地下室の魔狼
同じ頃、ロルフの従者・カルヴァンが屋敷内の別の地下室へと向かっていた。屋敷は宴の真っ最中で盛り上がっているというのに、なぜ自分が。カルヴァンは不機嫌さを露わにしながら階段を降りていく。
「……奴は大人しくしてるのか?」と、カルヴァンが言う。
「驚くほどに」と、先に地下室にいた使用人がそれに答える。
「……まったく、ロルフ様も何を考えてるのか。こんなこと役人に任せておけばいいものを……。」
「きっと、妹君を殺害した奴を直々に懲らしめてやりたいんでしょうな」
しかしカルヴァンはそれに素直に同意することができなかった。彼はあの兄妹の絆がそこまで強くないことを、側で見てきて知っているからだ。それ以外にも、カルヴァンは目覚めたロルフに違和感を覚えることが多かった。ロルフは以前のように彼を友人としではなく、まるで召使のように軽んじるようになって距離を置くようになっていた。長い昏睡状態ゆえの後遺症、そう言う医師もいたが、果たしてそれだけであそこまで人が変わるものだろうか。カルヴァンは時折ロルフに別人の影を見ることがあった。
地下室の階段を降りきったカルヴァンが重い木製の扉を開ける。そこはワインセラーとして使用されていた部屋だったが、今では手狭になり物置になっているところだった。決して拷問用でも取り調べ用の部屋でもなかったが、その部屋の真ん中には手枷をされて椅子の後ろに両腕を回されて座っているバクスター・ダイアウルフがいた。
「こぉんばんわぁ、貴族殿ぉ」
バクスターはカルヴァンを見るなり、余裕のあるゆったりとした口調で挨拶をした。ほぼ暗闇の室内で、魔物の目が黄色く光っていた。
一瞬気圧されたが、たかがゴブリンだと自分に言い聞かせ、カルヴァンは机をはさんでバクスターの正面に座った。
「……随分と余裕だな」
「うぅん、同族にすら容赦のない人間の役人に比べたらぁ、アンタたちエルフの方がお優しいだろうからなぁ」
「そう思うか? お前が殺したのはただのエルフじゃないんだからな、俺たちだって容赦はしないぞ?」
「アンタが言ってるのはどのエルフのことだい?」と、バクスターが困ったように顔を傾けた。
「とぼけるなっ。お前が役所に出頭してきたんだろうイヴ・ヘルメス嬢を殺したってことでなっ」
バクスターはイヴ・ヘルメスと、カルヴァンの言葉を復唱する。
「褐色肌と銀髪の美しい女のエルフだ。他と間違えるものかっ」
しかし、それでもバクスターは眉間に皺を寄せ、天井を仰いで思い出そうとしていた。
「ふん、お前らゴブリンの記憶力じゃあ数日前のことも覚えてられないか」と、カルヴァンがバクスターをあざ笑うように言う。
「いやぁ。褐色肌と銀髪、以前はそうだったかもなって思ってさぁ」
「貴様ぁ……。」
「中には種族の判別もできないのもあったからさぁ、耳もグチャグチャで」
バクスターは“痛ましい”という表情を作るよう努めていたが、目はどうしようもなく笑っていた。
「まぁいい、今さら細かい確認は取りはしない。お前がイヴ様を殺害した動機はなんだ?」
「動機?」
「そうだ動機だ。通り魔的に殺したなどと言わせんぞ。物取りが動機だって考え難い。目的もなくお前らが都市部で仰々しい犯罪などするわけがないのだからな」
すると、バクスターはつまらなさそうにため息をついた。
「何だその態度は?」
「役人みたいなことを言うな」バクスターは突然カルヴァンに睨みをきかせた。「動機? そうじゃあない。あるのは動機じゃないのさ貴族様ぁ。あるのは計画だ」
「計画? お前らゴブリンごときが何の計画を立てるって言うんだ?」
