ビフォア・ファントム⑮転生者の遺産
クロウが長屋に戻ると、フェレロが酒を飲んでいた。
「やぁお帰り。あれ? どうしてこんなに早いんだ?」
クロウは無言で荷物をテーブルに置いて席に座った。
「……どうしたんだ?」
それでもクロウは答えず、頭を抱えたままだった。
「おいおい、黙ってたら分からないだろう?」
「……クビになった」
「……え?」
「踊り子をクビになったのっ」
「どうして?」
「知らないわよ。こっちが聞きたいくらいっ」
「……どうすんだよ」
どうすんだよ? なぜこの男は問いかけるのだ? なぜ自分で何かをしようとしない? 大体、借金を抱えた昨日の今日だというのにどうして日も暮れない内から部屋で酒を飲んでいる? クロウはすべての言葉をひと呼吸で何とか飲み込んだ。
フェレロはそんな職場での理不尽な扱いで爆発寸前のクロウのことなど一切察しようともせず、座っているクロウの背後に周り抱きついてきた。
「クビになったなんて冗談だろ? 俺も支配人に頭下げてやるからさ。な? もう一度踊り子やろうぜ?」と、フェレロはクロウの耳元で囁く。
「もう嫌だよ、あんなところ」
「おいおい、それじゃ困るだろ?」
クロウはフェレロの絡む腕を解いた。
「困る? 困るのはフェレロでしょ? 私の給料を当てにしないでよ。大体どうしてこんなに明るいうちからお酒飲んでるの? 仕事探しなよ」
「はんっ、男に色目使って媚売ってるような女がいっぱしに亭主気取りか?」
「誰のせいでこんなことになってると思ってるの?」
「何だと? じゃあ俺が、ホーマーを見捨てりゃ良かったと言いたいのか? 冷たい女だなっ」
「そんなこと言ってないでしょ?」
「い~や、目が言ってるね。俺を、俺たちを蔑む目だ。貧民街にいる頃から散々見てきたからな」
「くだらないっ」
クロウは勢いよく立ち上がり、自分の荷物を整理し袋につめ始めた。
「……何してんだよ?」
「出て行く」
「え?」
「やってらんない。一人でお金を返して」
「冗談はよせよ」
しかし、クロウは黙々と荷物の整理をつける。
「おいっ!」
全く答えないクロウに苛立ったフェレロはクロウの手首を掴んだ。
「離してよっ」クロウはその手を振りほどこうとするが、手首は強く握られ外すことができない。
「つまんない冗談はやめろよっ」
「冗談じゃないから。もう別れる」
「俺を見捨てるつもりか?」
「放してよっ」
「答えろよ!」
フェレロが手の甲でクロウの頬を強かに
床に膝まづき頬を抑えるクロウ。そんな彼女に、フェレロが慌てたように寄り添ってきた。
「す、すまない。痛かったろ?」
フェレロは倒れているクロウを抱きしめて肩を温めるように何度もさする。
「なぁクロウ、俺を捨てるだなんて言わないでくれ。言っただろう? お前は俺の灯りなんだって。お前に捨てられたら俺は生きていけない。頼むよクロウ」
優しくも弱々しく、それでいて切羽詰まった声だった。
「そんなこと言っても……もうどうしようもないじゃない」
「……本当にお前、何もないのか?」
「え?」
「お前、確かあの娘なんだよな? だったら、何か売れるようなもん家に残していってるんじゃないのか?」
翌日、クロウの久しぶりの帰郷は故郷に逃げかえるどころか逃亡の真っ最中のように後ろめたいものだった。ベンズに近づくにつれ、クロウは見知った者がいないかどうか、昼間だというのに闇に怯えるように周囲を見渡していた。
村の中心部からわざわざ遠回りをして生家までたどり着き、玄関のドアを開ける。中が思いのほか綺麗だったのは、メルセデスが時折訪れては部屋の掃除をしているためだった。
しかしクロウにはそんなことを気にしている暇はなかった。クロウは母の部屋のクローゼットを開き、その奥を探って木の棒のようなものを取り出した。クロウはそれを手に取ってしばらく眺める。それは、あの男が彼女たちの元に残した唯一のものだった。
クロウはその棒の先端を握って引っ張った。すると、棒は四分の三ほどの部分から二つに分かれ、中から金属の
――
