ビフォア・ファントム⑦フェレロ

 母譲りの才能か、クロウはすぐに踊りを覚えステージに立つようになった。しかし、男の視線に商品として晒される事に抵抗のあった彼女の踊りは、形としては完璧であるものの艶を帯びるまでにはいかず、秀でた人気を獲得するまでにはならなかった。


 とはいえ、そんなクロウだったが踊り子として活躍するようになってからほどなくして、僅かながらだが何とか彼女にも客がつくようになっていった。ちなみに、“客がつく”というのはショーの後に指名をもらって直接客の隣で給仕をするということであり、この場合は下働きの時と違い長い時間客の隣で会話の相手をしなければならなかった。

 しかし少しは男の視線に慣れたものの、やはり生来の気質は誤魔化しようがなく、どうしても体を密着させるくらいの勢いで迫ってくる客に対し彼女の視線や手癖といった所作は拒否を示してしまい、せっかくのチャンスでもふいにしてしまうのだった。そのせいで、彼女を見初めた客もすぐに別の踊り子を指名するようになっていった。

 クロウには先が思いやられた。下働きと比べれば高い収入だったが、それでも踊り子たちの中の順位では下の方で、やはりここを出て独り立ちするには長い時間を必要としそうだった。


「――まるで石畳の間に咲いてる花みたいだな」

 そんな中、一人だけ彼女への指名を外さない男がいた。

「……どういう意味?」

「花畑からは離れて、あえて厳しいところで咲こうとしているってことだよ。頑丈な石畳を、まるで鎧のように身にまとってね」

 ポカンとしているクロウに慌てて同じソファに座る踊り子が言う。

「やだぁ、フェレロさんたら詩人っ」

 調子を崩されたように、やや苦さを含んだ笑いでフェレロはクロウを見る。

「は、はぁぁ~」クロウの口は作り笑いで歪み目は困惑で四方に泳いでいた。


 健康そうな日焼けした肌とオリーブ油の香りの漂うそのフェレロという男は、会話が噛み合わないにもかかわらずクロウを指名し続けた。自分の積極的さゆえにかえって拒否反応を示すクロウであっても、フェレロはそこを面白がって指名しているようでもあった。


「クロウ、フェレロさん逃がしちゃあダメだよぉ……。」

 キャバレーの開店前、先輩の踊り子のベルが化粧台の前で口紅を塗りながら声色こわいろ高くアドバイスする。その後ろでは下働きの女が彼女の髪をセットしていた。

 新人で、しかも指名の少ないクロウは独りでメイクと髪を整えながら言う。「え……。」

「より好みしないの。アナタ、踊りは人一倍覚えるの早かったくせに、接客はまるでダメなんだから」

「それは……。」

「いつまで生娘ぶってんの? 色気も愛嬌も、か弱い私ら女に神様が与えてくださった武器なんだから、恥ずかしがる必要なんてないんだよ」


 それは子供の頃から幾度も聞かせられ、果ては暴力を振るわれてでも従わせようとした母と同じ言葉だった。

 クロウは頭ではそれを理解していた。だが、そのもっともな言葉が体を支配しようとする時、心の奥底から湧き出る衝動が、すんでのところで彼女を彼女として留めていた。


「やぁ、今日も相変わらず可愛いねぇ」

 クロウはダンスが終わるとすぐにフェレロの指名を受けた。フェレロはソファでふんぞり返りながら片手を上げてクロウを呼ぶ。彼の周りにはガラの悪い男たちが一緒に座っていた。

「フェレロさん、いつもありがとう」と、クロウはフェレロの席に座った。フェレロの取り巻きたちの視線が自分の胸や足を這うのを感じながら、それでも何とか笑顔を崩さずにクロウは対応する。

「こちらのお兄さん達は?」

「あ~気にしなくていいよ。俺のトモダチ」

「俺ら、普段からフェレロさんに世話になってるんすよ」フェレロが言い終わらないうちに取り巻きの一人が口を開いた。開いた口には前歯がなかった。

「へぇ……。」

 なるほど、チンピラの集まりか。クロウは満面の笑みの中、薄目を開いて男のいた前歯を見る。

「いやぁ、フェレロさんが言ったとおり、いい女っすねぇ」また別の取り巻きの男がクロウに話しかける。目がクロウの顔を見ようとしてもすぐに重力に惹きつけられるように胸に落ちていっていた。

「ありがとう」

 下着のような衣装なので仕方ない。それ以上に、一応踊り子には触らない事が店のルールなのだが、実際にはそんなものは死文化していた。踊り子がおおっぴらに拒否しない限りは客が彼女たちに触れるのは普通のことだった。別にたいしたことじゃない、クロウは自分に言い聞かせた。

