幻影対魔狼

 魔女の家を訪問してから二日後、私はベンズの実家まで帰ってきていた。何度も去ろうと思っていたのに、用事や後ろ髪を引かれることばかりが起こって結局まだこの生家に居座り続けている。そして今日もまた、この家は私に新しい厄介事を運んできた。部屋に入ってすぐに私の鼻を付いた殺気を呼び起こさせずにはいられない腐臭、キッチンのテーブルに手紙が置いてあった手紙、手紙には『あのエルフの事を知りたかったら、日没までにスカニア山にある山小屋に来い。ただし、一人でだ。もし約束が守られなければ、俺たちはすぐにでもこの国を出る。欲しい情報は永遠に手に入らない』と書かれていた。

 さて、おめおめと一人で行くべきかそれとも誰かを呼ぶべきか。もっとも、頼りにする人間など私にはいないのだから、選択のしようなどあるはずがない。私は近所の農家でロバを100ジルで借りて山小屋へと向かった。


 スカニアの山小屋というのは、木こり達が伐採した木を木材に加工して、さらにそれを運送用の馬車が来るまで保管するための場所だ。大型の馬車が通るためにそこに至るまでの道は広く、小屋とはいうものの二階建てでそこそ大きい建物だ。この森で植林されているヒノキは、夏には水分を多く含むため今は伐採時期ではない。なので山小屋には人気ひとけがないはずだ。仮にあるとしても、管理の老人が清掃や設備に不具合がないか点検するため、たまに訪れる程度だろう。

 私が山小屋近づくと、やはり鼻は奴らの臭いを嗅ぎとった。死を好み、死に親しむゴブリンの臭いだ。私は奴らの匂いが濃くなるにつれ、恐怖よりも自暴自棄に近い気持ちになっていった。まったく、以前私がロランに言ったことじゃあないか。命を賭けるのと捨て身なのは違うと。


 建物に入ると、すぐに作業用の広場が目前に広がった。重い木材を移動させる必要があるので建物に床はなく、地面がまるで石畳のように硬く固められていた。壁の上には換気用の窓があり、そこから射し込んだ光は室内を反射して、私の猫目には十分なほど明るかった。

 耳も鼻も目も十分に働く。私は無意味なかくれんぼに辟易して言った。

「出てこいよ。隠れても無駄だ。大人数でたったひとりの女にビビってるのか?」

 私が広場の真ん中で大声を上げると、木材や設備の陰からゴブリンたちが一匹、また一匹と顔を出した。当たり前だが、どいつもこいつも随分と余裕をかました顔をしている。


「まさか言われた通りひとりで来るとはなぁ」

 廃材を重ねた山の上にゴブリンの頭がいた。体も大きくないにもかかわらずやたら存在感が目立つゴブリンだったので、声を上げる前から視線は奴を向いていた。

「余裕じゃあないか? それともぉ、ゴブリン程度ならひとりでも十分だと思ったかぁ。だとしたら随分とナメてくれるじゃねぇか」

「そんなことはないさ。流石に女ひとりじゃあ心細いんでね。もう少ししたら、役人や兵士が大挙してくる手はずになってる。そうだなぁ……ゴブリンを一掃したいと言っていたから、それこそ武装した兵士が百人は来るんじゃないか? 何てったってヘルメス侯の令嬢を殺して、屋敷で暴れたゴブリンだからな。それはそれはたいそうな恨みを買ってるだろうね」

「……つまんないハッタリはやめろぉ」と、ゴブリンの頭はつまらなさそうに笑た。露骨なハッタリだが微塵も動じないとなると、コイツ等にもよほどの根拠があるということなのかもしれない。

「とりあえず、お前さんがエルフの事を教えてくれるってんでね。私としても彼の事は一番気がかりになってる事なんだ」

「だろうな……。」と、意味深にゴブリンの頭は微笑んだ。

「条件はなんだ? 別に親切心で教えてくれるってわけじゃあないんだろう?」

「もぉちろんさぁ。対価はアンタの命だよ」

 私を取り囲んでいるゴブリンたちが微妙に動いた。

「だとしたらお前さんも随分とナメてくれてるんじゃないのか? この人数で私を殺ると? 上手くいっても半分以上は道連れだぞ」

「かもな。前に見たアンタの腕前からすると、下手に近づいたらこっちが危ない。だが……。」ゴブリンの頭は懐から鉄の塊を取り出し私を狙った。例の転生者殺しだ。「こぉいつならどうかなぁ? 近づかなくったってアンタを殺れるぜぇ」

「ラクタリスの時の印象だと、どうやら遠距離武器だが精度は鈍いと見たね。もしくはお前さんの腕が鈍いかだ。それに、そんなに連続で使用はできないんだろう? がね」

 ゴブリンが忌々しそうに先端を上に向けた。わお、ヤマカンがあたったぜ。

「思ったより拮抗してると見えるね。……で、令嬢に関してなんだが、聞いた話によるとお前さんが殺したって話しだが……嘘なんだろ?」

「アンタ知らないのかぁ? 俺たちはぁ、あの屋敷の侍女に、令嬢を殺すよう雇われてたんだぜぇ?」

 ゴブリンの頭は薄目で私を見る。口は相変わらずにやついたままだ。いや、口が裂けてるせいでそう見えるのかもしれない。

。だが、仕事は試練の間までだったはずだ。お前さんたちが歩いてるってだけで役人がしょっぴくようなヘルメス侯のお膝下で、しかも東方民族のアジトにいたイヴ・ヘルメスが、お前さんたちに殺されるなんて不自然だ。違うか?」

