ビフォア・ファントム⑬死神が差し出す手
部屋の前まで来ると、まずホーマーがドアをノックして入室し、その後にクロウが続いた。
室内はフェレロの取り巻きがただのやんちゃ坊主に見えるくらいのゴロツキで溢れていて、筋肉質な彼らのせいでクロウは雄の臭いにむせ返りそうになった。男たちの体つきを横目で見ると、その体はガタイの良さに加えてどれもまともではなかった。怪我はもちろん体の一部が欠損していたり、刺青やピアスが施されている者もいた。
二人が部屋の中ほどまで入ると、クロウの近くにひとりの、背の低い男が近寄ってきた。男は獣耳を持つフェルプールだった。同族との結束を重んじるフェルプールのグループにいないということは、この男はよほどのことをやらかしてコミュニティから追い出されたということだろう。男はクロウの臭いを確認するかのように鼻をすすっていた。
そしてその部屋の隅には、ホーマーほどではないが顔を腫らしているフェレロが申し訳なさそうにつっ立っていた。
「フェレロ!」
クロウが駆け寄る。だが、フェレロは目をそらしたまま何も応えない。
「大丈夫なの?」
「あ、ああ……。」
「一体何が……。」
ゴロツキの一人が口を挟む。「おいおいネエちゃん聞いてないのかい?」
「ホーマーが仕事で失敗したってことでしょ?」
「それから?」
「それからは……。」
「何だよ聞いてないのかよぉ?」
クロウが困惑していると、
「単刀直入に言おう。この男がウチに与えた損害の肩代わりをしろ……。」と、羽虫のように小さく不快な死神の声が部屋を支配した。か細い声が、部屋に充満していた獣たちの喉のさえずりさえもピタリと制す。
クロウはヒムを見た。
ヒムが続ける。「承知の上で、お前はここまで来たんだろ?」
「……いくら、用意すればいいの?」
「聞いてないのか……。」
ヒムはホーマーを一瞥した。ホーマーはその視線のみで呼吸困難になり、岸に打ち上げられた酸欠状態の魚のように口をパクつかせた。
クロウはフェレロを見るが、その顔はもう既に全てを諦めきっていた。
「……9000ジル用意しろ」
「きゅうせ……。そんなっ」
「嘘っす、最初は1000ジルだったんっすよ! インチキじゃねぇっすか!」
ヒムがため息をつくと、天井に頭が突こうかという程の大男がホーマーの襟首を片手で掴んで持ち上げた。
「お前が殺しちまった男も同じことを言ってたよなぁ? そいつ片付けるのにどれだけかかったと思ってんだぁ?」
ホーマーは涙こそは流さなかったものの、顔をクシャクシャの泣き顔にしてひぃっと、悲鳴を上げた。
ヒムが言う。「……用意、できるか?」
「もし、できないって言ったら?」
「どうもしない。別に、お前は明日から普通に踊り子として店に顔を出せばいいいさ」何も問題はないようにヒムは言う。「ただ、お前は明日から一人であの部屋に帰ることになるが」
死神は大したことではないだろう、という具合にクロウを見た。選択肢などなかった。
「でも、どうやってそんなお金……。」
「無理だろうな。お前の同僚に聞いたぞ、お前は踊り子の中ではそんなに稼ぎが良くないと。……だがそれは直ぐにの話だ。お前の稼ぎを毎回私のところに持って来い。踊り子の稼ぎなら最低でも三・四年で何とかなるだろう」
「そんな……。」
「それが嫌なら、私の知り合いの店で働くってのはどうだ?」
「え?」
「そこなら、三・四年とは言わずに返済できるはずだ」
「……でも」
「知ってるぞ、お前フェルプールの雑種なんだろう?」
クロウはフェレロを見る。フェレロは顔をそらした。
「お前らの種族で三・四年てのは随分と痛手だ。女として稼げる時間が短いからな」
「……でも、急には無理です」
ようやく慣れた職場だ。何より、この死神の知り合いの店というだけで、田舎出のクロウですら嫌な予感がしてならなかった。
「そうか、それなら仕方ない。……じゃあ、毎月の給料を私のところに持ってこい」
ヒムはフェレロのそばのゴロツキに目配せをした。すると、そのゴロツキがフェレロの背中を突き飛ばすように押してクロウの前まで差し出した。
「フェレロ……。」
クロウがフェレロの肩を抱いて倒れないようにする。
「話は終わりだ。帰れ」
ヒムが言うとゴロツキたちは塞いでいたドアから離れ、二人は周囲を伺いながら部屋を出ていった。
