ビフォア・ファントム⑨予兆

「フェレロ、起きて」

 日が昇りきった、もうすぐ昼になろうという頃に、クロウがベッドで寝ているフェレロを揺さぶって起こす。


 クロウはフェレロと付き合いだしてからすぐにフェレロの住まいに同棲するようになった。そうすれば下宿先に払う家賃もなくなるし、何よりフェレロのたっての願いだった。


「あぁ……。もうそんな時間かぁ」

「そうだよ。もう仕事行かないと――」

 言いかけた瞬間、フェレロはクロウの手を引っ張ってベッドに押し倒した。

「ちょっとぉ」

 フェレロはベッドでクロウの上になり、首筋に口づけをしてさらに上着を脱がそうとする。

「もう、ダメだって。仕事間に合わないよ?」

 フェレロはクロウに抱きつきながらクスクスと笑う。

「お、いい匂いがする」

 フェレロはベッドから起き上がってテーブルへまっすぐ向かった。

「簡単な朝食だけどね。食べちゃって」

 クロウもベッドから起き上がり、上着を整えながら言う。

「いいじゃない。こういうの憧れてたんだよ」

 フェレロが上機嫌に席に着く。

「こういうのって?」

「好きな女に起こされて、テーブルにはうまい朝飯が用意されてるっていうの。本当に感激だ」

 クロウが照れくさそうに笑い、フェレロの正面に座った。

 育ちが良くないのか、フェレロは犬のように顔をテーブルに近づけスプーンでガツガツとスクランブルエッグをかき込む。

「うん、うまいっ」

「そぉんなに焦らなくても」

 クロウはそんな男の様を、幻滅するどころか逆に好意的に見ていた。彼の寝起きでクシャクシャのオールバックもタレ目で常に笑っているような瞳も無精髭も、その時の彼女にとってはすべてが可愛らしくすらあった。

「きっと、お前はいい女房になるんだろうな」

「そぉんなこと……。」

 クロウは口ごもった。もうフェレロは自分が異種族だということを知っている、だとしたらこの先この関係を続けて彼は自分を妻として受け入れることがあるのだろうか。異種族同士の結婚は聞かない訳ではない。しかしやはり希であること、そして結婚生活が往々にして上手くいかずに悲劇的な別れをするという話も多かった。この目の前の男が自分を受け入れてくれるとして、しかしその後の生活はどうなるのだろうか。何より、絶対に子供を望むことはできない。クロウのスプーンを持つ手がしばらく止まった。

「どうしたんだよ?」

「え? ううん。何でもない」

「そうか?」


 夕方の出勤で間に合うクロウは、フェレロが出ていった後に部屋の掃除をしていた。炊事洗濯が完全にできる女なら、フェレロと自分との関係は続くのだろうか。いや、きっと続くはずだ。でなければ、彼は自分を“いい女房になる”などと言うはずがない。クロウはそう自分に言い聞かせた。


 二人で借りている長屋を出て店へ向かう途中、クロウは街の外れにある大きな木造の桁橋から、不審なボロ馬車が走ってくるのを見た。馬車の荷台には、大勢の人間やフェルプール、エルフといった多様な種族の女が乗せられている。女たちの年齢は上は二十少し前くらいから、下は十代になったばかりくらい。荷台は中の女性達が落ちないように、もしくは逃げられないように牢屋のように格子が施されている。

 不審に見るクロウに、屋台の男が品出しをしながら言う。

「可哀想に、ありゃあ21区行きの子達だよ」

「……21区?」と、クロウは男を向いて言う。

「知らんのかね。アルセロールとの国境に近い場所にある工業地域さ」

「どうしてそこに?」

「売られたんだよ。親に」

「親に?」

「そ。増えすぎちまった子供を大人になるまで育てらんないってんで、男は工場に、女は女衒に売っちまうんだよ。特にエルフなんてのは、元々三人産みゃあ子沢山てことだったのに、戦後はどいつもポロポロ子供産みやがるもんでね。増えたって住むところも仕事も限られてるってのに。何より、あの橋の向こうは貧民街になってるからね、あそこから来る馬車ってのは何かしらのってわけよ」

「キャバレーでは働けないの? 私だってそこで働いてるのに」

「年齢の問題があるだろ? 表向きは法ってもんがあるのさ。だけど年齢をクリアしても、使えないんじゃあ意味がない。要領の悪い男は体を差し出して、器量の悪い女は別の意味で体を差し出すしかないのよ」店主はやれやれと首を振りながら続ける。「戦後好景気なんて言ってるがね、恩恵に預かってるのは一部の街の一部の奴らだけさ。うっかりすれば俺もアンタもあの馬車に乗るかもしれんよ」

