家路

 ブッシュが部屋を去ると扉が開き、入れ替わりにバンクスとロバートが入ってきた。

「まったく、お前はどういう強運なんだよ。二回も土壇場で釈放だ? 考えられん」バンクスが後ろにまわって私を立たせながら言う。


 強運なんかじゃあない、私は完璧に負けていた。カードはブタで、相手は磐石のストレートフラッシュ。なのに、何者かがカードをそっくりすり替えたのだ。それはイカサマと呼ぶにはあまりにも稚拙で堂々としていて何のためらいもなかった。まるでゲームのルールを守るということ約束事すらを共有していないような、そんな奴によって自分のテーブルが乗っ取られたようだった。


 前回と同じく普通に話すバンクスだったが、ロバートの方は浮かない顔をしていた。それはそうだろう、なんてったって昨夜は無実の女を牢屋で犯したのだから、さすがのゲス野郎でも一抹の罪悪感ってものがある。そんなロバートの様子を伺いたくもあったが、奴のツラを見た瞬間、私も襲いかかりそうだったので努めて見ないようにしていた。


「さあ出るぞ。もうお前には関わりたくない。お前だってそうだろ? 二度あることは三度ある。また捕まえても、お前ときたらどうにかして出て行っちまうかもしれないんだからな。やってられんよ」


 私はバンクスとロバートに挟まれるようにして部屋を出た。

「俺だって気が進まなかったんだ、本当だぜ? だが、どれだけクソッタレた汚れ仕事だろうが仕事だからな。今日からお互いまともなベッドで眠れるってわけだ」

 そう言うバンクスに対して、私は何も答えられなかった。


 玄関を出ると正面に安い木張りの馬車が停車していて、その馬車の前にはディアゴスティーノが待っていた。いつもどおりの薄いブルーの粋なスーツで身を包み、私を見ると気に入らなさそうに煙草を地面に叩きつけ、ご自慢の黒い革靴でそれをもみ消した。


「ほらよ、釈放だ」

 バンクスは私の手枷を外し、ディアゴスティーノに差し出した。

 ディアゴスティーノは前回よりも遥かにボロ雑巾という表現がお似合いの私を見て顔を歪め、そして無言でバンクスとロバートを睨んだ。


 バンクスが肩をすくめる。「仕方ないだろう? 今回はイヴ・ヘルメス嬢の殺害容疑だ。チンケなコソ泥と違って取り調べに熱も入ろうってもんだ」

 ディアゴスティーノは無言で私を見る。


「頼むから、同士でしっかり鈴付きの首輪をつけてといてくれよ。もう無駄な仕事はしたくないんだ」と、私を自分の手の中に収めたと思い上がっているロバートがいきがった。


「……アンチャン、二度目だぜ」

「何だよ?」

「その言葉ぁ使うのがだよ」

「だからどうした?」

「……例えウチのシマじゃあなくっても、それを俺の前で三回口にすんじゃあねえぞ」

 ロバートはディアゴスティーノに凄んだ。「うるせぇよ、

 どうやらロビンは童貞を卒業した直後のガキくらいの自信を持っているようだ。そのせいで、ディアゴスティーノの喉がまずい音を立てて鳴っているのに気づいていない。


 しばらく睨み合った後、ディアゴスティーノは水色のフェルト生地の帽子を被り直し、踵を返して馬車に乗り込んだ。

 その後ろ姿にロバートは、ケッと舌打ちをするようにして地べたに唾を吐いた。


 ディアゴスティーノが乗り込んだあと、馬車のドアは開きっぱなしだった。要するに乗れということらしいので、私は誘われるままに馬車に乗り込んだ。

 私が馬車に乗り込むと、ディアゴスティーノは客車の中の壁を叩いて御者に合図をし、馬車を走らせた。

 わざとらしいくらいに、私たちの間には全く言葉はなかった。

 

 窓の外を流れる景色は、たとえ乗り物からだろうと、たとえ春夏秋冬が変わろうと、たとえ世界が滅びかけていようと、それが故郷へと続くものであればすぐに分かる。そしてその流れていく風景が、郷愁と共に私が張り詰めて押さえつけていたものをあらわにさせ始めていた。

 切り結んで命のやり取りをした男、体を無理やり弄んできた男、そして肌を合わせて愛し合った男……どうにも喜怒哀楽に忙しい旅だった。関節の節々すらも、疲れのあまり煮込んだ筋のようにグダグダになりそうになっていたので、私は馬車の座席により深く座り込んだ。