出て行く二人にヒムが「逃げようなんて考えるなよ。その時は必ず誰かにしわ寄せがくるんだ。なぁフェレロ、今さらお前がそれを知らなかったじゃあ済すまされんよな?」と、念を押すように声をかけた。
ヒムの事務所からの帰り道、二人はしばらく無言だった。クロウはフェレロをいたわりながらも、自分のことをヒムに話していたこの男に少しの不信感を覚えていた。
「すまない……。酔った勢いでお前のこと自慢しちまって、それが社長の耳に入ったんだ……。」
普段のクロウだったら、この言葉に喜びを感じていたかもしれない。だが、サンと支配人の言葉が気がかりで、素直にはなれなかった。
「一杯、やってくか?」
途中、繁華街にある店を見ながらフェレロが言った。
「そんな余裕、あるの?」
「こういう時こそ景気づけをしないと」フェレロは、さっきまで自分たちが土壇場だったことを忘れたかのように不真面目に言う。
そんなフェレロに、クロウは感情的に言い返す。「こういう時って、お金返すまでずっとこんなままなんだよ?」
フェレロは不機嫌そうに分かったよと、クロウが貸していた肩から腕を振りほどいた。
その夜、昼間のこともあって気乗りのしないクロウの体をフェレロはしつこく求めてきた。だがせっかく受け入れたにも関わらず、口づけも愛撫もいつもよりも随分とぞんざいで、さらにクロウが嫌う後背位で男は何度も力任せに腰を突き続けた。最後の射精寸前の呻き声に至っては、苛立ちが混じってさえいた。
「……出す時は外にって言ってるのに」
太ももを伝うフェレロの生温かい精液が、今夜は一段と不快に感じた。
「別に、子供できないんだからどうだっていいだろ」
そう言ってフェレロはことが終わるすぐにクロウに背を向けて、寝息を立てて眠り始めた。
そういう問題じゃないのに。クロウはベッドを降りて流しで足を開き、ナプキンで陰部と太ももを、精液のベトつきを拭い去るためあかぎれになる程に何度も強く拭った。濡れたナプキンが、鬱陶しく重々しかった。
翌日、出勤したクロウが楽屋に入ると踊り子たちが一斉にクロウを見た。
「……おはよう」
一斉に浴びせられた視線は、ひとつまたひとつとクロウから離れていく。
訝しげに思いながらも化粧台に座ろうとすると、クロウが普段使っている化粧台には物置のように踊り子たちの私物が置かれ、彼女の物を置くスペースがなくなっていた。
クロウは隣でメイクをしている踊り子に訊く。
「……ねぇ、ちょっとこの荷物誰の?」
「……知らない。てかさぁ、そこだって別にアンタのってわけじゃないでしょ? 他でやれば?」踊り子は一瞥もくれずに鏡を見ながらメイクする。
「他があいてないから言ってるんでしょ?」
「だから知らねぇってのっ。探せよっ」
クロウは楽屋を見渡した。やはり空いている化粧台はなかった。
誰かが「トイレでやってくれば?」と言った。クロウは声の方を見たが、声の主は分からなかった。
仕方なくクロウはトイレに行き、洗面台の鏡でメイクを施した。服が床で汚れぬように折りたたみ、体を小さくしながら施すメイクは、元々化粧の良し悪しの分からないクロウでも出来が良くないことが分かるくらいだった。
クロウがメイクを終えて楽屋に戻ると、化粧台の上においていたカバンが床に落ち、中身がぶちまけられていた。
「ちょっと……。誰がやったの?」
しかし、誰も答えない。
クロウは部屋を出る前まで席の隣にいた踊り子に訊く。「……ねぇ、貴女隣に座ってたから知ってるでしょ、誰?」
「はぁ? 何でも人に聞いてんじゃねぇよ?」
「分からないから訊いてるんでしょ!」
「テメェで考えろよ!」
「考えるってそんなの……。」
クロウが楽屋の踊り子たちを見渡すと、踊り子たちは意味深な表情をして顔をそらした。
そういうことか……。
クロウは踊り子全員が自分の敵に回ったことを知った。
だが分からないことがある。なぜ、彼女たちは自分を目の敵にするのか。
過去に、売れっ子であることを鼻にかけた踊り子が嫌われたことは知っている。鼻にかけなくとも、トップだったことを根にもたれ嫌がらせを受けた踊り子のことも。しかし、踊り子の中では底辺で衝突などもしたことのない自分がなぜ嫌われているのか、クロウは全く理解できなかった。
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