ディアゴスティーノ・クライスラー①

   ※※※

 

 晩餐会の襲撃から五日後。


「おい、ロバート。飲み過ぎじゃないのか? まっすぐ帰れるか?」

 役人のバンクスが、同僚のロバートに肩を貸しながら酒場から出てきた。

「大丈夫っすよぉ、バンクスさぁん」

 ロバートはバンクスにもたれかかって言った。足もかなりの千鳥足だった。

 彼らの直属の上司だったダノンが、晩餐会でゴブリンを侵入させたことの警備責任を追及され更迭されてしまったことで、ここ数日彼らは荒れていた。ダノンは良い上司とは到底言えなかったが、出世のために散々ごまをすっていた彼らにとっては、これまでの我慢がすべて水の泡になったということはあまりにも虚しかった。

「俺はそろそろ帰りたいんだが」

「そんなぁ、つれないこと言わないで下さいよぉロバートさん。夜はまだ長いんだしぃ」

「長いったって、これからどうするんだ?」

「女ですよ、女ぁ。女がいるところに行きましょうよぉ」

「お前、金はあるのか?」

「ないですけど……。それじゃあ安いところでもいいですよぉ」

「お前、安いところっってのはだいたい醜女や婆さんが出てくるのが相場だぞ」

「もういいんですよぉ。だって俺、もう変な病気持ってるかもしれないんだからぁ」

 当初は雑種と性交したことを不安がっていたロバートだったが、自分に自信がない一方でプライドの高い彼は同僚におちょくられると、逆にそのことを自身の胆力と雄度の証だと自慢するようになっていた。もっとも、そんな彼のことをバンクスをはじめとする同僚たちは冷ややかな目で見ていたのだが。しかし当のロバートはそんなバンクスの眼差しを気にすることなく、物色するように繁華街の路地裏に視線を這わせていた。

 千鳥足で注意も散漫になっていた二人は突然何かにぶつかった。特に酒の量の多かったロバートは受け身も取れずに尻もちをついた。

「痛ってぇ……。」尻を地面につけたままロバートが言う。

「あ、ごめんなさい。急いでいたもので……。」

 二人の正面には、フェルプールの女が立っていた。淡い水色の髪をおさげに結った、成人したばかりのあどけなさの残る顔をした女だった。しかし、広い襟ぐりと胸を強調するためのコルセットから、彼女が堅気ではないことが伺えた。

 女は二人にじゃあと会釈をすると、そのまま足早に立ち去ろうとした。

「ちょっと待てよっ」と、ロバートが立ちあがりながら言う。

「ロバート……。」

「ぶつかっといて何も詫びずにどっか行こうってのか?」

「え?」女は困惑してロバートではなくバンクスを見た。自分が詫びたことを確認するためだった。

「ロバート、からむな。きちんとお嬢ちゃんは謝ったろう」

「い~や、だめだね。娼婦の分際で、役人の俺らにぶつかっておきながら言葉だけで済まそうってのが気に入らねぇ」

「え? そんな、わたし……。」

 ロバートはのそりと歩み寄り、高圧的に女に迫った。自信なさげな女の顔が、余計にロバートの加虐心を煽っていた。ロバートの視線が女の顔から下り、体つきを確認し始めていた。

「言葉なら何とでも言えるよなぁ。けど、すまないって気持ちがあるなら行動で示してもらわなきゃあな」

「ど、どうしろっていうんですか?」

「お前、娼婦なんだろ? だとしたら男を満足させる方法ってのは言わなくてもわかるだろう?」

「ロバート、いい加減にしろ」見かねたバンクスが言う。

「いやぁバンクスさん。この間の雑種じゃあ、猫耳の具合が分かりませんからね。本物の猫耳を体験しとこうかなと」ロバートは女に言う。「なぁ、何もタダでやらせろってわけじゃないんだよ。誠意を見せるんなら、それ相応に割り引いてくれってことさ。金は払う」

「……結局女を買いたいだけか」

 そう言うバンクスにロバートは酔っぱらっただらしのない笑顔で応えた。

「困ります。わたし、もう今夜は店じまいなんです。家に帰してください」

「何だと? こっちは気持ちだけでもまけてくれればいいって言ってるんだぞ?」

「他を探してください」と、女は二人から顔をそむけ足早に去ろうとした。

「待てってっ」そう言ってロバートが女の手首をつかんだ。

「ちょ、何するんですか?」

「なぁ、いいだろ?」

 掴まれた手首を振りほどこうと女は抵抗するが、思ったよりもロバートの握った力は強く、女は痛みで顔を歪めた。

「いい加減にして!」

 女はロバートの頬を平手で打った。手首が解放されると、女は駆けるようにして路地裏に入っていった。

「くそっ!」

「ふん、ざまないな。雌猫に噛みつかれてやがる」

 バンクスにあざ笑われ、引くに引けなくなったロバートは路地裏の暗闇に向かって言った。

「ロバートどうするつもりだ?」

「バンクスさんは先に帰ってて結構ですよ。あの売女にお灸をすえてやります」

 女を追いかけるロバートを、バンクスは好きにしろっと見送り、自身は家路についた。

 ロバートの入り込んだ路地裏は思ったよりも入り組んでいた。表通りから見える建物の裏に、さらに何軒か建物が乱雑に立ち並び、路地は直角ではなく斜めにも広がっていた。

「どこに行きやがったんだ……。」

 後方で瓶が転がる音がした。ロバートが振り返ると、一瞬だけ女のドレスが横切るのが見えた。そっちに行きやがったのか、ロバートは女をどんな言葉で脅し、そして辱めてやろうかと妄想しながら追いかけた。

 薄笑いを浮かべ、女が曲がったのと同じ角を曲がったが、そこは行き止まりになっていた。女の消えた方向だったのに、女の姿は見えない。

 ロバートは何か妙な悪寒を感じ始めていた。

 ロバートが耳を澄ますと、静寂の中に不相応な数の気配を感じた。

 ロバートは恐怖をはねのけようと、虚勢を張って叫んだ。「おい、どこいった猫耳! 俺が優しいうちにおとなしく出てこいよっ。でないと後が酷いぜ!?」

 ロバートの声が行き止まりの壁に反射しこだまする。ロバートは消えていく自分の声にすら心細さを感じていた。

 

 よぉアンチャン。


 後ろで声がした。ロバートが振り返ると、そこには手下を引き連れたディアゴスティーノがいた。

 一体いつ回り込まれたのか、驚愕したロバートは声を上げようとしたが、それよりも速く、いつの間にかロバートの背後に立っていたディアゴスティーノの手下が彼の顔に麻袋を被せた。声は響かずにその場でくぐもった。

「アンチャン、言ったはずだぜ? 今度猫耳その言葉使ったら、オメェの身に大変なことが起こるってな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る