ファントム・ライジズ

 ――娼館炎上から8年後


 雪解けが完全に終わり地面のぬかるみも消えた頃、アルセロールの国境にあるエッサールからヘルメス領へ、現金を運送するほろ馬車が山道を走っていた。暗い幌馬車の中では、護衛のために雇われた四人のレンジャーが思い思いに腰を落として座っていた。

「よぉ、お前、“殺しの子猫キル・キティ”って知ってるか?」

 一人のレンジャーの男が仲間に話しかけた。男は仕事中だというのに、革袋の葡萄酒を飲んで少し酔っ払っているようだった。とはいえ、命の危険のある仕事なので、酒が入っていたほうが思い切りの良い動きができる者もいるのだが。

「あ~、何か聞いたことあるな。最近売り出し中の新人だろ? 何でも女だって話じゃないか」

「そうなんだよなぁ」その男は仲間に話しかけているものの、意識はマントに頭まで身を包んでいる馴染みのないレンジャーに向けられていた。「仕事にあぶれてるのか知らんが、女がレンジャーとはな。時代も変わったもんだぜ」

「大人しく娼婦でもやってりゃあいいものをな」

 男はその通りだぜ、と言ってその見知らぬレンジャーに近寄った。

「……よぉ」

 だが、マント姿のレンジャーは反応しない。

「お前だよ、お・ま・え」

 話しかけられたレンジャーが顔を上げる。マントの影から、金色の瞳がのぞいていた。

「子猫ちゃんってのはお前のことだろ? 物珍しいってことで噂になってるようだけどよぉ、気に入らねぇよなあ」

 マント姿のレンジャーは再び顔を下げた。

 男はケッと舌打ちしてすごんだ。「いいかぁ? レンジャーってのは男の世界よ。最近は女の権利がどうこう騒ぐやつがいるがなぁ、この世界だけはテメェらが首を突っ込んでいい場所じゃあねえんだ。女は黙って包丁でも握ってりゃあいいんだよ。もしくは男のでもな」男は気の利いたことを言ってやったぞという具合に仲間を見た。「言っとくがな、テメェが犯されそうになったからって俺らは助けたりなんかしねぇぞ? せいぜい悲鳴なんか聞かせてくれるなよ。せっかくの闘争心がからなぁ」

 女は返事をせずに、代わり体をさっと傾けた。

「何の真似――」

 次の瞬間、女の首の横から矢じりがほろを貫通して飛び出してきた。寸前に体を傾けていなければ、喉に刺さっていただろう。

 そして馬の鳴き声と共に馬車が急停止し、すぐさま積荷の持ち主が荷台のレンジャー達のもとへ飛び込んで来た。

「野盗だ! お前ら仕事だぞ!!」

 四人のうち二人のレンジャーが、自分を奮い立たせるために叫びながら一斉に馬車の外に飛び出した。酒を飲んでいた男は慌てて革袋の酒を飲み干してから、二人に少し遅れて外へ出ていった。そしてそれよりさらに遅れて女が外へ、しかし女は急ぐ様子もなかった。

「チキショウ! 圧倒的に多いぞ!!」

 軽鎧を身に包んだ野盗を見たレンジャーが言う。「兵隊崩れかよ!」


 戦後は徴兵された兵隊たちの中には故郷へは帰らず、また帰ってきたとしても流血の日々から日常へ戻ることができず、野盗へと身を落とす者が数多くいた。さらに増産された武器が諸国で余っている状態だったので、賊を組むために武装するコストもそこまではかからなかったのである。もちろん、賊ではなくレンジャーへと転身する者もいるにはいたが、仕事の受注はいつも不安定で生活できるほどの仕事も多くはなく、さらに長い時を通してレンジャー達は選抜される形で実力者とそうでない者の差が明確になっていたため、割の良い仕事のほとんどが名高いレンジャーが受けるようになっていた。結果的にレンジャーから盗賊になってしまう者も珍しくなく、かつて一緒に仕事をした仲間が賞金首となったので追いかける、という事案も頻繁に発生していたのである。

