無題

 某年某所にて


此度こたびは藩の剣術指南役を仰せつかった身に余るほまれ、誠に幸甚こうじんの限り。不肖ふしょう伊雅いが源馬げんまこの名誉に恥じぬよう、また何より大殿の期待に添えるよう、ますます技前に磨きをかける所存にてございます……。」

(※不肖:自分のことをへりくだって言う際に使う)

おもてを上げい伊雅の。そこまでへりくだらずとも其許そこもと※の流派は我が千秋藩はおろか、此の国随一との呼び声も高い。此度の起用は当然の流れであろう……。」

(※其許:二人称。あなた。目下ものに対して使う。)

「もったいなきお言葉で……。」

「して、本日其許を呼びだてたのは、陰陽いんよう流を起用するにあたりいくつか気になる点を尋ねておこうと思うてな……。」

「何なりと、お尋ね下され」

「では……陰陽流の奥意※とされる“活人剣かつじんけん殺人刀せつにんとう”とは如何なる意味か?」

(奥意:技芸の最も奥深いところ)

「……活人剣とは、使い手の挙動、術、気によって対手たいしゅ※を意のままに動かし、その動きに乗じて剣を振るう、わば後の先の剣。また柔の剣とも称します」

(※対手:敵、相手)

「では殺人刀とは?」

「殺人刀とは、使い手の挙動、術、気によって対手を意のままに封じ、何もさせぬように剣を振るう、謂わば先の先の剣。また剛の剣とも称します。そして当流派の奥意とは、この相反する二つの剣を渾然一体に極むることにてございます……。」

「殺人刀に関しては理解が及ぶが、活人剣に関してはいささか……。」

「そも、陰陽流はそれがし※が陽明ようめい流の西山金剛こんごうより印可を受けし後、さらに陰影いんえい流を学びて独自の工夫を加え興した流派にございます。そして陽明流の骨子こっし※を殺人刀、陰影流の骨子を活人剣とすることで、術理をより明確にしたのでございます」

(それがし:一人称、私。目上の者に対するとき使う)

(骨子:物事の骨組みとなる主要な事柄。コツ)

「陰影流、話しには聞こえるも使い手は見えぬ、門外不出の剣と聞くが」

「左様にて。ただし、陰影流の使い手と称する者が現れぬのは、門外不出ではなく別の理由がございます」

「では、それは如何な理由か?」

「かの流派、門戸自体は万人に開いておりまする。市井しせいの町民、農民であろうとも道場で学べるほどに。それでも名のある使い手を輩出いたしませぬは、陰影流の術理に原因がございます。陰影流……高次の理合いにあるかの剣は、完成されているとも申せますがその反面机上の空論とも申すことができましょう。それゆえ、ある者はいざ修めたとて道場剣術にとどまり実戦には能わず、ある者は頂きの見えぬ道に心折れ道半ばで剣を捨ててしまう有様にございます。故に、某が陰影流の門を叩いた時には既に陰影流の宗家・田中慶雲けいうんは高齢、後を継ぐ者もなくやがては廃れゆく状況にありました」

「学ぶに易し、修めるにがたしか……。ではその活人剣、其許は修めるに至ったと?」

「……某の生涯をかけても極め尽くせるかどうか。そも、それが出来ぬがために陰陽流を興しましたがゆえ」

「それほどか……。それではその活人剣、まるで永遠に未完の剣と申すようなものではないか」

「返す言葉も……。ただ一人、その奥意に近づいた者が」

「其許の二人の高弟、“双竜”のことか?」

「あの二人をしても、ようやくふもとに足を踏み入れたばかり。いただきは遥か遠くにございましょう」

「……ならば、その者はよほどの天稟てんぴん※があったということか」

(天稟:才能)

「もちろんそれもございましょう。……しかしその者が活人剣を修めるに至ったのには必然がございました」

「必然とは?」

「某はその者に当流派への入門を許してはおりませぬ」

「何?」

「師範代が入門を断った後、我が道場に下働きとして住み込みに参ったのでございます。そして……入門を許されなかったがために、下働きをしながら某や門弟の稽古を、かたをつぶさに盗み見ていたのでございます。故に、剣の打ち込みではなく理合いから先に覚えるに至ったのです」

「まさか……。」

「そしてもう一つ。その者が殺人刀、剛の剣を不得手としたのは……その者が女性にょしょうだった故にてございます」

伊雅いが源馬げんま……貴様わしを愚弄しておるのか。言うにことかいて、女が剣を修めたと申しよるかっ」

「滅相も。ただ事実を申しております」

「……では、その者は何処いづこに? それほどの使い手、しかも女ともなれば諸国に名が広まろうっ」

「何処でございましょうな……。今頃、どこか異国の地で剣を振るうておるのかもしれませぬ……。」

「何? 異国の地? まさか……。」

「ご察しの通りにございます。活人剣を修めなければならなかったのはその者が女性にょしょうゆえ、また入門を許されなかったのは他種族だったゆえにございまする」

「……信じられぬ」

「無理もございませぬ。某も、伝え聞けば噂に尾びれのついたものと一笑に付していたことでしょう。こう話している今でさえ、昨晩見た夢を思い出すがごとき心持ちにてございます」

「……随分と嬉しそうにその者を語るのだな」

「先ほど申しましたように、陰影流は廃れゆく宿命さだめにあった流派、その術理を体現能うは歴代の宗家でも恐らく僅か。さらに実戦での使用となれば田中慶雲ですら果たして……。しかしあの者ならば……

武士もののふとしての血が騒ぎおるか?」

「恥ずかしながら、年甲斐もなく心浮きだっております。もし某の全身全霊を、陰影流の術理を極めたあの者にぶつけたならば、と」

「“千秋の龍”、未だ健在か……ようも飽きぬものよ。いい加減に身をいたわり跡目に譲れ、隠居してもおかしくはない歳であろう」

「申し訳も……。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る