デカい一匹が弱そうな一匹を殴っていた。

 ああ、なるほど。どうやら、木の枝にロープをくくりつけたのはいいが、先に私を持ち上げなければならないことを失念していたらしい。しかも、既に私の足首には牛に繋がれた縄がくくりつけてある。こいつらが馬鹿で助かった。

 ゴブリンの頭が呆れて手下に何かを命令した後、その手下が木に登り始めた。どうやら長さを調整するらしい。

「しょうがねぇな。少し待ってろぉ」ゴブリンの頭が私を見て言う。「なぁ、アンタらは俺らゴブリンに心がないから冷酷で残虐な殺し方をすると思ってるんだろぉ」かしらは私を見て答えを聞こうとする。もちろん、私にはさるつぐわがあるので返事をしようもない。「だがなぁ、それは違うんだなぁ。俺たちにはなぁ、一種の信仰があるんだよ。罪人を苦しませれば苦しませるほど、そいつの体の中に巣食った邪悪なモノを追い出せるって信じてるのさぁ。悲鳴や嗚咽と共になぁ。つまりぃ、俺たちは親切心でやってやってんだよ」

 ロープの調整が終わると、かしらは冬が終わり春を告げる眩しい太陽を見上げるようにうっとりとした顔をしてロープロ見上げ、そして一言「吊るせ」、と手下に命じた。人を殺す指図とは思えない優しい言い方だった。

 ほんの少し延命はあったが、結局私は首をくくられることになった。大柄なゴブリンに抱えられて頭を輪っかに通され、首が締まってすぐに呼吸ができなくなった。呼吸ができないことよりも、気道と食道が圧迫される苦痛で私は釣り上げられた鮭のように暴れまわった。しかしそれも時間の問題だ。

 私は走馬灯のようにこれまで関わってきた人々のことを考えていた。かつて愛し合い、最期はゴブリンの慰みものになった男。叶わぬ愛のために身を投げた女。隠居生活から駆り出され、そしてすぐに亡くなった老人。

 彼らはどこに行ったのだろうか。いるべきところにいるのだろうか。せめて、安らかな場所にいて欲しいものだが……。

 目の前が急激に暗くなり、耳の奥で濡れた布でガラス瓶をこするような独特な音がした。頭中の血が行き場を失った音なのかもしれない。さて、頃合いだ。ロープが引かれるとともに幕が下りる。皆様方、どうか舞台の閉幕時には万雷の拍手を。


 そう思った時、私の体は重さを失った。そして次の瞬間に尻に激痛が走った。地面に落ちたのだ。見上げると、木の真ん中に矢が刺さっていた。どうやら、矢がロープを切断したらしい。

 叫び声と共に一斉にゴブリンに何かが襲いかかっていた。まず見えたのは人が乗っている馬。嘘から出た真か、どうやら援軍が来てくれたようだった。しかも役人ではなく、ヘルメス侯のお抱えの兵隊たちだった。そして馬の他に大鹿も暴れまわっていた。鹿に乗っているのはフェルプールだった。目立つ薄いブルーのスーツにフェルト帽、ディアゴスティーノの姿もあった。何とも賑やかな機械仕掛けの神様たちだ。

 ゴブリンの頭は何かを喚いて訴えた後、手下たちにここから逃げるように命じたようだった。しかし、兵士の一人が射った矢がかしらの足に刺さり、かしらはその場で転んで倒れていた。形勢逆転のようだ。またもや、ルールを守るということすら共有していない奴の介入だ。


「……大丈夫ですか」

 騒動を眺めていたら、部隊を率いていた若いエルフが私の前に歩み寄ってきた。白く輝くプレートメイルに身を包み、透き通るような白い肌と絹糸のような繊細な金髪の男は、物語の主人公のような気風を漂わせていた。

「始め……まして。ぼくはロルフ・ヘルメスと申します。貴女は……クロウさんですね?」と、男は伺うように言った。

 私はもごもごと、くぐもった声で答えた。

「ああ、すいませんっ」

 男は私の口からさるぐつわを解き、そして後ろに回って縄を解きながら自己紹介の続きを始めた。「……改めてご紹介させていただきます、クロウさん。ぼくはロルフ・ヘルメスです。多分、妹からぼくの事を聞いてるんじゃないでしょうか?」