 クロウは話を聞きながら、すれ違っていく荷馬車を見ていた。 


「クロウっ」

 出勤し楽屋に向かう途中、下働きの先輩だったサンに呼び止められた。

「あ、おはよう」

「うん。……踊り子、頑張ってるみたいだね」

「ええ、まぁ何とか」

「やっぱり、ウチが言ったとおりでしょ? アンタは向いてるって」

「そうかもね……。」

 クロウは胸を張って言うことはできなかった。フェレロがいなければ、自分は下手をしたら下働きに戻されていたかもしれないのだから。

「そっか……。うんうん、良かったよ」

 サンは何かを話したそうにしながらも、何かうまく切り出せないようだった。

「どうか……したの?」

「うん……何かさ、アンタ最近下宿先を出たみたいだから……。」

「ああ~。うん、お客さんと……まぁ何て言うか、お付き合いというか……。」

「あの、フェレロって人?」

「え? 知って……るんだ」

「うん……。」

 それから何かを続けようとしてサンはまた黙る。クロウにとって居づらい沈黙だった。

「……もしかして、フェレロのこと?」

 少しうなづいてからサンが言う。「……あのさ、アンタあの人が何の仕事してるか知ってる」

「え? 仕事? 確か、コンサル何とかって言ってたかな?」 

 サンは「コンサルタント?」と鼻で笑った。

「じゃあ違うの?」

「違うよっアイツは金貸しだよ。しかも高金利のタチの悪いヤツさ」

「……金貸し?」

「アンタ知らないのぉ?」

 クロウは戸惑いながら返事をする。

「人に金貸して、それで日が経てば経つほど元々借りた金よりも多くの金を取り立てくる奴らだよ。金回収するためには、犯罪すれすれの事だってやるんだから」

「……どうしてそんな所からお金を借りるの?」

「え? そりゃあ……金がないけど、他からはもう金を借りれないからさ」

「じゃあ、お金が欲しい人たちにお金を貸してあげてるってことなんでしょ」

「それは……。」

「別に良いんじゃない? 必要な人たちにお金を貸してあげて、それで自分たちも儲けようってことでしょう。やましいことなんかないと思うけど?」

 サンはか〜っと呆れるように唸る。

「アイツらが取り立てでどんだけ酷いことやってるか知らないでしょ? 大きな声じゃ言えないけど、人だって消えてんだよ? それにね、ああいう奴らの金の元手ってのは、大体がヤクザだとかのヤバイ奴らから出てんだよ? 関わりもつとロクなことにならないってっ」


 クロウは困惑する。だが、確かに妙なところはあった。他の客は踊り子に自分の仕事の自慢や愚痴を言うのに、フェレロたちは仕事の話を一切しない。二人きりの時でも仕事の話をしようとするとはぐらかしてばかりだった。ただ、危ない臭いはするものの、フェレロが単に仕事を好きではないだけだと思っていた。いや、思おうとしていたのだ。せっかく上向きになった自分の生活に、ケチをつけたくなかった。

「フェレロは……いい人だよ」

「……アンタ、私の言ってたこと聞いてた?」

「そりゃあ……危ない仕事してるかもしれないけれど、私にも友達にも優しいし、けっこう可愛いところもあるんだよ? それに……。」

「それに?」

「私を……助けてくれたし」

 ため息をついてサンが言う。「アンタとあの人の間に何があったかは知らないけど、付き合うのはやめときなよ。せめて客に止めとくんだね」

 サンは忠告はしたからね?と言い残しその場を去っていった。


 クロウは楽屋に入り仕事用の化粧を始めたものの、いまいち身が入らなかった。一体、なぜサンはあんなことを自分に言ったのだろうか。多分、踊り子になってサンよりも良い暮らしをしている自分に嫉妬しているだけだろう。大体、踊り子になるようにも男を作るようにも勧めたのは他ならないサンだ。そこまで気にすることはない。クロウは化粧で上塗りをするように、何度もサンの言葉を封じ込めようとした。


 店がオープンしてからしばらくすると、フェレロが入店してクロウを指名してきた。付き合っている二人だったが、フェレロはコンスタントに客として来店していて、それがよりクロウが彼を信頼する理由になっていた。


 フェレロがいつのもの取り巻きに囲まれながら上機嫌に言う。「よぉし、お前ら今日は俺のおごりだ。じゃんじゃん飲めよっ」

「マジっすかフェレロさん。気前がいいっすねぇ~」

 別に自分とは店が終われば会えるのに、わざわざ指名までして自分の売上に貢献してくれる。これほどに都合の良い相手をそんな悪い噂程度で失うわけにはいかない。

「フェレロ、今日もありがとう」

 クロウはフェレロに寄り添いながらお酌する。

「いやぁ良いんだよ。今日は飲みたい気分なんだ、何でも持ってきてっ」

 いつもどおりの日焼けした肌と白く光る歯、だが今日は何かおかしいようだった。

「お前、全然飲んでないじゃないか」

「いや、飲んでますよぉっ」

「ダ~メだ。俺のおごりなんだから、もっと遠慮せずにぐいぐい飲めよ」

 フェレロは飲んでいる真っ最中の取り巻きのグラスを掴んで傾けて一気に飲ませようとする。取り巻きの口から酒がこぼれ落ちた。

「ちょ、フェレロさ~ん」

「おいおい、せっかく飲ませてやってんのにこぼすんじゃないよ。罰として一気飲みな」

「え~?」

「ほらほら、瓶持って一気にやれや」

 取り巻きは顔を真っ赤にしながら葡萄酒の瓶を口に当て、ほぼ逆さにしながらそれを飲み干した。

「すごーい。おにいさん、かっこい~」とクロウと一緒に席についていた踊り子がはやし立てる。


 いつもと違い、カラ元気が見て取れるフェレロにクロウが訊ねる。「ねぇ、今日はどうしたの?」

「え?」

「何だか……様子が変だけど?」

「う、う~ん……。」

「あんまり、無理しないでね?」

「大丈夫だって、心配すんな。お前は俺に黙って付いてきてればいいんだよ」

 フェレロはそう言うと、強引にクロウを自分の方へ引き寄せた。

「ちょ、お店ではダメだよ」

 フェレロの手をほどくクロウ。その握った手の拳の辺りには痣があった。朝にはなかったのに。まるで、つい今しがた誰かを激しく殴ってきたような痕だった。


 大丈夫、あれは単なる悪い噂。クロウは痣に気づかなかったようにフェレロの手を優しく握り、そっと彼の膝の上に置いた。

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