ファントム・ビギンズ
クロウが呆然とエレナを胸に抱いていると、背後から男の声がした。
「お前……とんでもないことをしてくれたなぁ」
そこにいたのは、息を吹き返したカールスだった。バリーの肩に左腕を回し、右手にはエレナを射ったボウガンがあった。どうやら、彼が知る近道を利用され追いつかれてしまったらしい。
「カールス……生きてたの?」
「ああ生きてたとも! その娘は死んじまったみたいだがなぁ!」
カールスはバリーの肩から腕を振り払い、のしりとクロウに歩み寄った。頭のダメージから、ややふらついているようではあったが。
「このクソガキがぁ!」
カールスは裏拳でクロウを殴り飛ばした。エレナの死とカールスの生存で呆けていたクロウは簡単に吹き飛んで倒れた。
「見ろあれを!」カールスが背後を指差して言った。「お前のせいで俺の城が焼けちまってるぞどうしてくれるんだ!? これから俺はどうやって生きていきゃあいいんだ!!」そしてクロウの開いた足の間に体を置いて再び殴りつけた。「もう許さんお前もここで殺してやる!」
降り注ぐ殴打の雨。クロウは殴打の合間からバリーを見る。バリーはカールスに歩み寄り主人を止めようと体にしがみつくが、ただ体にしがみついただけだったので簡単に弾き飛ばされてしまった。
「お前のせいだぞ! お前のせいで多くの人間が不幸になっちまってるんだ!!」カールスはクロウを殴り続けながら言った。「この女を見ろ! お前がそそのかしやがるもんだから、のこのこ逃げ腐って、挙げ句の果てにこのざまだ! あの田舎娘だってなぁ、お前が吹き込んだってことは分かってんだぞ!」
クロウは隣で倒れているエレナを見た。もう生命の残り火が一切ない彼女の瞳と目が合った。気づかなかったが、その瞳からは涙が流れていた。
「お前のせいだ! お前のせいで何もかも台無しだ!!」
クロウは殴られながらエレナを見つめ続けた。エレナを見つめながら、そして殴打を浴びながら、クロウは内なる激情を膨れ上がらせていた。
「……シーナを」
「なんだぁ!?」
「エレナを……。」
「言いたいことがあるなら殺される前に言っておけ!」
クロウはエレナの首に刺さっている矢に手を伸ばし、あらん限りの力でそれを引っこ抜いた。
ふたりを殺したのはお前なんだよ
そして友の首に刺さっていた矢をカールスの右目にぶっ刺した。
「うぎゃぁあああああああああああ!!!!」
カールスは飛び上がるようにクロウから離れ、激痛で地面の上でのたうちまわった。
のたうちまわるカールスの横で、クロウは体中をめぐる痛みに耐えながらゆっくりと起き上がる。ふと顔を上げると、彼女の目の前には同田貫が転がっていた。一キロ程度の重さの刀だったが、クロウはそれを軍旗の様に全身で持ち上げ、激しく呼吸を乱しながら鞘と柄を握り、まるで自分の体に刺さっている刃物を抜くかのように絶叫しながら抜刀した。
抜刀したクロウは、一歩一歩確実にカールスの元へと歩いていく。
そして刃が老人に届く距離になった時、クロウの全身の細胞にえもいわれぬ電流のような感覚が駆け巡った。クロウは荒れる呼吸を整えながら、祈るように目を閉じ両手で刀を握り締めた。
英雄だった父には捨てられた。
愛を求めた母はこの世を去った。
心を預けた男には裏切られた。
応えてくれる神はいなかった。
友と見た淡い夢は露と消えた。
差し出した手は、繋がれることなく
だが、今この手中にある、刃を握り締める感覚だけは確かだった。
女は知る。この感覚こそが、自分の手が探り続けたものなのだと。自分の前にある理不尽を切り開く、この
「……よぉカールス」
カールスは悲鳴を上げながら、残った左目で声がした方を見上げた。そこには生殺与奪の権利を意のままにし、散々こき使い続けた娼婦の小娘はいなかった。代わりに全く見知らぬ女が自分を見下していた。
女は憤怒で髪を赤く燃え上がらせ、歓喜で瞳を黄金に輝かせ、殺意で刃を白銀に濡らしていた。
カールスはその女が何者か知ろうとは思わなかった。抵抗しようとも思わなかった。心を奪われたように見つめ、その女が自分の運命なのだとただ受け入れていた。
私たち、ようやく対等になれたな
そして女は刃を振り下ろした。
刃はカールスの肩口を切り、鎖骨を断ち、肋骨砕き、肺を裂いた。
カールスは口から血を吹き出し、叩きつけられたかのように勢いよく地面に倒れた。
一部始終を傍から見ていたバリーは腰を抜かしていた。クロウが彼を睨むと、バリーは許しを乞うように体を丸めた。
「……なぁバリー、命が惜しいかい?」
バリーは何も答えられなかった。だがそれでもクロウは続ける。
「いいよ、見逃してやっても」
バリーは安堵してクロウを見た。
「あの男に止めを刺したらね」と、クロウはまだかろうじて息のあるカールスを顎でしゃくった。
バリーが目を見開いて泣きそうな顔で首を振る。
「お前さんいつか言ったろ? 私の手を引いて故郷に連れてってくれるって」クロウは微笑んで言う。「今がその時だぜ?」
クロウはカールスから離れた。そして、それでやれよとバリーに命令する。バリーの腰には、護身用の片手剣があった。
