ビフォア・ファントム⑪死神

 それから一ヶ月ほど後、クロウがキャバレーに出勤すると楽屋で踊り子たちが険悪な雰囲気で騒いでいた。


「……どうかしたの?」

 クロウはメイクも手につかずに騒ぐ同僚たちに訊く。

 同輩の踊り子が半分しかメイクを終えていない目を見開いて言う。「大変よぉっ。お店の売上金が盗まれたんだってさぁ」

「え?」

「支配人がね、今血眼になって探してるんだけど。どう考えても盗まれたって言うのよ」

「そうなんだ?」

「そりゃあ、そうよ。だって、金庫に入れてたのがなくなったんだもん」

 クロウがそう、と困惑しながら手提げカバンを化粧台に置こうとすると、同僚はさらに近づいて耳元で囁いた。

「……でね、ちょっとワタシ聞いちゃったんだけど、店の人間の仕業かもしれないんだって」

「うそっ」あわせてクロウの声も小さくなる。

「支配人、最近金庫の具合が悪くて、職人を手配してたんだけど、その間鍵かけてなかったみたいなの。そんな時にタイミングよくこんなことがあればねぇ……。」

「……。」

「それでね、今支配人がそれとなく従業員に探りいれてんのよ。気をつけなさいよ、疑心暗鬼でちょっとしたことでもツッコんで来るみたいだから」

「う、うん……。」


 何気なく返事したクロウだったが、ふと顔を上げると楽屋の踊り子たち全員が自分を見ているのに気づいた。

 疑心暗鬼というのは、支配人のことだけではないようだった。


 クロウは支度を終えるといつものように舞台に立ち、それから接客に移った。

「クロウ、こっちお願いっ」

 フェレロとその取り巻きが来店していなかったので指名のなかったクロウは、以前フェレロと一緒に竜人料理の店へ行った先輩のベルの応援に呼ばれた。

 その席には、一見するとそこいらにいる街の商工社の職員のような男が座っていた。歳にして40後半、くたびれたヨレヨレのスーツにワカメのようなクシャクシャの髪。顔色は悪く、目は疲れているように腫れぼったく、その奥にある目は黄色く濁っている。その様は仕事に疲れたうだつの上がらない中年男が、店の呼び込みにそそのかされて部相応の場所に迷い込んだようでもあった。

 クロウは珍しいタイプの来客に怪訝に思いながら彼の横に座った。だが、そのという印象は、クロウを見る病的な眼光で一瞬にして打ち消され、代わりに一つの言葉が彼女に浮かんだ。


――死神


 まるで、長いあいだ一緒にいると徐々に生命を奪われていきそうな、そんな不吉な影の漂う男だった。耳がとがっているのでエルフなのだろうが、その禍々しい様は呪いをかけられた魔物のようですらあった。

「ほらクロウ。挨拶っ」

 ベルに促されてクロウは慌てて自己紹介をする。

「あ~、君がクロウか……。」

「はい? えっと……。」

「いや、ウチのフェレロが世話になってるね」

 クロウは先輩を一瞥しながら言う。「ああっ、フェレロさんの上司ですか?」

 男は声も出さず頷きもせず、体のゆらぎで返事をした。

「こちらはヒムさん。お店に来ていただいたのは久しぶりですよね?」と、先輩が言う。それにもヒムは体のゆらぎで返事をした。

「え~と、ヒムさんはカクテルがお好きでしたよね?」

「……ああ」

「すぐに作らせますから――」

 しかしヒムは先輩を見ずにクロウに話しかける。

「君……フェレロの女なんだって?」

「え? ええ……。」

 ヒムはさも当然のようにクロウの顔に手を伸ばした。顎をつまみ顔を傾かせ、角度を変えて品定めをするように観察する。あまりにも当然かのような所作と、濁った目に射すくめられてクロウは何も言えず動くこともできなかった。

 まじまじと見つめ終わったあと、次にヒムはクロウの太ももに触れ、ゆっくりと下着の近くまで手を這わせた。

「ちょっと!」

 その時になってようやくクロウは我に返りヒムの手をはねのけた。

「何やってんのよクロウ! ゴメンなさいヒムさん。このコ、接客がとにかく下手で」

「いいんだよ。私の方こそ悪かった。思った以上にウブなお嬢さんだったみたいだ」

 ヒムは叩かれた手をさすりながら鋭く笑っていた、それこそ死神のように。笑った口から覗いた歯茎はピンク色ではなく、飛び出た魚の内蔵のような暗い紫色に染まっていた。そんなヒムに、ベルは体を寄り添わせ耳元で嬌声を囁き機嫌をとる。

