魔狼の宴

「何だ、何が起きてるんだ?」

 一方、バクスターを取り調べていたカルヴァンは扉を開け、警備兵に外の状態を聞いていた。だが彼も扉の前にずっといたため、一体何が起きているのか理解していなかった。

「とっとと確認してこい!」

 カルヴァンは平民の兵士を叱りつけた。しかし彼はバクスターから目を離すべきではなかった。バクスターはその間に肩の関節を外し、後ろに回されていた手を回転させて前に持っていき、さらに親指の関節を外して右手首を手枷から解放することに成功したのだから。

「まったくどうなってん……。」

 振り返ったカルヴァンの目の前には黄色い目を爛々と輝かせる魔物が立っていた。

「!!!???」

 カルヴァンが悲鳴にも似た驚愕の声を上げのけ反り、そしてバクスターはそののけ反った体勢のカルヴァンのズボンに右手を突っ込んだ。実に手慣れたように素早く、バクスターの右手はカルヴァンの睾丸を鷲づかみにしていた。

「な、何してんだ貴様ぁ!!」

 カルヴァンが両手でバクスターの白い頭髪を掴んで、何とか自分から魔物を引きはがそうと後ろへ引っ張って振り回す。だが無駄だった。カルヴァンは睾丸への圧力が強くなったことを感じた。

「や、やめええええええええええ!」

 次にカルヴァンはバクスターの手首を握った。しかし……。

「お家断絶だな」

 バクスターはカルヴァンの睾丸を握りつぶした。ズボンの中で、パチンとゴム毬が弾けたような音がした。

「ぴいいいいいっ!」

 バクスターはようやくカルヴァンの睾丸を開放し、カルヴァンは奇っ怪な悲鳴を上げて床の上をのた打ち回った。ズボンから出てきたバクスターの手は透き通ったピンク色の体液でびしょびしょに汚れていた。

 バクスターはやれやれ、と手を振ってその体液をきる。まだ濡れている手に鼻を近づけると、臓物と血液と尿の混じったような独特の臭いがした。バクスターはその臭いに困ったように顔をしかめた。もちろん、目は笑ったままだったが。

 悲鳴を上げ続けるカルヴァンの上にバクスターが飛び乗った。

「どうだい貴族さまぁ。高貴なアンタがどうしてこんな目に遭うか分かるかぁ」

 だが、カルヴァンは激痛で悶絶して答える事が出来ない。

「言ったろう? これは“計画”なんだって。動機なんて点で見てちゃあ駄目さぁ。物事は常に線の上で動いてんだからぁ。アンタのこんな目に遭うのだってぇ、全体から見れば必要な事なんだって」

「き、貴様ぁ」ようやくカルヴァンが口を開いた。「地獄に落ちやがれ!」

「地獄? アンタ地獄を知ってるのか? 知らないだろう? 俺が教えてやるよ、本当の地獄ってところをな」バクスターはカルヴァンの腰から短刀を抜き出して語る。「本当の地獄……そこじゃあなぁ、ある民族がただそこにいたって理由で三ヶ月で100万人殺されるような場所なのさ。100万人だぞ? 一体どうやりゃそんなに殺れるんだかねぇ。それに比べりゃあ、俺やお前らがやってきたことなんて、可愛い小競り合いみたいなもんだと思わないか? んん?」

「だ、何を言ってるんだだでぃをいっでるんだ?」

「本当の地獄の話さ」バクスターは興奮を抑えながらカルヴァンに顔を近づける。「本当の地獄ってのはお前らの想像のつかないようなところさぁ。ある国のガキは薬代がなくて死んでいって、それと同じ額の金が別の国じゃガキの小遣いで配られる。なぁ、ぶっ飛んでると思わねぇか? そんな地獄のことを思うと、この世界の騒ぎなんてバカバカしくなっちまうよなぁ」バクスターはカルヴァンから顔を離す。「いずれこの世界もあそこみたいになっちまう。その前に手は打たなきゃな」

「お、お前まさか転生し――」

 バクスターはカルヴァンの開いた口に短刀を突っ込んだ。

「アァンタの顔、青ざめて酷いもんだぜぇ? せっかくの綺麗なエルフが台無しだぁ」と、バクスターは短剣をカルヴァンの口に突っ込んだ。

「む、むぐぅう!」

「こうすりゃいつだって笑顔でいられる。俺とだ」

 そしてカルヴァンの口を引き裂いた。

「~~~~~~~~!」

 激痛のあまり馬乗りになっていたバクスターをはねのけ、再びカルヴァンがのた打ち回った。

「あ~、どんな気分?」

 しかしカルヴァンはそれに悲鳴で答えるだけだった。

「そぉんなに喜ばなくったって」バクスターは微笑んで頷いた。

 バクスターはカルヴァンの腰に掛けてあった鍵を取り左手首の手枷を外し、じゃあなと、出口扉に手をかけた。

「アァンタ、い~い悲鳴だったぜぇ。あの世の同族にも届くくらいなぁ」

 バクスターが扉を開くと、そこには手下のゴブリンたちが控えていた。


 バクスターはゴブリンたちを率いて屋敷内を練り歩いた。そして飾り気のない場所から、華やかで人気のある大広間の入り口に彼らが到達すると、舞踏会の来賓たちは口々にこっちからもゴブリンが! と慌てふためいて逃げ回った。雑魚モンスターのゴブリンだが、武器を持っていない彼らにとっては十分に驚異だった。

 バクスターは逃げ惑う来賓たちの真ん中で不敵に笑い、拳銃を懐から取り出すと天井に向けて発砲した。再度上がる悲鳴。轟音で腰を抜かす男、耳を塞いで抱き合ってうずくまる夫婦、悲鳴を上げて自分のスカートの裾を踏んづけて、顔面から床に無様に転ぶ女もいた。

 彼らを愉快そうに眺めたあと、バクスターは華やかな屋敷を見渡す。

「ここは、俺たちの屋敷だ。ここは俺たちの血肉の上に建てられた。俺たちの屈辱と恥辱の上にな」手下たちに、そして何よりも自分に言い聞かせるようにバクスターは語る。「俺たちのものであるべき場所だ。俺たちのものであるべき栄光だ。遠慮することたぁない。取り分を拝借するだけだ」

 バクスターは自分の周りに広がる富を受け止めるように手を広げ、うっとりと恍惚の表情を浮かべてから言った。

「……やぁれ」

 かしらの合図とともに、ゴブリンたちは一斉に来賓たちに襲い掛かった。


 四方から襲いかかってくるゴブリンたちの群れ、屋敷の入口で武器を没収されていた来賓たちは逃げ惑うばかりだった。何より戦後30年が経った現在では、稽古としての武術の心得はあるが実戦の経験には乏しい者も多かった。燭台や装飾品の槍を取り出し応戦する者もいたが、殺意をむき出しに、自分が傷つくことを恐れずに襲いかかるゴブリンたちには満足に抵抗することはできなかった。


「ここは危険です。父上、ダニエルズ候を」

 ロルフに促され、ヘルメス候は少数の近衛兵を連れて建物からの脱出を図った。

「ちょっと待ってくれアイザック。愚息が見当たらん」と、ダニエルズ候は周囲を見渡して言った。

「何?」とヘルメス候が言う。

「ダニエルズ候、ご子息は必ず我々が探し出します。後は近衛兵にお任せください」

 ダニエルズ候は不安を隠せない様子だったが、確信をもって語るロルフを信じその場を後にした。

 ヘルメス候も息子を案じていたが、息子が無言で頷くとそれに従いダニエルズ候の後について行った。

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