カールスは凄まじい出血で気を失っており、絶命するのは時間の問題だった。そんなかつての主人の傍らでバリーはふらつきながら膝をついた。バリーは主人を視界に入れながらも、実際には誰も見てないようだった。
クロウは納刀しながら言う。「急いでくれよ。もしかしたらカールスの仲間の娼館の連中が来るかもしれない。役人だって来るだろうし。始末をつけたらとっとと逃げよう」
クロウのその言葉にバリーは体を強ばらせたが、やがてぶっきらぼうに片手剣を鞘から抜き出した。
「いやぁ、楽しみだねぇ。黄金の風だっけ? そこでお前さんと末永くやってくってのも悪くはないね」
「……さいよ」とバリーが呟いた。
「うん?」
「……うるさいんだよぉこのアバズレがぁ!」
追い詰められたバリーは、片手剣を振り上げクロウに襲いかかった。
役人を含め、町の人間が間もなくやってくる。言い逃れはできない。自分は既に抜刀しているし振りかぶってもいる。何より、クロウが納刀していることも確認している。
バリーはすべてを天秤にかけていた。それは主人の足元で安全に過ごすために培った、今まで計り間違えることのなかった天秤だった。
「……あれ?」
それなのに、バリーの腹部にはクロウの刀が深々と沈み込んでいた。
熱さと冷さと痺れが混じったような感覚が腹の奥を走った。刀で斬られたことなど、これまでの人生で味わったことのないバリーだったが、その感覚が取り返しのつかないものだということを本能で理解した。
「分かってたよ、バリー」クロウは刀をゆっくりとバリーの腹に滑らせる。「だってお前さん、強い者には絶対に逆らわないって目ぇしてるもん……。」そして刃はバリーの腹部を完全に切り抜けていった。腹膜の切り裂かれたバリーの腹から、バケツの水をひっくり返したような音を立てて臓物がこぼれ落ち、絞り出すような悲鳴を上げてバリーは倒れた。
クロウはバリーを見下しながら刀を振って血糊を払い、エプロンで血を拭って納刀した。
しばらく周囲を漠然と見渡し、体中にみなぎる殺気が治まるのを待ってから、クロウはエレナの亡骸を抱き上げ山道の脇の藪に入り木の根元に彼女を寝かせた。
「ごめんなさい。貴女をここに置いていく」クロウはなるべく彼女の眠りが妨げられないよう、申し訳程度に木の枝でエレナの体を隠した。「エレナ、私は後悔も後戻りもしないよ。だってそんなことをしたら……貴女の夢見た“別の人生”ってのが嘘になるから……。」
クロウはもらっていくね、とエレナの翼から薄い桃色の羽を取り懐に入れた。
クロウが山道に戻ると、そこには吟遊詩人のジェイティがいた。
「お前さんは……。」
「お久しぶりねぇ。今夜もカールスさんの所にお伺いするはずだったんだけど……。」ジェイティは耳で火事の音を、鼻で煙とすぐそばにある二体の死体を視て言う。「どうやら、それどころじゃないみたいね」
「そう……だね」敵か味方か分からない彼女を警戒してクロウは言った。「じゃあ、私は急がなきゃいけないから……。」と、クロウは駆け出した。
「ねぇっ」去ろうとするクロウをジェイティが呼び止めた。
「何?」
「貴女のさっきの抜刀術、どこで教わったの?」
どうやら、ジェイティはバリーを斬ったところも視ていたようだった。
「え? ああ、以前お前さんが娼館でやってたのを見よう見まねでやったんだよ」
ジェイティが顔をクロウに向けた「……見ただけであれを覚えたというの?」
「だから真似ただけさ」と、クロウは肩をすくめた。「昔から物覚えは良い方なんでね」
「……そう」
その場を去ろうとしたクロウだったが、そうだと再びジェイティを振り返った。
「なぁお前さん。私に剣を教えちゃくれないか?」
「私が?」
「ああ。お前さんの剣術なら、私にも合うかなってね。でっかい剣をぶん回すやり方じゃあどうあがいても身につかないし」
「……私の剣は盲人の剣。例え貴女が覚えられたとしても役には立たないわ……。」
「そう……か」
「もし、どうしても剣を習いたいというのなら、東へ向かいなさい」
「東?」
「そう。大陸の遥か東方、竜人の国を越えてさらに海を挟んだリザードマンの国。そこの剣術なら、今貴女が持っている剣に相応しい技術が身に付くはずよ。私も、放浪していたリザードマンに剣の基礎を習ったの」
「リザードマン……。ありがとう、記憶にとどめておくよっ」
そしてクロウは走り出した。
走り去っていくクロウを視ながらジェイティが独り言つ。
「そう、貴女もなのね。貴女も、“原罪の子”の一人なのね」ジェイティはもう見ることの叶わない星空を見上げて言う。「楽しみだわぁ。早く強くお成りなさい。そして貴女が狩るに相応しい獲物になった時……。」
ジェイティは顔を下げクロウの後ろ姿を視た。
「その時に、きっと貴女も吟遊詩人の声を聞くでしょう」
翌朝、21区からドワーフの治めるアルセロール領へと向かう荷馬車の荷台に一人の女が乗っていた。前日からの冷えた空気はとうとう雪を降らせていて、女は荷台の上でマントに身を隠し小さく目立たないように体をうずめていた。
出発の準備を終えた荷馬車の主は女に言う。「ねえちゃん、アンタどこに行くって言ったっけ?」
マントの影から金色の瞳が男を見た。「……東へ」
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