「しばらくここを離れろと言ったろぉ」

「……分かったとは言ってないだろ」

 ディアゴスティーノのため息が聞こえた。

「なぁクロウ。もう剣を置けよ」

 私は腰の刀に手を触れた。

「そうじゃあねぇ。そういう生き方をやめろっつぅ話しだよ」

 黄色と黒のコントラストが鮮烈なアゲハが、馬車の窓のすぐ外を飛んでいた。昔からアゲハ蝶が一番好きだった。モンシロチョウは、何か弱々しくていけない。陽の光を浴びるアゲハは、少女の私には美しさよりも強さを誇っているように思えたからだ。

「別によぉ、その生き方しかねぇってわけじゃあねえだろう。普通に村に留まって耕して紡いで季節がくりゃあ村の祭りの準備して、周りと同じように生きてりゃあいいじゃねぇか。適当にいい奴見つけてくっついたって良いし。なぁに、ガキが産めなくったって気にするこたぁねえ、そういう夫婦だっていっぱいいるんだぜ? 確かに、同い年の奴らはお前に比べりゃあ早死するだろうさ、俺を含めてな。だがよ、考えようによっちゃあ、そりゃただ単に近所の長生きバアさんってことくらいのもんだろ。大げさに取るこたぁねぇよ」

 アゲハ蝶は見えなくなってしまった。確かに大人になってからは、アゲハもモンシロチョウも特別にどちらかというわけでもなくなっていたっけ。

「普通に生きるってぇのはそれなりに根拠のあるもんなんだよ。道みてぇなもんさ。大勢が自ずとその道使って、次第に広くなってなだらかになって歩きやすくなってるんだ。わざわざ獣道を歩くなんて、そりゃあ反抗期のガキのすることよ。最初はぎこちないかもしれねぇが、時間が経ちゃあ歩き方も靴の選び方も慣れてくるもんだ」

 セミの鳴き声が、黄緑色に光っている木々の隙間から聞こえる。一瞬だけの燃えるような生きる力の溢れる季節が、ほんの少し傷を癒してくれるような気がした。しかし、思えば何百年も生きる木々からすれば、私たちもセミも大して変わりはないのかもしれない。短い人生でやかましく生きているという点に関しては。

「……よぉクロウ、俺はお前を退屈させてるか?」

「いいや、お前さんのユーモアのセンスはいつだって最高だよ。ただ今はちと気分じゃないんだ、折をみて思い出し笑いするさ」

 ディアゴスティーノはこれだよ、と呆れ気味にぼやいた。

「クロウッ、オメェのその生き方が一体何になったってんだっ? そうやって世間に片意地張って背ぇ向けて、何か得することでもあったかよっ? 少なくとも俺の目の前にはよ、惨めで見窄みすぼらしいメスのフェルプールが一匹いるだけにしか見えねぇんだけどなぁ!?」

 窓の外から湖が見えた。水面から反射された光が目を刺し、私は片目をつぶった。

「……馬車を、止めてくれないか?」

 ディアゴスティーノはしばらく私を見た後、客車の壁を拳骨で叩いて御者に合図を送った。


 私は何も言わずに馬車から降りた。

 ディアゴスティーノが言う。「おい、どこ行くんだよっ?」

 私はディアゴスティーノを振り返らずに言う。「……先に帰っててくれ」


 湖の湖畔までたどり着くと、そこで乱雑に服を脱ぎ捨てた。そして一歩一歩、湖のより深いところへと足を進めていく。くるぶし、膝、腰……やがて胸の下くらいまで浸かるくらいに到達した頃、私はそこで立ち止まった。


 掌で水をすくい、何度も体を撫でさするように擦る。二の腕、首、そして両手の掌で水をすくうと強めに顔に浴びせかけた。

 波打つ水面には、打ちひしがれた女の顔が映っていた。歪んだ水面が落ち着くと、それが自分の顔だということに気づいた。

 そうか、今自分はこういう風に見えているのか……。


 かつて愛し合い、今では棺桶で埋葬されるのを待つばかりの男が言った。

――どうしてそんなに君は強いんだい?

 それに私はこう答えたんだっけ。

――私が強いわけじゃない。今の世の中、余裕をなくした奴が多いだけだ。


 余裕か……。今は、ないな。


 私は激しく水面みなもに顔を叩きつけ、そのまま湖の中へと体を沈めていった。

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