ビフォア・ファントム⑤街での新生活

 ベンズから一番近い街で荷馬車を降りると、クロウは真っ先に役場の前に張り出されている求人募集の掲示板を見に行った。条件は住み込みの仕事、目星いものはすぐに見つかった。戦後、産業の発展とともに一時期は仕事が増えたが、それも一段落すると街では失業者で溢れかえっていたものの、若い女であるという利点があった。

 仕事はキャバレーでの下働き、炊事洗濯、フロアでの給仕というものだった。住所を確認してその店まで行くと、村から出てきたばかりの典型的なおのぼりさんだった彼女はその店構えに驚嘆した。生まれ故郷のベンズにはない異界の技術で作られたコンクリート製の建物は、さらに戦前の建築技術によって木造で増築され、その様子はさながら戦後の社会のいびつさの象徴のようだった。ひとたび大きな地震が来れば、ひとたまりもなくその不自然な力によって支え合っている建物は崩壊してしまうに違いない。昼間は松明等でライトアップされておらず、建物自身は眠っているようでもあったが、しかしその眠っている様も、目を覚ました途端に騒ぎ出し悪態と悪臭を振りまくのだろう、酒癖の悪い酔っ払いの一時いっときのうたた寝姿のようであった。

 

 正面の入口が閉まっていたので裏口に回ってノックをすると、店内は夕方の開店に合わせての準備に大わらわだっため、扉が開くとともに料理を作る音や掃除の音、演奏家のための楽器や機材を運ぶ音が飛び出した来た。そしてその音に遅れて、中から男の従業員が顔を出した。

「……何か?」

「あの、求人の募集を見て……。」

「ああ……。」

 クロウはすぐにマネージャーを名乗る男に引き合わされ、彼の仕事部屋まで案内された。


 マネージャーは机越しの正面に座るクロウを品定めするように、というよりも文字通り品定めをしながら言う。「君、踊り子希望?」

「あ、いいえ。住み込みの下働きの募集を見て……。」

 マネージャーはクロウの顔を一瞥したが、すぐに彼女の体つきを、それこそ服の下まで透視すように凝視する。クロウはここまで堂々と女の体を、何のためらいもなしに見つめる男に出会ったことがなかったので、居心地悪そうにスカートの裾を握り締めた。

「踊り子なら稼げると思うんだけどねぇ……。」

 クロウは返事をせずに、ただ俯いていた。

「いやホント、踊り子とただの雑用だったら全然収入違うよ?」

 クロウは何かを言おうとして顔を上げたが、やはりまた黙って下を向いた。彼女は、母のような生き方をしたくないと言いたかったのだが、それを面接で話したところでどうにもなるわけではないからだ。

「……そうか、じゃあ仕方ない。気が変わったら言ってくれ」


 面接が終わるとクロウは先輩の従業員に、これから寝食をすることになる部屋に案内された。案内された先は、倉庫だったところを改装したもので、両脇に三段建てベッドがあるだけの部屋だった。ベッドとベッドの間には1メートルほどの幅もなく、つまり生活スペースはベッドの上のみ、棚はなく枕元を物置にしなければならないくらいだった。ある程度の覚悟をしていたはずのクロウだったが思わず絶句する。

「もしかして、個室でももらえると思ったかい?」

 そんな彼女を嘲笑うように先輩は言った。


 面接を終えて荷物を部屋に置くと、「今日入ったのってアンタ?」と洗い場の副主任に声をかけられ、間を置かず仕事を命じられた。巨大な桶のような鍋が並ぶ台所で、女なら出来て当然とばかりに包丁と大量のジャガイモを目の前に置かれ、それを彼女の前に置いた人間は何も教えずに去って行った。最初は戸惑ったクロウだったが、すぐに隣の同僚がやっているのを横目で見ながら皮をむき始めた。

「一番腹が弱い人間に合わせるんだよ。やつら芽ぇ食くったら腹壊すからね」

 その隣の赤い巻き毛のホビットの女は、何が楽しいのかニヤニヤしながら横目でクロウを見て言った。

 

 ジャガイモを剥き終るや否や、「ぼけっとしてんなよ!」と次は大量の玉ねぎが目の前に置かれた。そしてやはり何も教えずに置いた人間は去っていき、クロウは再び隣を見ながら包丁を動かす。

「……やるじゃん」

 ホビットの女は少し意地悪をしようと、素早く皮を剥きくし型切りにしていたのだが、すぐにクロウはそれに追いついた。料理の下ごしらえといった炊事洗濯の類は、実家でほとんど動かなくなっていた母の面倒を見ていたクロウにとっては、それらは特に苦もなかった。


 クロウがボールに山盛りになった玉ねぎを前にしていると、またもや「新入り、ぼさっと突っ立ってんな!」と怒鳴られた。クロウが困惑しているとその先輩は、ただホールの方を顎でしゃくった。要するに、給仕に回れということらしい。


「ネエチャンさっきから呼んでんだろ早く来いよ!」

「頼んでたツマミがまだ来ねぇぞ!」

「ロックの意味わかってんのかよ石入ってるぞぉ!」

 家事の延長線の洗い場の仕事と違い、給仕としてはの仕事は経験がなく、一度に客の注文を覚えたり、順番通りに注文を届けることができず、クロウはちょくちょくヘマをやらかしていた。


 給仕を始めてしばらくすると、クロウは客たちが粘つくような熱狂を帯び始めているのに気づいた。鼻をすするように荒く呼吸をし、各々の視線はばらばらであるものの、その実意識はホールの中央にあるステージに注がれていた。

 ほどなくして部屋の照明が下りステージ上のみに光が当たりると、楽隊が演奏を始めた。すると人間を初めとしてフェルプールやエルフといった、種族入り混じった女たちが下着と見紛うような衣装を着てステージ上に登場しダンスを始めた。

 村の祭りで見るような踊りとは違い、女としての体をひたすら魅力的に見せることに徹した踊り、腰をくねらせくびれを強調し、衣装がはだけるように動いてその下の局部を想起させる動きを何のためらいもなく大衆の面前で続ける女たちにクロウは呆けてしまっていた。そんなクロウを、先輩の給仕が頭をはたいて気つけをする。


 ダンスが終わると、次に女たちは客のテーブルへ行き彼らの隣に座り直接給仕をし始めた。女から見ればすべてが偽物だと分かる表情を臆面もなく造りながら、酒を作り料理を皿に小分けし、男たちのつまらない話に必要以上のリアクションをしながら機嫌を取る、そんな彼女たちをクロウは嫌悪も追いつかないほどに感心していた。

 おそらく母だったらこういう仕事も得意だったのだろうが、自分には無理だ。あれは、自分とは関係ないところでの出来事なのだ。それが、彼女たちを見たクロウの最初の印象だった。

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