ディアゴスティーノ・クライスラー②
一瞬で酔いの覚めたロバートは、どうにかして暴れて抵抗を試みようとしていた。
ディアゴスティーノが手のひらを上げると手下が彼の手に棍棒を置き、ディアゴスティーノはその棍棒を暴れるロバートの頭に振り下ろした。頭部に痛打を受けたロバートは、膝をつき顔面から地面にぶつかるようにして倒れ込んだ。
ディアゴスティーノの手下たちは動かなくなったロバートの体を荒縄で縛ると、さらに大きなずだ袋を体全体に被せた。
「二度目までは許す。誰だって聞き違いや物忘れがあるからな。だが三度言わせるってことは、そりゃあオメェがどうしようもねえ馬鹿かこちらの話を聞く気がねえってことだ」ディアゴスティーノは担いで運ばれるロバートを見ながら言った。「その場合はどっちにしたってバラされるしかねぇのよ」
それから1時間半後、ディアゴスティーノは自分の経営する酒場にいた。店員たちの挨拶を受け、気前のいい経営者然とした笑顔で応えていたディアゴスティーノに手下の一人が目配せをすると、ディアゴスティーノはその手下の先導で酒場の物置に入り、その部屋の陰に隠すようにして設けられていた地下室へと続く階段を下りて行った。
物置にしては広い地下室には、生え抜きのディアゴスティーノの部下たちが控えていた。ディアゴスティーノの登場と共に彼らは立ち上がり挨拶をする。
手下たちの列の間を歩いていたディアゴスティーノだったが、その中の一人を見つけると、怪訝な顔をして言った。「タタ、オメェ、今日は女房の誕生日じゃあなかったか?」
タタと呼ばれた手下は申し訳なさそうに返事をする。
「こんな日にこんな仕事やる必要ねぇだろ」そう言ってディアゴスティーノは懐から財布を取り出し、中から紙幣を適当につかんでタタに手渡した。「これで女房に花束でも買ってやんな」
「いや、ボスそれが……。」タタの目が泳いでいた。
「……どうした?」
タタの隣にいた手下が言う。「ボス、こいつ浮気がばれて家から閉め出されてんですよ。情けねぇ」
ディアゴスティーノがタタを見る。タタは頭を掻いてうつむいた。ディアゴスティーノは「かーっ」と呆れたように呻くと、タタの肩に腕を回して言った。
「どうしようもねぇ馬鹿野郎だなオメェは。いいか、俺からだってことで女房に伝えとけ。“アイーシャ、オメェはタタにはもったいねぇくらいにできた女だ。だが残念なことにタタの馬鹿はそれを分かってねぇ。タタには俺からキツく言っとくから今回は許してやってくれ。次に何かあれば、真っ先に俺に告げ口しても構わねぇからよ”……てな」
言い終わるとディアゴスティーノは早く行け、とタタの背中を叩いた。タタはディアゴスティーノに何度もお辞儀をすると、地上への階段を駆け上っていった。
「ああそうだ。タタっ」思い出したようにディアゴスティーノが言う。
「何です? ボスっ」と、階段を上りかけていたタタが返事をする。
「花を買うならリンドウを買っとけ。外の花売りがシマリンドウを仕入れてたはずだ」
タタはへいっと返事をして階段を再び駆け上がっていった。
タタを見送った手下の一人が笑って言う。「しかしタタもタタですが、アイーシャもアイーシャですぜ、ボス」
「……何でだ?」
「だってですよ、タタの浮気性は結婚する前から有名だったじゃありませんか。それをいまさら怒ったって……分かってないとしか言いようがありませんよ」
「……分かってねぇのはお前らさ」笑っている手下たちと違い、ディアゴスティーノは真顔だった。「あの女は全部織り込み済みよ。アイツは待ってたのさ、タタが露骨で悪質な浮気するのをな。で、タタがボロを出しちまったその時は、奴の言い逃れようのない弱みを掴んで周囲を味方につけて、後は死ぬまでそれをダシに尻に敷こうって魂胆さ。できた女だぜ。タタは一生尻の毛までむしり取られるだろうよ」
ディアゴスティーノが部屋の真ん中に行く。手下たちは自然とディアゴスティーノを囲むように立った。
「俺たちも見習わなきゃあな。ただ欲しいものを欲しいと言うだけじゃあダメなのよ。時には自分から何かを差し出さなきゃなんねぇ。それも、差し出しても平気なやつじゃなく、自分の一部を切り取るくらいの痛みのあるやつをな。そうしてこそ駆け引きってのが成り立つのよ」そう言いながら、ディアゴスティーノは古く、建付の悪い作業机の上に置いてあったダガーを手に取った。「なぁアンチャン、そう思わねぇか?」
ディアゴスティーノの正面の地下室の壁際には、鎖に吊るされたロバートがいた。すでにかなりのリンチを受けた後で、顔は青アザだけで上半身も牛追い用の鞭によるミミズ腫れで真っ赤に染まっていた。
ロバートは腫れて塞がった目でディアゴスティーノを見る。何かを言おうとしているが、言葉にならなかった。
ディアゴスティーノが耳に手を当てる。「アンチャン。何言ってるのかこの猫耳でも分かんねぇよ」
それでも何とかロバートが口を動かすと、固まった血の塊が口から吹き出た。
「ち、違う……。」ロバートが唇を動かすと、唇のかさぶたが破れ新たに血が流れた。「ご、誤解なんだ。話せば分かる……。」
「……“誤解”? “話せば分かる”?」とディアゴスティーノが言う。
ロバートが小刻みに頷くと、ディアゴスティーノの右拳がロバートの鼻にめり込んだ。ミチミチッと鈍い音を立てながら拳が引かれると、鮮血がロバートの鼻から吹き出した。ぶぼっと、豚のような鼻声をロバートが上げる。
「じゃあこいつも誤解だから話せば分かるってか?」と、ディアゴスティーノが血に染まった拳を振る。
「あ、がっ。……し、知らなかったんだよ。アイツがアンタの女だなんて」
「……俺の女?」ディアゴスティーノは不思議そうな目でロバートを見る。「アイツがか?」
「……違うのか?」
「なに勘違いしてんだよ。俺の女なんかじゃねぇ、やつぁ俺の
「ハトコ?」
ディアゴスティーノはああそうだよ、と頷く。
「ハトコってたかがハトコのために……ぶべっ!」
平手がロバートの頬を強かに打った。
「たかがだぁ? アイツが俺の再従兄弟ってことはだぁ、アイツを侮辱するってのは俺の何分の何かを侮辱したことになるじゃねぇか。ああ?」ディアゴスティーノは往復ビンタを繰り返しながら言う。「よぉ、何分の何だ? お前ら人間は賢いんだろう? 計算してみろよ。俺の、親の、そのまた親の、その兄弟の、子供の、そのまた子供だ。おら、何分の何だ? 戦後にデカイ顔してのさばってるお前ら人間だ。こんな計算なんてお手の物だろう?」
ひたすらにディアゴスティーノはビンタを繰り返し、ロバートは質問に答えられずにひたすら謝り続けていた。
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