いなくなった男の話

「よぉねえちゃん、またあったな」

 苦手な頭を使っている私の隣に男が音を立てて座ってきた。顔に刺青のある男、放免のタイソンだった。

「ああ、お前さんか。無事だったんだな、よかったよ」

「へへぇ、また死にぞこなった気分だがねぇ」

「ということは、ゴブリンにあってきたのか?」

 タイソンは、指先で空中をちょんちょんと叩いた。彼が意味深に頷くときにやる仕草だ。

「驚いたね。奴らのキャンプに行って無事に戻ってくるとは」

「なぁに、アンタがたは大げさに取り過ぎなのさ」と、タイソンは手を振って言った。「アイツらにだってアイツらなりの考えやルールってもんがある。それを踏み外さなきゃあ命を落とすことはないのさ。……運が良けりゃあな」

「ほう。この稼業をやってそこそこになるが、彼らのルールってのは初めて聞くな。むしろ、ルールがないからこそのゴブリンだと思ってたよ」

「まぁ、あってないようなものだがねぇ」と、タイソンは咳をするように笑った。

「何か、後学のために彼らのマナーの一つでも教えてくれないか?」

「そうさねぇ、特に言葉は大事だね。……悪いが一本もらえるかい?」

 私は煙草を一本差し出した。タイソンはそれを口に咥えると、マッチを取り出して爪で擦って火をつけた。煙草を一吸いしてからタイソンが言う。

「まずは、挨拶だね。ミ・ノブレ・エス、で“私の名前は”って意味になる。ねえちゃんの場合はミ・ノブレ・エス・クロウってところかな」

 私は、その言葉を繰り返した。

「次に、奴らは自分たちの縄張りに入りゃあ問答無用で攻撃してくる。んで、先手を打って自分が無害だってことを言っとかなきゃならんのさ」タイソンは得意げに煙草をタクトのように振りながら言う。「ヨ・ソイ・ノゥ・トゥ・エネミゴ、これが自分が奴らの敵じゃあねぇってことを伝える言葉だよ」

「ヨ・ソイ……トゥ・エネミゴ」聞き慣れない言語に私は言葉を詰まらせた。

「違うよねぇちゃん危ねぇな。ヨ・ソイ・・トゥ・エネミゴ。ノゥがなけりゃあ、そりゃ“私はあんたらの敵だ”って言っちまってるよ」

「“ノゥ”が否定なのか」

「そういうこと」

 ちょうど店主がタイソンに酒を運び、タイソンは一口それに口をつけてから、伺うように私に尋ねた。

「ねえちゃん、ちょいと聞きてえことがあるんだがよ」

「何だい?」

「アンタ、“吟遊詩人”て聞いたことあるかい?」

「……そういう訊き方をするってことは、旅芸人の類じゃあないんだろうね」

「まぁ、多分そうだろうねぇ」

「多分?」

「ゴブリンに聞いた話だと、アイツ等に協力した人間がいるって話でね。吟遊詩人と名乗ったそうだ。だが、それが通り名なのか賊の名前なのか、はたまた何らかの組織なのか、皆目見当がつかんのさ」

「吟遊詩人……。」

「心当たりが?」

「いや……吟遊詩人の知り合いはいたがね」

「そうか……。」タイソンは再びグラスを口に運んでから言う。「不思議な奴だったそうだ。たったひとりの女がゴブリンの住処に現れて、数匹のゴブリンを連れ出したらしい」

「大した肝っ玉だな。お前さんみたく、言葉でも話せたのか?」

「いいや全く。にも関わらず言うことが魅力的だったって話さ。どこか、人を惹きつけるものがあったとか」

「惹きつける……。」


 その言葉を後に、私とタイソンはしばらく黙っていた。そして私が店主に二杯目を注文しようとすると、後ろから物が倒れる音がした。酔払いが飲み過ぎて倒れたのだと無視していたが、すぐに怒鳴り声も入り混じり始めた。何事かと振り向くと、ピアノを演奏していた男が酔払いの襟を掴んで今にも殴りかかろうとしているところだった。

「あちゃあ……。」と、同じく振り向いていたタイソンが言った。「あの馬鹿ぁ、ブラウンにちょっかい出しやがった」

「あのピアノ弾き、ブラウンっていうのか」

「ああ。ピアノなんてぇ弾いちゃいるが、腕っぷしならこの酒場で一番だろうさ」

 タイソンが言い終わるとブラウンは弓なりに引いた腕を振り抜き、襟をつかんでいた男をぶん殴った。殴られた男はふっとんで丸テーブルの上に落ち、そこからさらに反対側に滑って床に落ちていった。

「なるほどいいリズムだ」と私は言った。

「奴ぁ気性も粗くてね。まったくブラウンに喧嘩を売るたぁつくづく馬鹿だよ」

「……そんなにか?」

「ああ、それがどうしたんだい?」

「いや、それが……。前に一緒にここへ来た連れが、あの男にちょっかいを出したんだ。口に含んだ酒をぶっかけてね」

 タイソンが呆れて首を振る。「そりゃぶん殴られちまったろうよ」

「いや、それどころか笑って握手をしていたよ」

「ねえちゃん、そりゃ申し訳ないが深酔いしてたんじゃないかい」

「本当さ」

 タイソンはそれでも笑いながら首を振った。すると、

「このお嬢ちゃんの言ってる事は嘘じゃないぜ、タイソン」と、カウンターの店主が私たちの会話に入ってきた。「俺も最初はやらかしやがったって思ったんだがね、ところがお嬢ちゃんの連れはその後ブラウンと握手しやがったのさ。俺ぁ今でも信じられんが」

「へへぇ、不思議なこともあるもんだ。興味深いねぇ、どんな男だい?」

「どんなって……。」私はロランを語るため、彼を思い出そうとした。

「エルフだが、気持ちのいい男だったよ。なぁお嬢ちゃん、また連れてきておくれよ」と、店主が言った。

 そして私はより鮮明にロランを思い出しながら言った。「ロランのことは……何て言ったらいいのかな……。」

 なぜか言葉が詰まる。上手く説明できない私を、タイソンが戸惑いながら見ていた。

「……ねえちゃん、アンタ泣いてんのかい?」

「……え?」

 指で拭ってみると、タイソンの言うように確かに私の頬には涙が伝っていた。

「……あれ?」

「……やなこと思い出させちまったみたいだね。その男の話はやめよう」

 そう言って、タイソンは新しいグラスを店主に注文した。

「……すまない」


 だが私には、タイソンの察するもの以外に、もう一つの違和感があった。悲しみすらその場を明け渡すほどの、光明と疑念が入り混じった焦りのような感覚が。

「そういやぁ、今ヘルメス候のお屋敷じゃあ大層なパーティーをやってるみたいだねぇ」と、話題を変えようとしたタイソンが言う。

「そうなのかい?」

「ああ、ご子息の快復と後継者が決まったってことの祝いらしい。なんでもダニエルズからもダニエルズ候とそのせがれがお目見えになるんだと。まったく、娘が亡くなったってのにあの“レインメーカー”ときたら。もう招待状やら段取りを組んぢまって色々難しいのは分かるが……。」

 そして話題は絶妙に変わったわけでもなかった。

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