持たざる者の矜持
日が真上に昇る前に、再びブッシュの取り調べが始まった。
机の正面に座るブッシュが、メガネを下げ上目遣いに言う。「どうした。顔色が優れないな」
容疑者に留置所の牢屋で何が起きてることは、当たり前すぎてこの男には日常なのだろう。
「……寝不足だよ」
私から出るのは虚ろな声だった。何より、慎重に話さなければ唇がまた切れてしまう。
「感心しないな。寝不足は健康に良くない」
本気で言ってやがる。
「では取り調べに入ろうか。昨日、君が東方民族の情報を聞いたという港のマーケットの骨董屋だがね。早馬を走らせて聞き込みをしたが、君に該当する女は見なかったということだ」
私はぼそりと、そうかいと言った。本当に聞いたかどうか。
瞳も虚ろに私は言う。「そこの若旦那は何て言ってたんだ?」
「彼はその日、女の客は来なかったと言っている。ああいう店だ、人が来たら印象には残るだろうね」
くだらない。
「そして確かに、あの辺りに東方民族は多いが、やはり周囲の東方民族たちに聞き込みをしたところ、君が逮捕された廃倉庫はただの廃墟で、彼らの仲間が使っていることはないということだそうだ」
「……東方民族が、お前さんたち役人に聞き込みされて素直に話すとでも? 特に身内のことを」
「私はただ、そう聞いたらそう答えた、ということを話しているだけだ。それでも少なくともここから分かるのは、君の証言が信用するに値しない、ということなんだがね」
「お前さん、私が何言っても信用しないんだろう?」
「君の容疑に関しては確信しているよ」
ため息をついて言う。「なぁ、ぶち込みたいならとっととぶち込めばいいだろう? こんなことしなくたって、私を逆さ吊りにしてあることないことを言わせればいいし、昨日お前さんが言ったように、獄中で心臓発作を起こして死んだことにして死体を法廷に出せばいい。時間の無駄じゃあないか?」
ブッシュは呆れたように「お前というやつは……。」と、軽く前歯を唇からちらつかせて呟いた。
「いいかね。昨日も言ったが、私のような役人が手がける仕事というのは国を揺るがす大事なんだ。貴族や多くの国民が無視できない事件を、明らかに拷問で言わせた証言や被疑者死亡で終わらすわけにはいかんだろう。心地よさと説得力、それが確保できん」
「思った以上にお優しいし理知的なんだな」
「最終決定ももちろん、ある。そういう場合には君の余罪を増やしたり悪評を振りまいて、今回の件には関係なかったかもしれないが、そうなっても仕方がなかった奴なんだと世論を持っていかなければならん。こちらの手間を考えてくれ」
「優しいというのは撤回するよ」
「最後の手段を取るかね。君は不名誉に満ちた死を迎え、墓標は建てられん。たとえ建てられたとしても唾を吐きつけるための観光名所になるだろうね」
「随分追い込んでくるな。お前さん、私になにか恨みでもあるのか?」
「恨みなどないさ。ただ、君のような奴は遅かれ早かれ問題を起こすに決まってるんだ。今のうちに適切に処理しておくべきだとは思わないか」
「……私の余罪を増やしたいなら良い案がある。今ここでお前さんの喉笛を噛み切ってやればいいんだ。どうだい?」私の表情は冷たかったが、口調はやや熱く震えていた。
「それだと少し弱いな。第一、そんな風に縛られてどうやって私に危害を加えるというんだ」
私は体を激しく動かした。たが、手は椅子の背もたれの後ろに回され手錠をかけられたままで、椅子を揺らした程度にしかならなかった。そして、ブッシュは何度もこういった容疑者の足掻きを見てきたらしく、ありきたりなものを見る、つまらなさそうな目で私を見ていた。
「どうだね。せめて、口があるうちに刑務所に行こうとは思わないか」