もちろん、クロウがこれが何であるかは知る由もなかった。刃物である事、あの男の遺したものということぐらいである。
クロウは刀を完全に白鞘から抜き出して刀身を見る。装飾美を排し、まっすぐに人を斬ることにのみ特化したその日本刀は、ものの真贋など分からないクロウにさえ価値のある物には見えなかった。だが何といってもあの男の持ち物だ、価値の無いわけがない。クロウはそう自分に言い聞かせて刀を鞘に収めると、それを布で包み抱きかかえるようにして早々に部屋を出た。
しかし、クロウが玄関の扉を開けようとした次の瞬間、扉が勝手に開いた。定期的にこの家を掃除してくれていたメルセデスと鉢合わせになったのである。
メルセデスは突然のことに驚いて目を見開いていたが、すぐに「クロウ……。」と、帰郷してきた娘を見るように穏やかな眼差しでクロウの名を呼んだ。
「久しぶりだねぇ。帰ってきてたのかい?」
「あ、うん……。」
「そうかいそうかい」
感慨深げであるメルセデスに対し、クロウはどことなく気まずそうだった。
「せっかく帰ってきたんだ。どうだいお茶でも? アタシも街のこととか訊きたいことがいっぱいあるからねぇ」
「いや、その……。」
クロウは隠すように、刀を体の陰に持っていく。しかし、それに気づかないメルセデスではなかった。娘同然に接していたクロウのその仕草は、彼女に異変を感じさせた。
「大丈夫かい? 街では上手くやってるのかい? 何か困ったことがあったらすぐにでも言っておくれよ?」
「う、うん大丈夫……。」
そう言うと、クロウはメルセデスの脇をくぐり抜けていった。
「あ、ちょっとクロウっ」
「ごめんなさいメルおばさんっ。私もう行かないとっ」
そう言って足早にクロウは去っていく。
「何でも遠慮しないで頼っておくれ! 約束だよ!」
「うん分かった!」
去っていくクロウの後ろ姿、見守るメルセデスには胸騒ぎしかなかった。
街へ戻ると、クロウは脇目も振らずに質屋に赴き店主に刀を差し出した。
古今東西の武具が商品棚に飾られている質屋の店主は、カウンターに座りながら刀を鑑定するとクロウを見て言った。
「……これをどこで?」
「私の実家にあったの。どう?」
店主は納刀して言う。「……500ギル」
「……え?」
「聞こえんかったかね? 500ギル」
「そんな、よく見てよっ。そんなに安いわけないでしょ?」
「安いわけないって、お嬢ちゃんこの剣がどれくらい価値があるのか知っとるのかね?」
「それは……。」
「切れ味は良さそうだし、焼きも良い。肉厚なところから実戦向けなんだろうね」
「じゃあ……。」
「だが、美術的価値がない。これじゃあ単なる人斬り包丁だ。泰平の世だというのにこんなもん売れんよ。それにこの形じゃあここいらの国の剣術には合わんし、街のゴロツキが持つには仰々しい。せめて鞘か柄が良けりゃあ誤魔化せるんだが、こんな質素な木のやつじゃあねぇ」
「でも、でもそれ異世界の剣なのよ?」
「何?」店主は眼鏡を下げるため、上目遣いにクロウを見た。
「その、異世界の勇者が使っていた剣で……。」
店主は困ったように眉を釣り上げる。「そういうもんが世間にどれほど出回ってると? あれをご覧よ」
そう言って、店主は親指を立てて自分の後ろの棚を指した。そこに飾られているのは、旧ソ連のミハイル・カラシニコフが作り出して以来、その生産の容易さから世界で最も流通したと言われる自動小銃、AK-47だった。その厄災の化身ともいえる鉄塊は、異世界の武器屋の棚で黒く静かに沈黙していた。
「あれこそが転生者の遺産だよ。未だにあれがどうやって作られたどころか、どうやって動くのかすら分からん。だが、だからこそ異世界のものだっていう説得力があるのさ。……お嬢ちゃんのこの剣は、たとえ本物だとしても確かめる手段なんぞありゃせん。一応、500でも色をつけたつもりなんだがね」
「……もういい」
クロウは店主の手から刀を取った。退店間際、店主が他に持ってっても同じだと思うがねと、声をかけた。
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