ビフォア・ファントム⑭嫌疑

 嫌がらせは店がオープンした後も続いた。ステージ上で踊っている最中に足を掛けられそうになったり、わざと体をぶつけられたりと散々で、降りてからの接客の時間でも滅多に応援に呼ばれない上、呼ばれても「この雑種なんだよ。見てほら、私と違って耳が変なところから生えてるの。不気味だよねっ」と、フェルプールの同僚に露骨に出自で差別される始末だった。

 同僚にも客にも味方がいない。しかしやはりクロウには分からなかった。なぜ自分を踊り子たちが嫌うのかが。


 気疲れしたクロウは、踊り子たちの目が向いていない時を見計らって裏口から外に出た。街に来てから覚えた煙草を吸いながらぼうっとしていると、彼女の目の前をゴミ出しをしに来たサンが通った。

「あ、サン」

 クロウが声をかけるが、サンはクロウに気づくと気まずそうにそそくさとその場をさろうとした。

「ちょっと待ってっ」

 クロウが追いかける。サンは小走りで逃げていたが、小柄なホビットの小走りは簡単に追いつかれた。

「どうして逃げるの?」

 その問いかけにサンは困ったように目をそらす。

「ねぇ、今日はみんな変だよ。私が何かした?」

 サンは周囲を確認してからクロウに近づき小声で話し始めた。

「踊り子連中がさ、店の金盗んだの、アンタだって噂してるんだよ……。」

「……そんなっ。そんなわけないじゃないっ。一体どうして――」

 サンは慌てて「シーッ」と人差し指を口の前に立てる。

「あくまでそう噂されてるってことだよ」

「なんで? 誰がそんなこと……。」

「知らないよ。こういうことは誰が言い出したなんてわかりゃしないんだ」

「……貴女も、信じてるの?」

 サンはクロウを哀しげに見てからうつむいた。「信じるとか信じないじゃないよ。こういう場合は乗るか乗らないかなんだ。悪いね、ウチだってここでもうちょっと穏やかにやっていかなきゃならないんだ。その……まぁアンタのことを率先して悪く言ったり、直接害になることはやらないからさ、勘弁しておくれよ」

 そう言ってサンはじゃあねと、店に入っていった。だが……。

「……言ったろ、あの男はやめといた方がいいって」と、扉に手をかけたサンが背中越しに言う。

「……え?」

 サンが振り向く。「アンタの男とその仲間が、常に金策してうろついてるってのはこの界隈じゃあ有名な話さ。アンタに貢いでた金だって、一体どこから出たのやら。今回のことも、アンタをダシにして店の様子を探ったんじゃないかって言われてるよ」

「うそよっ」

「分かってるって。だけどねクロウ、如何わしいもんに近づいたら臭いが移っちまうもんなんだよ。だからそういうもんには何があっても近づかないのがこの街の処世術なのさ」

 サンはだから忠告したのに、と言い残してドアを開け店に入っていった。


 明けて翌日、クロウは出勤するとすぐに支配人に呼び出された。

 支配人の部屋に入室すると、今回はまるで役人の取り調べのように支配人もマネージャーも厳しい目つきでクロウを見ていた。

「……どうして呼び出されたか分かるかい」と、マネージャーが言う。

「……まったく」クロウはキッパリとは言えなかった。

「踊り子たちが噂しているんだ。君が店の金がなくなったことに何か関係しているんじゃないかってね」

「……そんなこと言われても」

「君の恋人の仲間が……事務所の近くをうろついていた、という話もある」

「知らないって言ってるじゃないですか。ていうか、誰です? その見たっていう人はっ」

「私から明かす訳にもいかんよ、特に信じているわけでもないからね。ただ……そのせいで職場の雰囲気が非常に悪い」

「私はやってませんっ」

「ああ……私もそう思いたいよ」

「“思いたい”って、それどういう意味です?」

 支配人がマネージャーを見た。要するに、話しづらい事は彼に話させるということだろう。

「クロウ。この店に来て、君も少しはここの暗黙のルールというものが分かったんじゃないかな? 私たちが気を付けているのは、踊り子たちが円満に仕事をしてくれることだ。不協和音は避けたいんだよ。現状、君がいることでとても他の踊り子たちが不安を感じている。原因は取り除きたいんだ」

「つまり、私をクビにすると? 疑わしいってだけで?」

「いやいや、そうは言わないよ。ただしばらく下働きに戻ってもらおうとね。ほとぼりが冷めたら、また戻ればいいじゃないか」

「そんなの、やっていないのに仕事を外されたりしたら、やっているって認めてるようなものじゃないですかっ」

「大げさだ。踊り子連中には言っとく。君も彼女たちも、そうした方が働き易いだろう?」


 結局、売り上げに貢献していないクロウに店側は味方するつもりがなかった。いてもいなくても大差がなく、それどころか面倒の元になるのであれば彼らとしてはかばう理由がないのである。

 しかし、それはクロウには受け入れ難かった。何よりもクロウにはやましいことがなかった。さらに、昨日ヒムにフェレロの肩代わりをさせられたばかりなのに、下働きに戻っては借金を返すことなど永遠に不可能だ。


「無理です……。」

 マネージャーがクロウに何かを言いかけた矢先、支配人が告げる。

「クロウ、これは命令だ。嫌ならこの店を出て行け」


 クロウは目の前が暗みがかっていた。支配人の部屋を出て、明るいはずの楽屋に戻っても照明が落とされたように暗かった。目の前が真っ暗になるという表現は何も比喩ではない。目の前の現実が受け入れ難い時、瞳もまた光を取り入れることを止めるのである。

 周囲の風景に現実味を感じないまま、クロウは楽屋にあった自分の荷物を雑にまとめ上げ楽屋を去っていった。誰かが去り際に「コソ泥」と彼女を侮蔑した。クロウには、声の主を確認しようとする余裕もなかった。

 クロウは店の廊下を茫然自失としながら歩き続けた。しかし、ふと忘れていた何かを思い出し、それが怒りだと分かると楽屋へとまっすぐに引き返す。彼女の顔は凍り付いていたが、足は憤怒で床をしっかりと踏みしめていた。

 クロウは楽屋に入るなり「クソッタレ!」と、化粧カバンを踊り子たちがたむろっている所に投げつけた。化粧カバンは踊り子の一人の足にぶつかってから床に落ち、中身を盛大に絨毯の上にぶちまけた。

「テメェ何すんだよ!」

 数時間後には男たちに砂糖菓子のように甘ったるい嬌声を上げて媚びる踊り子たちだったが、その姿が到底想像できないほどの粗挽きな罵声とともにクロウに掴み掛った。

「このアバズレ!」

 罵り合い髪を引っ張り合い、女たちの本気の喧嘩はお互いの柔肌に青痣と爪痕を残した。騒ぎを聞きつけた男性従業員が介入し、体を張ってようやく収まった程だった。

 そしてクロウは、その場で解雇を言い渡された。

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