 そして、そんな兵隊崩れレンジャー崩れは戦闘の経験があり、相手の命を奪うことに躊躇がないために、レンジャー達には特に厄介な相手となっていた。


 四人のレンジャーを取り囲んでいる野盗は十一人、既に四人のレンジャー達の中には死の恐怖に身をすくませる者もいた。

「……お前何やってんだよ?」

 と、女の隣にいたレンジャーが訊く。奇妙なことに、女は脱いだマントを改めて腰に巻きつけ、スカートのようにして腰から下を隠していたのだ。

「けっ、お上品なことだなっ」

 しかし、お上品どころかマントを巻き終えた女は野盗の群れの中に単身歩み寄っていった。構えていた三人のレンジャーは呆気にとられていた。女の手には得物もなにもなく、まるで交渉事でもするかのような様子だったからだ。

 そしてそれは野盗も同じだった。命乞いか、それとも何か取引を持ちかけるのか、そう思い誰もが無防備だった。

 そして、女が野盗の群れの目前まで来たとき――

 

 幻影が通り抜けていった。


 女が通り過ぎたあと、一番先頭にいた野盗の横腹からは内蔵が飛び出ていた。

 野盗たちは、何が起こっているかすぐに理解できなかった。

 いつの間に抜刀していたのか、女の手には既に刃があった。

 

 野盗たちは慌てて武器を構え斬りかかった。だが、捉えることができなかった。

 どうやって動いているのか、誰に切りかかるのか、腰から下を隠している女の足さばきが見えず、誰もが女の動きが読めなかった。まるで地面の上を滑るように女は動き回り、そしてその動きは移動と攻撃と避けが一体となっていた。すれ違っては脈、腱を切り裂き、立ち止まっては心臓、喉を正確に突いていく。あたかも自分から死に吸い込まれていくように、野盗たちは次々と斃れていった。

 残る一人、槍を携えた野盗のかしらと思しき男にも女が斬りかかった。男は女の上段切りをからくも槍の柄で受け止める。攻撃を受け止められた女はそれでも刀を押し込んだ。膂力りょりょく※に優位があると踏んだ男は女を押し返そうと腕に力を込め前に出る。男の力の流れを感じた女は突如脱力し膝を落とした。勢い余った男の体勢が前のめりに崩れる。女は脱力した状態から男の脇に潜り、上がりきった腕に刃を押し当て、刀の背に掌を添えて一気に通りぬけた。脈を斬られた男の二の腕から、噴水のように血が吹き出していた。

(膂力:筋肉の力)

 野盗の頭は、吹き出す血を止めようと必死に二の腕を押さえるが、手の隙間からはそれでも止めどなく流血が続いた。刻一刻と消えていく可視化された命の灯火に、野盗の頭はたまらず悲鳴をあげていた。

 他のレンジャー達が文字通り息を飲んでいた僅かな時間、その間に女を中心に死の山が出来上がっていた。まだ息がある者もかなりいたが、それも時間の問題だった。


 男達は一部始終をしかと見ていた。影も形も捉えていた。しかし、そこにあったのは一切の質量のないものだった。

 男達は皆一様に同じことを思った。すれ違いざまに対手の命を幻が掠め取っていくその様は、まるで……。


 女は立ち尽くしていた三人のレンジャーの所に戻り、馬車の中で自分に絡んできた男の正面で立ち止まった。

 男が何か声をあげようとしたが、驚愕のあまり言葉が浮かばなかった。

 そんな男を見て女は涼しげに微笑み、男の股間を鷲掴みにした。

「すまないね、みたいで」

 そして女は馬車へと戻っていった。先ほどとはうって変わって、その後ろ姿は踊り子のように軽やかかつしなやかで、そして歴戦の戦士のように重厚だった。


 ヘルメス・ダニエルズ一帯に“ファントム”の異名をとる女剣士が知られるようになるのは、それから程なくしてのことである。

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