ビフォア・ファントム㉖転生者の爪痕

 店が開店して間もなく、一階の広間に用意した即席の舞台が用意され宴が始まった。開店前にバリーが言ったように、21区の娼館はカールスの店だけではなかったので、娼館に来た客をもてなすためにサービスで差をつける必要があったのだ。客間には音楽が流れ、やがて酔っぱらいが湧き、女を求める淫靡な吐息が部屋に立ち込め、理性を働かせない会話が溢れた。

 室内に流れるこの国の楽器とは違う独特の音色を奏でる三味線と唄は、艶やかでありながらもどこか悲しげな雰囲気がした。女を抱く前だというのに、そんな落ち着いた音楽を流されては気持ちが萎えそうなものだが、男たちの誰ひとり彼女の演奏に文句をつける者はいなかった。しかし……。

「ようねえちゃん、アンタ俺のタイプなんだよなぁ。演奏はいいからよぉ、俺と部屋でいいことしねぇか? 料金はきちんと払うから良いだろぉ?」と、調子に乗った客の一人が彼女に突っかかってきた。

 クロウが「この人は娼婦じゃないんですよお客さん」となだめるも、既に酒を飲んで出来上がっている男は一向に引き下がらない。

「うるせぇな、ここは娼館なんだろう? だったらここに居る女は全員男に股ぁ開くべきじゃねぇのかよっ」

 改めて困りますと抑えるようとするものの、クロウはその男に突き飛ばされてしまった。唯一の男手のバリーはといえば、オロオロしながらその場で行こうか戻ろうかとステップを踏み続けていた。

「ほらよ、チップは弾むからっ」

 男がそう言って硬貨をジェイティに投げるが、次の瞬間、広間の客たちもクロウも我が目を疑った。

 ジェイティは飛んできた硬貨を、三味線のばち※で演奏ついでに弾き飛ばしたのだ。

(※三味線を弾くへら状の道具)

「……え?」

 男は確認するように再び硬貨をジェイティに投げつけた。すると、またしても彼女は撥でそれを弾き返し、そして弾き返された硬貨は見事に男の額にぶつかった。

 あまりの見事さと間抜けさに、他の客たちが思わず失笑する。

「テ、テメェなめてんのかよ!」

 たいした痛みではなかったが、周りの客たちに恥をかかされた男は引くに引けなくなりジェイティに詰め寄った。

 だが男が近づいた瞬間、ジェイティは三味線を素早く自分の横に置き、その隣にあった杖を取った。そして、彼女が正座の状態から右膝を立てる座り方に変わると共に、男の前を光が走った。

 男が気づいた時には、目の前に抜刀を済ました女の姿があった。呆気にとられた男が改めて動こうとすると、男のベルトがちぎれてズボンの股上がくるぶしまでストンと落ちた。

 男だけでなく、客間にいる全員が息を飲んでいた。盲人用と思われた女の杖は仕込み刀になっていて、一瞬の居合で正面の男のベルトを断ったのである。

 ジェイティは素早く刀を手中で廻し杖に納刀した。

 男は恐怖と怒りで感情のやり場をどうしていいか分からずに体を震わせていると、ジェイティは立ち上がり男の方へ歩み寄った。

「おにいさん、私を……抱きたいの?」

 男はジェイティに気圧され、先ほどの悪乗りを忘れたように唖然とつっ立っていた。

 ジェイティは男に微笑むと袖から両腕を引っこめ、襟から腕を順番に抜き出した。そして両腕が外に出るとするりと帯の上から上半身がはだけ、彼女の肩が、そして胸が露わになった。

 着物の上からでも見て取れたジェイティの真っ白な肌と豊満な胸、男たちはその色香漂う裸体を見て興奮のあまり息を呑むはずだった。だが……。


 確かに男たちは息を飲んだ。ただし、それは恐怖ゆえだった。


「どうしたのかしら。なぜ黙っているの?」

 彼女の白い躰の真ん中には、おぞましい紺色の痣が巣食っていた。

 いったい、何の病のためにそうなっているのか誰も分からなかった。医者も魔術師もその場には誰ひとりいなかったものの、こんな状態の彼女が生きているのは怪異であると誰もが思わずにいられなかった。

 数人が後ずさりするのを感じてジェイティが言う。「大丈夫よ。これは感染するものではないわ。私の近くにいて死んだ人間なんていないもの……。」そしてジェイティは腰を抜かして床に尻をついている男を“視た”。「さぁ貴方、私を抱いてちょうだいな。安全とは言っても、これのせいで長いこと誰も相手をしてくれないのよ」

 だが、そんな彼女の誘いに男は全力で首を振り続ける。

 ジェイティは残念ね、と両腕を袖に通して着付けをなおした。

「ア、アンタ、もしかして黒王領から来たのか」と、客の一人が言う。

 ジェイティはその客のいる方向を感知しそちらに顔を向ける。「あら、物知りな方がいたのね。……そうよ、転生者の遺産に蝕まれたの」


 旧黒王領。それは、転生者が“最終決定”により『もうひとつの太陽』を使用し、そして死の大地となった場所である。まるで太陽が落とされたように強烈な閃光で焼け爛れた大地は、その後もその周辺に住まう生き物たちの体を、見ることはおろか感じることもできない毒で蝕んでいったという。いかなる医学も魔術も通用しないその病気を恐れ、入植に住み着いた人間もエルフも、さらには元々住んでいた魔族でさえその土地を捨てなければならなかった。


「私の娘は全身がこうなって……最期は溶けた内蔵の欠片かけらを口から吐き出して死んだわ。……もう20年近く前のことになるけど」

「に、20年? ……アンタいくつだよ? てか、なんでそんなんで生きていけるんだ?」

「女は秘密を一度に語らないものよ。……しらけちゃったわね。ノリのいい曲でも弾きましょうか」

 そう言って女は再び正座になり、三味線を弾き唄い始めた。だが、どれほどアップテンポの曲を演奏しようが、先ほどの衝撃をぬぐい去ることなど当然できなかった。

 それほどまでにの出来事は大きかった。そしてそのために男達はの出来事を忘れていた。盲人でありながら、男のベルトのみを切り裂いた女の剣術の驚異を、その場にいた全員が。

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