 フェレロがクロウの肩に手を置いて言う。「おいおい、あんまり色目使うなよ」

「もちろんっすよ。フェレロさんの今一番のお気に入りってんですから」

「あら嬉しい。私のこと、そんなに良く言ってくださってるの?」

「マジっす。フェレロさん、惚れると他が見えなくなりますからね。しょっちゅうクロウさんのこと口にしてるんすよ」

「余計なことを言わなくていいんだよ」

 フェレロが照れくさそうに取り巻きの肩を小突いた。


 自分が陰で良く言われているというのは悪い気がするものではない。クロウの心に、ほんの少しほころびが生まれた。

「あっフェレロさん、タバコ!」と、クロウが言う。

 フェレロのタバコの灰が限界まで伸びきっていた。灰皿に間に合わず膝に火の着いた灰が落ちる。

「あっつぅ!」

 フェレロが慌てて膝を叩く。クロウもお手拭きを手にしてフェレロの膝を拭った。フェレロの膝の上でお互いの手が触れると、フェレロは驚いたように手を引っ込めた。

「いやぁ見てらんないっすね」

「な、何だよ」

「フェレロさんともあろう人が、まるで女を知らねぇガキみてぇだ」

「ば・か・や・ろ・う」

 そう言ってフェレロがまだ火の着いたタバコを投げつけた。タバコは取り巻きの顔面に当たり、男はあちいっと絶叫する。

「あ、ようやく笑ってくれたね」

 フェレロが嬉しそうに、ウィンクをするようにクロウを見る。

「え?」

「いやぁ、今まではさ、笑ってはくれているものの、どこか営業スマイルだったじゃない」

「それは……」

「その笑顔だけで寿命が一年は伸びそうだ」

「ちょっと、ジジくさくないっすか」

「うるさいな」

 フェレロは照れくさそうに手を振る。キザったらしいだけの男だと思ったけれど、以外に可愛いところがあるようだ。クロウは不良じみた外見とは裏腹に、子供のようにはしゃぎ合うフェレロたちに、自分でも知らないうちに好感を持ち始めていた。


 店が閉店したあと、クロウはフェレロに外で食事をしようと誘われた。

 渋っていたクロウだったが、先輩のベルに「チャンスなんだからモノにしなさいよ。私もついてってあげるから」と、背中を押されて誘いを受けることにした。

 フェレロは彼女がついて来ると伝えられると、嬉しそうに取り巻きたちにそれを告げた。

 先輩がクロウに囁く。「私もついて行くって言って、嫌な顔の気配も漂わせないんだったら心配はない男だよ」


 クロウたちはフェレロに連れられて街の高級レストランに入店した。夜でも明かりが灯る、不夜街と呼ばれる界隈にあるその店は、下働きをしていた頃は通り過ぎることさえもはばかられた場所だった。

「竜人料理は初めて?」フェレロが給仕に上着を預けながら言う。

 そこの店は遥か東方の竜人の国の料理を出す店だった。この国はおろか、周辺諸国のいずれとも違う文化を持つ竜人たちの国を模した店内は、主に赤く塗られた木材で装飾され、巨大な金メッキの龍や虎が銅像が店内に飾られていた。

 クロウは呆気にとられ、ううん、と言うのさえも忘れてしまっていた。


「いらっしゃませ、フェレロ様」

 フェレロたちに挨拶したその給仕長は、夏の広葉樹林のような沸き立つ緑の頭髪からは角が生えていて、頬より下が赤い鱗で覆われていた。体は大きく、腰の辺りからは太い尻尾が伸びていた。それはクロウが初めて見る竜人だった。先の大戦ではどちらにも加担しなかった彼らだが、戦闘に秀でた種族として名高く、西のオーク東の竜人と称され世界にも聞こえるほどだった。だが、戦争のなくなったこの泰平の時代に、彼らもまた戦いとは別の方法で世界を生き抜かなければならなかった。肉体労働に加え、こうした自分たちの文化に商品価値を与え、商業に従事する者も、戦後30年で随分と増えていた。

 

「ああ久しぶり」

 フェレロの背後を伺いながら給仕長が訊く。「そちらは、お連れ様ですか?」

「うん。彼女、ここは初めてらしいんでよろしく」

「それはそれは。フェレロ様の大切な方ならば、誠心誠意尽くしておもてなしさせていただきます」

「これまでで一番の、をつけてくれ」

 給仕長は微笑んで頷いた。


 料理が運ばれると、彼女のフェルプールの鼻は体験したことのない香りに混乱した。魚や海老の匂いの他に、初めて体験する醤や花椒の匂いは美味いのかどうかも分からなかった。

「これ飲みなよ。食前酒」

 フェレロは、料理と一緒に運ばれた酒瓶から、お猪口に酒を注ぎクロウに差し出した。しかし、クロウは口にする前から、その黒い醸造酒に拒否反応を示すように鼻を歪めてしまった。

「あ~やっぱり初めてにはキツいか」

 笑いながらフェレロは酒を飲み干した。


 始めは初体験ばかりの料理に面を食らったクロウだったが、彼女の鼻と舌はすぐに料理の味に慣れ、それどころか一際多くの料理をたえらげていた。


 フェレロと別れた後、踊り子たちにあてがわれた下宿に向かいながらベルが訊ねた。

「クロウさぁ、これからどうするつもり?」

「え? どうする……って?」

「フェレロさんを太い客にしちゃうのか、それとものかってことよ」

「それは……。」

「上げてもらうなら簡単よ。アナタがいいならそのまま結婚するのにうってつけの女だってのをアピールすればいい」ベルはタバコに火を着けて、一吸いしてから言う。「でも、客としてなら振る舞い方に用心することね。擬似恋愛してハマらせるのか、それとも丁寧な接客で気持ちよくなってもらうだけか。前者だと男は体を求めてくるし、後者だと簡単に他の踊り子に取られちゃう。……どうするの?」

「さすがに、あの人を本気で好きっていうわけには……。」

「そう? いい人じゃない? 私がついて来るって言われたとき、嫌な顔をしなかったでしょ?」


 出会ったばかりの男にすぎなかった。しかし、今日のフェレロの自分への眼差しや取り巻きとの戯れる様子に悪い印象はなかった。しかも、ああいったこれまで見たこともない世界を見せてくれるフェレロは自分を違う世界にも連れて行ってくれるのではないか、そんな期待もあった。街へ出た意義が、そこにあるのだと。

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