 その後、ヒムはたいして飲みもせずすぐに店を出ていった。相変わらずクロウを品定めするように、居心地の悪さばかりを残しながら。


 長屋に帰ると、先にフェレロが帰宅していた。フェレロはベッドの灯りで本を読みながら酒を飲んでいた。

「今日ね、ヒムさんがお店に来たよ」と、着替えながらクロウは何気なくフェレロに告げた。

 だが、着替えているクロウの後ろの、姿鏡に映るフェレロは驚愕したようにクロウを見ていた。

「え? どうしたの?」

「……いや」

 フェレロはまた本に目を移したが、どこか落ち着かない様子だった。

「で、あの人なんて言ってた?」

 結んだ髪を解きながらクロウが言う。「別に、たいしたことは話してないよ? すぐに帰っちゃったし。そんなにお酒も飲まないで」

「……そうか」

「どうかした?」

「いや……別に」

「……そう」


 しかし、フェレロは本を読むにも上の空で、ベッドの上でクロウが寄り添っても、やはり落ち着かないように虚空を見つめるばかりだった。

 

 次の日、出勤したクロウはすぐに支配人に呼び出された。盗難事件のせいで支配人は従業員全員を疑いの眼差しで見るようになっており、そしてそれはクロウに対しても例外ではなかった。

「……一昨日の晩のことを聞かせて欲しくってね。大体何が起こったかは従業員どうしの話しで知っているだろう。なに、別に君を疑っているというわけではなくてね、全員に訊いてるんだよ。何をやっていたかと、そこで何か不審なものを見なかったかをね。後は、噂でもなんでも知っていれば……。」

 クロウは同席しているマネージャーを見る。マネージャーは無言でクロウに話すように促した。

「……あのぉ、私はこの店に来てそんなに長くないといいますか、そこまで皆さんと深くお付き合いをしてません。お店のことに関しても知らないことのほうがまだ多くて、その、お店のお金がどういうふうに動いていたかも知らないんです……。」

 今自分が話していることは支配人もマネージャーも知っている。そんな自分を探ったところで何も出てこないのに何を言っているのだろう。クロウは再びマネージャーを見た。

「……ところで、君はフェレロという男と付き合ってるらしいな」

「え?」

 突然支配人の口から出た恋人の名。クロウは驚いて声を上げた。

「間違いないかい?」

「……はい」

「その男が何をしているかは?」

 クロウは何と答えて良いか分からなかった。またマネージャーを見るが、マネージャーも無言でクロウを見ていた。

「その……お金を人に貸している、と聞いてます」

「……まぁそういうもんだ」

 そう言った支配人をマネージャーが見る。支配人は眉間を揉んで低く呻いた。ホビットのサンといい、フェレロのことを口にする時誰もが口ごもる。クロウはサンの時以上の不安を感じながら切り出した。

「……あの、彼がどうかしたんでしょうか?」

「ああ、実は君の男と一緒にいる連中、結構で飲んでてね。支払いの一部がまだなんだよ。」

「……え?」

「……一部というか、結構な額なんだがね。まぁ君の男だということでこちらも大目に見ているんだが」

 クロウは絶句した。あんなにも羽振りがいいと思っていたフェレロだったのにまさか……。

「それにね、彼の関わってるのは何というか、いかがわしい連中が多くてね。はっきりと表立って言えないが、こちらとしてはあまり関わりたくないんだよ」

「でも、それが今回の件と何か関係があるんですか?」

「……いや。ただ、ああいう連中は金策の為なら手段を選ばない。だから――」

「私と彼が、お店のお金に手をつけたと?」

「いやいや、そこまでは言わんよ。ただ、何か気になったことがないかね、と」

「ありません」クロウはキッパリと告げた。

「……そうか」

 支配人がマネージャーを見ると、マネージャーは「時間を取らせたね。もういいよ」とクロウを帰らせた。


 クロウが楽屋に向かい、ドアを開くと踊り子たちが一斉にクロウを見た。もしかして同僚たちも自分を疑っているのだろうか。けれど支配人はみんなに事情を聞いていると言っていたのだ。クロウは別に気にすることはないと、その視線を無視するように努めた。

 だが、彼女は知らなかった。煙が立つ時に、必ずしも火があるとは限らないということを。猜疑心に心を蝕まれた者にとっては、砂埃すらも大火の予兆に見えるのだ。

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