ビフォア・ファントム㉗姿なき墓標

 騒動から間もなく、バリーに呼ばれクロウは接客を命じられた。


「……何かすごい人でしたね」

 結局あの後演奏は盛り上がらず、ジェイティは彼女のもうひとつの仕事である按摩を申し出たりもしたが、それもあの体を見たせいで気乗りしない人間が多く、結局これ以上のパフォーマンスは無理だということで予定より早く帰ってしまった。

「……クロウさん?」

 バリーに話しかけられるもクロウは上の空だった。

「え? ああ、そうね」

「え~と、大丈夫ですよ。ご指名いただいているお客さんは、常連さんで評判のいい方なので」

 バリーの「大丈夫」はあくまで本人の願いであり、娼婦にとっては気休めにすらならないというのは、ここで働いて一ヶ月も経たないうちに学んだことだった。

「心強いわね……。」

 しかし、バリーと会話をしながらもクロウはシンディのあの動きのことが気になっていた。彼女のあの動き、あれは速かったのではない。少なかったのだ。見た限りでは、体を捻るのではなく体軸ごと移動する動き。クロウはそのシンディの体術を真似ようとするあまり、歩き方がぎこちなくなっていた。


 クロウが客室に入ると、そこには赤毛の男が沈痛な面持ちでベッドに座っていた。体の汚れ具合から鉱山の労働者のようだったが、どうも様子がおかしかった。

「ご指名ありがとうございます。クロウです」

 挨拶をしたが、男は先ほどのクロウのように上の空だった。これから女を抱くというのに、この男は大丈夫なのだろうかと心配しながら男の隣にクロウは座った。もっとも、娼婦としても使方が、終わった時に適当な言葉で男の自尊心を傷つけないよう優しい言葉をかければいいだけなので、助かるといえば助かるのだが。

「鉱山の方かしら? だとしたらお仕事明け? 随分と元気なのね」

 クロウは満面の作り笑いで男に話しかけた。だが、やはり男は心ここにあらずといった感じで反応が薄い。緊張しているではなく、むしろ何事かに囚われ弛緩しているようだった。

「会話がいいなら良いわ。私も楽だし。服はどうするの? 着たまま? それとも脱ぐの?」

 男が返事をしないので、クロウは自分から服を脱ぎ始めた。だが、クロウが下着姿になったというのに、男は何も行動を起こそうとしない。

「……ビスケットとミルクを用意しましょうか? それとも絵本を持ってきて寝かしつけてあげた方が?」気の短いクロウは途端に口調を変えた。「ねぇ、私は貴方の母親じゃあないの。お金さえもらえればいっときだけ、貴方の妻にも娘にも情婦にもなってあげるわ。でもね、産んであげることは出来ないんだから、そこんところは理解してくれる?」

 男は驚いてクロウを見た。まずい言い過ぎた。ぶたれるか店にクレームを入れられるか。クロウは毅然とした表情だったが心臓は強く脈打っていた。

 しかしそのいずれかではなく、男は黙ったまま服を脱ぎ始めた。何だよ結局するのかと、クロウは男が脱ぎ終わるのを待った。


 肉体労働に従事する男の体は大きく二つに別れる。ひとつは元々筋骨の太い男が、肉体労働を通してさらにそのサイズを上げた体。肉体労働をやるための体と言っていいだろう。もうひとつは、元々は筋骨が太くなかったにも関わらず、肉体労働に従事し続けたせいでやせ細ってしまった体だ。しかし残った筋肉は針金のように硬く締まり、コツさえ間違えなければ体の大きな男と遜色ない働きをする。そして、その客は後者の体だった。男の体は肉体労働の仕事明けでお世辞にも綺麗とは言えなかった。あまりにもひどい場合は、一旦井戸で水浴びをすることも案内するのだが、鼻が敏感なクロウにとっては目くそ鼻くそで、どの男も悪臭の塊にしか思えなかった。


 下着姿で足を組んでクロウが言う。「どうするの? 受身がいい? それとも……。」

 男は何も言わずにクロウに抱きついた。

 別に無口な男は初めてではなかった。クロウは次に来る男の動作、胸を揉むのか吸うのか、でも噛むのは勘弁してほしいなと思いながら目を薄くつむった。

 しかし、予想した動作はどれも来なかった。男はクロウの胸に顔をうずめて静かに呼吸をしているだけだった。それとなく男の股間の状態を足で撫でて確認してみたが、男の性器は沈黙したままだった。

「……あの?」

 男は語り始めた。「今日、鉱山で落盤事故があったんだ……。」

「……事故?」

 男は胸に軽く頬ずりして続けた。「友人が生き埋めになってね……。」

 クロウは相槌もうたず聞き続ける。

「奴の故郷に送れるものは何もなくて……。あの鉱山がアイツの墓になったよ。数人一緒に生き埋めになったから、何ともまぁ馬鹿でかい共同墓地だ。けど監督はその後に安全の確認すらしないで作業を始めやがって、明日も通常通り開坑※するんだと。本格的に冬が来て経費がかさむ前にね。つまり俺たちは暖をとるための燃料費以下ってわけだ」(※ 採鉱、採炭の準備のため坑道を掘削すること)

「……どうしてそんな所で働くの?」

「どうして? そりゃお前さんと同じだよ。好きこのんでこんなところには来ない。必死に生きてただけなのに、気づいたらここに流れ着いたのさ」

「……ここから逃げようとは?」

「どこに? ここが終着点だというのに」

 男は再びクロウの胸に顔をうずめた。

「……どうして私にそんなことを話すの?」

「さぁな……。もしかしたら何か残したかったのかもな」

「残す?」

「もし俺が明日死んじまったら、もう世界には何も残らない。だからせめて娼婦でもいい、誰かの記憶の片隅くらいには居場所が欲しかったのさ」


 娼館に来る男たちは、何も性欲を発散するためばかりに来るのではなかった。人として扱われない日常の中、精神の均衡を保つために女の温もりを求めた。少しでも自分の境遇に疑問に抱こうものなら、体は酷使されることを拒否し病や怪我に倒れた。それでもある者は具体的に行動を、鉱山からの逃亡を図るのだが、逃亡に失敗した労働者は逃亡した娼婦よりもひどい扱いを受けるのが常だった。拷問を受けたあと、不具の体でも用足りる娼婦と違い、動けなくなれば用無しとなりそのまま森や鉱山のゴミ置き場に打ち捨てられ、最期は衰弱死するか獣の餌になるかだった。


 クロウは個室の窓から遠く見える製鉄所を見た。そこは夜中だというのにまるで活火山のように赤く黒く照っていた。

 あそこで燃えているのは鉄ではない、人だ。人の命をくべて燃え盛っているのだ。男たちの命を資材にして、そして女たちをその資材の養分にして、鉱山は開拓され、たたら場は燃え盛る。ここは墓場だ。あの白々しい街の繁栄から落ちた者がたどり着く場所はこの墓場であり、墓場は成長するために墓穴は大口に開けて待ち構え、常に餌を求めているのだ。クロウは、いずれ自分も姿なき墓標に眠りやがて土となり、その血が鉄として採掘されるのではという妄想に身の毛がよだつ思いがした。


 クロウは知らず知らずのうちに男を強く抱きしめていた。奴隷である限り、いずれあそこの土になることは避けられない。ゆりかごが選べないのならば、墓標くらいはせめて自分で選ばないと……。女は、諦めた男を胸に決意を抱いた。

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