「例えばぁ、どうしてイヴ・ヘルメスが殺されたのかぁ、そしてどうして俺がのこのこ出頭してきたのかぁ、ひとつひとつを点じゃなくて一本の線で考えるのさぁ。そうすりゃ見えてくる」
「……ふん、ケムに巻こうったってそうはいくか」
「うう~ん。せぇっかくヒントを上げてるのに、ざぁんねんだぁ」
「じゃあ、こうして捕まるのが計画というのなら、次はどんなことをやるって言うんだ?」
「この屋敷を……。」屋敷全体に想像を巡らすようにバクスターは室内を見渡した。「爆発させる?」そう言ってバクスターは顔を傾けた。
「ふんっ、バカバカしい」
怒りで熱くなるカルヴァンの眼差しに対し、バクスターの目は実に涼しげだった。
「……まったく、醜いツラだ」
「うん?」
「その不細工な傷のせいでずっと笑ってるように見える。実に不快だよ、お前は」
「笑ってるようにじゃあない」バクスターは傷のない左の口の端を吊り上げる。「
「はんっ、こけおどしだな。計画だの何だの、貴様如きゴブリンがどう振る舞おうが状況は変わらん――」
カルヴァンが鼻で笑った次の瞬間、爆音とともに地下室が揺れた。驚いてカルヴァンがバクスターを見ると、バクスターは得意気にカルヴァンを見据えていた。
爆音は大広間にも響いていた。
「何だ、どうした?」と、ヘルメス候が言った。
隣りのダニエルズ候は表情を崩さずに右の眉だけを吊り上げたが、それでも内心は穏やかではなかった。若き日に戦場を経験したことのあるダニエルズには分かったのである。この音は雷などではない、ただならぬ量の火薬が爆発した音だと。
そしてそれはヘルメス候も同じだった。彼はすぐに大広間に控えていたウォレスに目配せをするとウォレスは応えて小さくうなずき、そしてウォレスも警備兵たちに目配せをすると、彼らも小さくうなずいて武器の用意をし始めた。不穏ではあるが焦ってはならない、そう思っていたところに庭を警備していた兵士が青ざめた顔で大広間に飛び込んできた。
「大変だ! ゴブリンが屋敷に侵入したぞ!!」
一瞬で華やかな広間の雰囲気は変わったが、それでもたかがゴブリン、ウォレスをはじめとする警備兵たちは少し
だが、すぐに第二の轟音。ウォレスは、警備を中庭と地下室へ向かう隊の二つに分け命令を下した。
「ウォレス……。」と、正装に身を包んだロルフが歩み寄り話しかけた。
「ロルフ様、そんな顔をなさるな。たかがゴブリン。不肖ロルフ、老いたとはいえ不覚を取りはしません」
と、眼光鋭く老戦士が笑うものの、それでもロルフの顔からは不安は消えなかった。
二人が顔を合わせているとウォレスの後ろで窓ガラスが激しい音を立てて割れ、ゴブリンたちが大広間に飛び込んできた。危険を顧みないゴブリンは、ガラスの破片が刺さろうともテーブルにぶつかろうとも、着地の体制を崩してすっ転ぼうともまるで気にしていなかった。血まみれのまま立ち上がり来客たちに襲いかかる。
侵入してきたのは予想以上の数のゴブリンだった。警備兵は何をしておるんだと、ウォレスは苛立ちつつもこの事態がただ事ではないことを予感した。
「お下がりくださいロルフ様!」
ウォレスは鞘からロングソードを抜き出した。
クロウと立ち会った時とは違い、刃を落としていなければ無駄に重くもない、正真正銘の実戦用の剣である。何より、彼が戦場で使用してきた愛刀だった。ウォレスは悠然と絨毯を踏みしめゴブリンたちに歩み寄り、屋根の構え※を取った。
(屋根の構え:西洋剣術の構えの一つ。フォム・ダッハとも。両手で握った剣の切っ先を天井にまっすぐ向け、半身になる。攻撃と防御に応用が利き、疲れにくく長期的な集団戦に適している)
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