ダニエルズ候
※※※
同時刻。ヘルメス邸。
「今日はやけに貢物が多いな」
屋敷を警備する人間の役人が、運ばれていく荷物の列を眺めながら言った。
「そりゃあヘルメスの跡取りのお披露目だからな。王都からのものだってあるくらいだ」と、別の役人が言う。
「……しかし、それにしたって見慣れないのもいるぞ。ほら、東方民族もいる」
「ホントだ、珍しいな」
「しかも奴らの貢物、やたら多くないか」
東方民族の男たちは、大きな木箱をいくつも屋敷へと運んでいた。
「ああ……。あれ? あれはなんだ?」
荷物の一つに、巨大な鏡があった。厚みもあり、オークですら中に入れることができるほどに重厚な作りだった。
「いやぁ、奴らの趣向というのはいまいち分からんな……。」
「まったくだ……。あれ?」警備兵はあるエルフの貴族の服装を見て声をかけた。「申し訳ございません、サー」
「なんだ?」声をかけられた貴族は、平民の警備兵に声をかけられ不機嫌そうに反応して薄い灰色の瞳で睨みつけた。
「本日は各地から貴族や王族関係者の方々が集まっておりますので、武器の携帯はお断りしているんです」と、あくまで機嫌を損ねないよう、猫なで声で警備兵は言った。
「なんだと? では、何かあった時、どうやって身を守れと言うんだっ」
「いえ、その為に我々がいるのでして……。」
「ほう? では貴様は当然私よりも腕が立つと言うのだな?」そう言って貴族は自分の腰のレイピアに手をかけた。
「いえいえ滅相もございません。ただ、祝いの席ですので……。」
例え上品な王侯貴族の舞踏会といえど、酔った男達が互いに意地を張り合い決闘の申し立てをするという事態は決して珍しいことではなかった。その為に、武器を事前に預かっておくのも対策の一つとして一般に行われていることなのだが、明らかな平民出に言われたことがこの貴族には気に入らないようだった。
「ご安心くだされ。本日の警備隊長はわたくしでございますゆえ」
すると、警備兵たちに睨みを効かせている貴族の後ろから、落ち着きのあるおおらかな声が響いた。
貴族が振り返ると、そこにはヘルメスに仕える老戦士、ウォレスの姿があった。老齢を感じさせるが弱々しさは全く見当たらない、樹齢のある大木を思わせるたたずまいの男は、例え鎧がなくともすぐにでも戦場に立てるほどの剣気を身にまとっていた。そんなウォレスに背後に立たれたことで、たちまち貴族の男はさっきまでの威勢を失い、警備兵たちが自分に向けていた笑顔を今度はウォレスに向けなければならなくなった。
「こ、これはこれはウォレス殿。貴公が警備隊長ならば、かえって剣など荷物でしかありませんな。失礼した」
貴族の男は腰からレイピアを鞘ごと抜き出して警備兵の一人に差し出した。
ウォレスは貴族の位を持っていない平民なのだが、ヘルメスのみならず、周辺諸国のエルフたちからは歴戦の戦士としてその名を知られていた。故に、名ばかりの貴族よりも遥かに敬意を払われる存在だったのである。
「流石はウォレス様」
「うむ……。」だが、ウォレスはどこか浮かない表情だった。
「……ウォレス様?」
「いや。何でもない。引き続き任務に励め」
上の空でウォレスは言い、そしてそのまま去ってしまった。
「機嫌悪いのかな」と警備兵は言った。正確には、自分たちが怒らせたのではと言いたかったのだが。
「何でも、警備体制に関してロルフ様ともめたらしい」
「ロルフ様と?」
「知らないのか? 今夜の舞踏会の運営はロルフ様が仕切ってるんだよ。聞いた話じゃあ、自動的に後継者になったけど、試練をこなしてないからこういった形で自分が跡目にふさわしいってことを誇示したいんだと」
「は~。しかし試練も経ずに後継者とはヘルメス候も甘いもんだな」
「仕方ないだろう。もう一人しか子供が残っていないんだ。それに今のヘルメス候にとっては、古臭い試練をこなせるよりも、こういった実務をこなせる方が跡目としては頼もしく思えるだろうよ」