「……私が後ろに回された手で何をしているか分かるかい?」
「見当もつかないね」
「中指立ててるんだよ」
ブッシュがかぶりを振って言う。「死ぬよりも不名誉なことがあるんだぞ。故郷では忘れられ旅先では誰も知らない、死んだら何も残らん根無し草で空手の君が、侮辱だけを受ける為に死ぬなんて、想像するだけでも虚しいとは思わないか」
「……例えここで私がお前さんの望むように罪を認めて、裁判でも同じことをいったとしよう。そりゃあ私はただ刑務所行くか絞死刑台に立つだけだし、お前さんもヘルメス侯に顔が立ったということで上機嫌だろう」私は手錠で引っ張られる体を前に出して言う。「だがね、その時、お前さんはどういう目で私を見る? 数少ない本当の事情を知る、役人じゃなくひとりの人間として。きっと私のことを記憶の片隅の、気位の欠片もない悪党たちと同じ場所にしまい込んで、そしていずれは忘れ去るだろうよ。それを何て呼ぶか知ってるか? “軽蔑”ってやつだ。そうなってしまったらもう後には引けないんだ。持ち物も残す物もない、お前さんの言う空手の私がその一線を越えてしまった時に、いったい何が残ると思う? 何が!?」最後は、腕がちぎれそうになる程に前のめりになっていた。それでも、ブッシュはたじろぎもしない。
ブッシュは相も変わらず、感情のない薄緑色の瞳で眼鏡の奥から私をのぞいていた。そして私が話し終わったことが分かると、広い額に皺を寄せ首を傾けてから書類に何かを書き始めた。最後のピリオドを強めに打ったのが、この男が初めて見せる感情だった。
書類を書き終わるとブッシュは立ち上がった。「釈放だ」
私は意味が分からずブッシュを見上げた。
ブッシュは部屋の片隅にあるハンガーにかけたスーツを取りながら言う。「今朝がた、犯人が自首してきた」
「……東方民族がか?」
「違う、ゴブリンだ」
私は自分でも分かるくらいに素っ頓狂な声で「はぁ?」と言った。
「君がイヴ・ヘルメス嬢の試練の最中に、奴らに襲われたと言っていたろう。そいつらが一人で旅に出た彼女を襲って殺したということだ」ブッシュは着々と葬式用と見間違えるほどに黒いスーツに着替え、後退した頭を隠すようにまた黒い帽子を被った。「私としては、筋書きの予備をもう少し増やしたかったのだがね。自首というのは決まりが悪いし。だがタイムリミットだ。何より君は死んでも殺害を認めないことがわかった」
「……ざけるな」
「何だ」
私は喉を爆発させるほどの勢いで叫んでいた。「ふざけるな! 東方民族のアジトにいたイヴ・ヘルメスが、どうしてゴブリンに殺されなくちゃいけないんだ!?」
私はさっきよりもさらに体を前に出して暴れた。
「執念深い奴らのことだ、彼女の動向を探ってつけまわしていたんだろう」
「ありえない! アンタだって役人ならわかるだろ? ゴブリンが自首するなんてことがあるか!? 東方民族を探せよ!」
「……我々はこの筋書きで行くつもりだ。というのも、もうよほどの選択肢がない限り何もできないんだ。自首してるだけあって、奴らのことはヘルメス侯の所で直々に取り調べることになってしまったからな」
「それで、真実はどうなる!?」
「真実に関しては神が審判を下すものだ。本当の悪人が野放しになっているのなら、最後は神によって地獄へ行くだろう」
いけしゃあしゃあと神の名を口にするが、それでもこの男は本当に心からそう思っているのだろう。
「……ふざけるな」
扉に手をかけてブッシュが言う。「私は一度だってふざけたことはないよ」
そして部屋から出ていった。
ひとり残された私は、椅子の背もたれに強く体を打ち付け「ふざけるな……。」と繰り返した。
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