 ゴブリンの頭は嘘くさく悲しそうな顔をした。「まいったなぁ、一体どういえば信じてくれる?」

「誰か、お前さん以外の証言があればねぇ……。」

 ゴブリンは、証言かぁと困った顔をした。もちろんそれも嘘くさく。

「ま、あとはイヴ・ヘルメスの持ち物の一つでもあれば……。」

 すると、ゴブリンが嬉しそうに懐を探り始めた。嘘くさくはなかった。そしてゴブリンの頭は、得意げに鎖のついたペンダントを懐から取り出した。私は目を凝らしてそれを見る。

「こぉいつに見覚えねぇか?」と、ゴブリンの頭は得意げにペンダントを振ってみせた。

「……それは」

 それはロランに渡した、即効性の毒入りのペンダントだった。なぜ、それをアイツが持っている?

「どうやら、見覚えあるみてぇだな」

 呆然とする私にゴブリンが目を輝かせて言う。だが、まだハッタリに過ぎない。大丈夫だ、私は平静だ。

「どうせどこからかくすねてきたんだろ? それだけじゃあ証拠に――」

「俺たちに捕まったらぁ、このペンダントに入った毒飲んで自害しようって話しだったらしいなぁ。死が二人を別つまでか? 残念だったなぁ」

 どうやら思った以上に情報を仕入れてるらしい。まぁ、それでも反論する材料はいくらでもある。私は至って冷静だ。

「東方民族から聞いたのか? その程度で信じろと言われても」

「面白かったぜぇ。あの女、散々泣きわめいてよぉ。しきりにアンタの名前を呼んでたなぁ。“クロウ、助けてクロウッ!”ってなぁ」ゴブリンは甲高い声で似ても似つかないロランのモノマネをした。手下たちがそれに大笑いをする。「なぁ、お前ら一体どういう関係だったんだぁ? 女同士でぇ」

 ペースに飲まれるなぁ。今は拮抗してはいるといっても、簡単にこちらの不利になる。

「私を怒らせようって魂胆か? 安い作り話はやめておくんだな」

「異種姦なんかにゃあ興味がないんだがなぁ。アイツの嫌がり方があまりにもそそったんで、生まれて初めてエルフ相手に勃っちまってよぉ。面白かったぜぇ。エルフで初物なんて後生自慢できる」


 幼稚な作り話だ。分かるだろ………。


「ああ、そうそう」ゴブリンのかしらは目じりの涙を指で拭った後、顔を傾けて大きく目を開いた。「?」


「ぶっ殺す!!」

 私は刀に手をかけた。


「俺も同じ気持ちさ雑種野郎バスターードッ!」ゴブリンが再び鉄塊で私を狙った。「気が合うじゃねぇか、うれっしいぜぇぇぇ!!」

 それは、堪え難い嬉しさと楽しさで身を捩らなければなくなるほどの、苦痛にも似た絶叫だった。


 私は正面のゴブリンの頭ではなく、横の壁へと斜めに走った。鉄塊から爆発音がしたが私には当たらずに足元の地面が弾けていた。

 飛び上がって壁を蹴り、側面を走って勢いがギリギリ重さに耐えられなくなるところで更に壁を蹴る。そしてゴブリンたちの背後の壁に跳び、そしてその壁を更に蹴ってゴブリン達の前に着地した。かしらが私を目がけて二回攻撃していたが、いずれも当たらなかった。

 かしらの真正面に降りた私は居合抜きでかしらに切りかかった。だが、激昂と力みのせいで居合いは腕の力だけを使った不完全なものとなり、刃は尻もちをついてすっ転んだかしらの腹を掠めただけだった。

 私は再度袈裟で切りかかろうとしたが、手下たちが突き出したに攻撃を防がれてしまった。

 私は邪魔をする手下を左右の切り上げでそれぞれ始末してから再びかしらに切りかかった。心臓を狙った渾身の突き。かしらが側にいた手下の襟を引っ張り肉の壁を作る。突きはそいつのせいで僅かにかしらの体を外れてしまった。手下から刃を抜こうと刀を引くが、手下の肉に刃先が絡まり上手く刀が引き抜けない。ようやく刀が抜けたと思った時、転生者殺しの先端が私を向いていた。かまわずにそれでも私が切りかかろうとすると、その先端が火を噴き轟音が響いた。

 私の片足に力が入らなくなった。見ると、右膝の上から血が噴き出していた。

 それでも何とか左足でだけでも立ち上がろうとしたが、すぐに四方八方からゴブリン達が跳びかかり私の動きは封じられた。

「離せ! 殺してやる!!」

 息巻いたはいいが、あっという間にゴブリン達の殴打を受け、私は四つん這いになって立ち上がることもできなくなってしまった。

「殺すなよぉ。宴はこれからなんだからなぁ」

 と、かしらが布袋に石を詰めながら言う。そしてかしらはその布袋を振り回し愉快そうにスキップをしながら私の方へ走ってきた。

「ほぉうらぁ!」

 かしらがそれで私の顎を殴り飛ばした。顎が勢いよくかち上がり、私はそのまま意識を失っていった。朦朧とする意識の中、私は奴の高らかな嗤い声を聞いていた。

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