「なるほど」
「どうでもいいが……。」警備兵は再び貢物の行列を見た。「やはり品が多いな。特に、東方民族は何を持ってってるんだ? あんな簡素な木箱」
一方、屋敷というよりも、城と呼んだ方が適切なまでに大きなヘルメス候の屋敷の大広間では、タイソンの言うように病床から快復し、かつ後継者として選ばれたロルフのための晩餐会が催されていた。
高い天井からつるされたシャンデリアと、いたるところに立てられた燭台で、夜だというのに室内だけではなく屋敷の周辺も煌々と照り輝き、真っ白なテーブルクロスの広げられたテーブルには、港の市場から取り寄せた世界中の珍味と酒が並んでいた。さらには遠方からの楽団が室内の音を彩り、エルフ、人間、ドワーフといった多種多様な種族が互いに手を取りダンスに興じていた。その贅を尽くした空間は、戦後のヘルメスの隆盛を象徴しているかのようであった。
パーティーの目的だったロルフの紹介は既に終わっていたので、来客たちはそれぞれの目的に徹していた。ある者は体裁のための挨拶を、ある者はコネクションのために自分を売り込み、またある者は純粋に料理に舌鼓をうっていた。
華やかさと笑顔の裏には常に権謀術数があり、それは政治には無関係と思えるような女たちでさえ例外ではなかった。この男は自分から何を引き出そうとしているのか、自分の立ち位置が誰に利用されるのか、男たちの胸の中で踊りながら、女たちの胸の中はコルセットごしにきつく閉ざされていた。
そして、そんな絢爛な魑魅魍魎たちが見渡せる場所に、二人の男たちが座していた。一人はもちろんこの屋敷の主であるヘルメス候。そしてその隣に座るのはダニエルズ侯国の領主、ギル・ダニエルズだった。
本来戦士の一族出身だった彼の体は隆々とした筋肉に包まれ、さらに肌は強すぎる室内の明かりに照らされ真っ黒に光っていた。その様はさながら、活火山から切り出した硬度の高い黒曜石のようだった。頭は完全なスキンヘッドだったが、その額の周辺には白い灰を溶かした顔料で、祭事の際に施す模様が描かれていた。表情は油断なく引き締まり、口元はどんな脅しにも謀りにも、さらには賛辞にも動じぬようきつく結ばれていた。
「……中々精悍な男になったではないか、アイザック」
来客たちに挨拶をするロルフを遠目に見ながらダニエルズ候が言った。以前、彼の兄、ヴィクターの葬式の時に記憶していた男とは印象が大きく違っていた。
「うむ。兄弟たちの不幸があったからな、ヘルメスの後継としての自覚がついたのだろう」
「頼もしい限りよ。それに引き替え愚息ときたら……。」
ダニエルズ候は大広間を見渡したが、彼の息子ネス・ダニエルズの姿は見当たらなかった。まったくどこへ……と、ダニエルズ候は初めて表情を崩した。
「……時にアイザック、最近お前の所では東方民族を受け入れるようになったのだな?」
会場内には、ほんの数人だが東方民族がいた。抑えた色彩の正装とはいえ、文化の違う彼らの服装はそれでも十分に目立っていた。
「ああ、それか。ロルフが、商売のためには奴らもないがしろにするべきではないと進言してきてな。確かに、奴らの扱うハーブやスパイスは、余計な問屋を介さなければ格安で手に入るからな……。」
「てっきり、お前は奴らの事を嫌っているものだと」
「もちろん、あの戦争で我々の協力を拒んだ奴らだ。それに呼び求める神の名も違う。だがロルフの奴がどうしてか、奴らとの通商を積極的に勧めてきてな。ロルフがその役目を担うということで奴らとの商売を表立って始めたのだよ」
「そうか……随分と進んだ考えを持った若者なのだな、子息は」
そしてダニエルズ候は再び大広間を探し始めたが、やはりネス・ダニエルズの姿は見当たらなかった。大きく物静かな巨躯は、発熱する火山地帯の岩石になりかけていた。
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