「……ああ、察しの通りだが……お前さんはどこで私の事を?」

「え? えっと……。」慌てたせいで、ロルフの縄を解く手が止まった。「ああ、そうそう。ウォレスから聞いたのですよ。そうです」

「……ウォレスか。先の騒動で亡くなったと聞いたよ」

「……ええ」

 話しているうちに私を縛っていた縄が解けたが、私は散々ゴブリンに痛めつけられたせいで動くことができなかった。

「ご自宅まで送りますよ」

「大丈夫だよ。放っておいてくれ。そのうち歩けるようになったら自力で帰るさ」

「そいういうわけにも行きませんっ」

 私は彼を無視して一人で立ち上がろうとした。無理をしていたんじゃなく、なぜかこの男が怖かったのだ。友好と好意の眼差しが、今にも私の体の芯に刺さりそうだった。木を背にしてようやく立ち上がったが、関節の節々と共に私も悲鳴を上げてしまった。

「やっぱり、無茶ですよっ」

 ロルフが私に肩を貸そうとしてきた。

「い、いいんだよ。ほっといてくれと……言ってるだろう……。」

 私はそのロルフの手を振りほどいた。けれど、すぐに体勢を崩し前のめりに倒れそうになってしまった。そんな私をロルフが受け止める。

「クロウさんっ」

「大丈夫だ……そこで休んでれば……すぐに歩けるようになる……。」

「駄目ですよ。こんなに傷ついた女性をひとりに何てしておけません。ぼくが安全なところにお連れします」

「や、やめろ……。」

 私は思わずロルフを見てしまった。見てしまったというのは、女としての本能なのか、彼と目を合わせてしまったら最後、彼に心の一部をからめ捕られると思ったからだ。そして予想通り、私はただでさえ意識が朦朧としている中、彼を見たことで深い昏睡状態に滑り落ちそうになった。めまいを起こしそうな程の美貌だった。彼の均整のとれた顔立ちに、目や鼻、耳に至るまでのひとつひとつが冗談のように綺麗で清潔だった。しかし、だからといって心が激しく乱れるというわけではなく、私の心は懐かしい故郷の風景を思い出すように穏やかになっていった。

「安心してください。ここにはもう、貴女に危害を加える者はいません」

 “安心してください”、初めて会った男の言葉だったが、その言葉は信じるに値するのだと、頭がいくら否定しようと心がそれを受け入れてしまった。そして受け入れてしまった途端、私は彼の胸の中で眠り落ちていった。きっとこれまでもこれからも、こんなにも安堵を恐ろしいと思うことはないだろう。


  ※※※


 ディアゴスティーノはロルフがクロウを抱きかかえて馬に乗せるのを見送ると、さてと、と木の根元で倒れているバクスターに歩み寄った。既に彼の仲間たちは逃げ去っていて、ここに残っているゴブリンはバクスターだけだった。

 バクスターは一瞬だけは忌々しそうにディアゴスティーノを睨んだものの、すぐにいつものふてぶてしい笑顔になった。しかし息は絶え絶えで、脂汗が額からにじみ出ていた。足首に貫通した矢が、バクスターの動きを封じ激痛を与えていた。

 ディアゴスティーノも微笑んで言う。「よぉオメェ、言わなかったかぁ? ウチのシマで好き勝手するんじゃあねぇぞって。これで三度目だぜぇ?」

「そうだっけかぁ?」

「ああそうさぁ。そして三度目は言わせんなよって念を押したはずだぜぇ」

 バクスターは苦しげに笑いながら首を振った。

「んでこうも付け加えたよなぁ? 三度言わせるってことは、そりゃあそいつがどうしようもない馬鹿かこっちの言うことを聞く気がねぇってことだってな」

「そぉおだっけなぁ?」

「そうさぁ」

「そぉかぁ?」

「そぉさぁ」

「そっかぁ」

「そぉうさぁ」

 笑い合うディアゴスティーノとバクスター。

 

 次の瞬間、ディアゴスティーノの顔面が憤怒で紅潮し手に隠し持っていたダガーで一切の遠慮も憐憫の欠片もなくバクスターの脳天にダガーを突き立てた。


「それにこうも言ったよなぁ! そん時ゃバラされるしかねぇってよぉ!」


 ダガーは脳天と柄がぶつかる程に深々と突き刺さっていた。死後痙攣だったのだろう、魔狼は口をわなわなと震わせ体をガクガク揺らしていた。その様は、自分の死が愉快で愉快でたまらなく、身をよじって笑っているようにも見えた。


「……カタぁ付けさせてもらったぜ」


 ディアゴスティーノは立ち上がって、クロウとロルフの去っていった方向を見ていた。


 ※※※

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