ファントムは捉えられたか
ディアゴスティーノとは利息を含めた負債の総額がかみ合わず、というより私が利率はおろか、元々幾ら借りていたかも覚えていなかったせいで、報酬の配分に関して少し揉める事になった。自分のこととはいえ、金にいい加減なフェルプールの性質をついた仕事をしているこの男には相変わらず恐れ入る。
金にせせこましくなると日々の酒も楽しめなくなるので、ある程度で話を切り上げさせディアゴスティーノが酒場を去ったあと、私は依頼人のロランと二人きりになった。
「借金があったんですね……。」
私の恥部に触れると思ったのか、遠慮がちにロランが言う。
「みたいだな」
「みたいって……随分と他人事ですね」
「とっとと返そうとしたんだが、三割の利息だなんて訳の分からない言葉を使って借りた分以上のものを要求してきたんで、襲ってきたアイツの部下を四人ばかしぶった切ったんだ。……いや、利息が四割でぶった切ったのが三人だったかな」私はグラスに残った火酒の最後の数滴を名残惜しむように口に運んだ。「まぁ、どっちでもいい事だ」
ロランが獰猛な獣を見るような目で私を見た。私は上半身をそんな彼に近づけ、もう少しで唇を奪えるくらいの距離まで顔を近づけた。
「言っとくが、これからお前さんが足を踏み入れるのはそういう世界なんだぜ? 先の大戦でお互い勇者側に付いたエルフとフェルプールとはいえ、私たちの世界にはそれ程の隔絶がある。賢者の知恵なんて喧嘩の機知にもならし、高貴な御身分がゴミ同然に打ち捨てられることだってあるんだ。その覚悟はあるのかね?」
「覚悟は……あります」ロランは私からのけぞる様に言った。ふと、上体を引いて露わになった彼のおでこに、髪の生え際から伸びるような傷があることに気づいた。
「……命を賭けるのと捨て身なのは意味が違う」
「その違いは分かります。ぼくには命を賭してでも得たいものがあるんです」
例え安全な酒場だとしても、この辺りなら一年間は遊んで暮らせるほどの大金の話を何の用心もせずに話してしまうロランは、本当にもう少し世間ずれした方がいいのかもしれない。けれど何故か、彼には何か人を惹きつけるものがあった。幼く甘さの残るエルフの坊やとも見えるが、しかし瞳の奥には他の者には帯びることのできない、独特の宿命を背負わされた者にのみ宿る光が時折垣間見えた。
「……いいさ。じゃあとりあえずもう一杯いいかな? で、ここの支払いは必要経費として払っておいてほしいんだが」
「ええ、もちろんです」
「……ちなみに、お前さん歳はいくつになる?」
「今年で25歳になります」
「じゃあ同い年だ、畏まった言葉遣いはやめてくれないか。これからずっと一緒にいるのに、そんな話し方をされたら肩がこってかなわない」
「いくつなんで……君はいくつになるんだい?」
「今年で25歳になる。戦後世代ってやつさ。相応に見えないだろう? 人間の年齢なら30くらいといったところだからね。ちなみにさっきまでいたディエゴは27歳だ。幼馴染だよ」
ロランは私の年齢に驚いていたが、私も私でロランの年齢に違和感を覚えた。後継者争いをするにしては長寿のエルフとしては若すぎないだろうか。
私の五臓六腑から、ほんのりと熟れた果実の匂いがするくらいに酒がまわった頃、私とロランは店を出た。ロランは明日は仕事の前に自分の宿に来て欲しいと言ってきた。より詳しい仕事の説明と、旅の準備をするためだという。私は依頼人にトラブルがあっても困るので、彼が使っている宿まで彼を送り届けることを申し出た。男のプライドが許さなかったのか、私の申し出に抵抗を見せたものの、やはり温室育ちのボンボンだ、女の「押し」には弱かった。だが申し訳ないことに、私と一緒にいたせいで逆に彼をトラブルに巻き込んでしまうことになってしまった。ヴォルクだ。
「よぉ、男連れか?やっぱり“ファントム”の噂は本当みたいだな」
どうやらヴォルクは私が人通りの少ない所に行くまで跡をつけていたようだ。昼間とは違って、牛を解体するためのバフヘッドをこれ見よがしに片手に握っている。もう既に体中がビンビンらしい。
「なんだ、お前さん私の飼い犬になりたかったのか? 甲斐甲斐しくご主人を酒場から出るまで待ってくれていたとはね。どれ、せっかくだから撫でてやろう。そこに仰向けになって手足をバタバタさせるといい」
「テメェ……。」ヴォルクがバフヘッドの鞘を抜き後方に投げ捨てた。
「許してくれ、干し肉はないんだ」
私はあえて挑発的に笑い外套にうずくまる様にして体を小さくした。外套の中では左手がしっかりと刀の鞘を握っている。
「ボスの様子からすりゃあ、そこのオカマの依頼の報酬はかなりのもんなんだろ?全部で10000ジルといったところか。テメェにゃあもったいない仕事だ」ヴォルクは肩をバフヘッドで叩きながら私のほうへ歩を進めた。「ボスにはテメェが逃げたって言っとくからよ、ここで俺に前金と仕事を譲ることだな。でないと、本物の
「やめとけよ、ファントムに関わったら長生きはできないぜ?」
「なんでい、性病持ちか? アバズレ」
私は悟られぬよう、少しずつ、体の向きを変えながら抜刀の準備を始めた。
「ちと違う。腹上死するんだよ、良すぎてな」
「はん、違いねぇ。勇者に媚売りまくった売女の娘だ。そこんトコロはお墨付きだろうよ」
ヴォルクのその一言で私からは一切の情けが消え去り、目の奥がプチリと音を立てるくらいの勢いで瞳孔が縮まった。
「……もう、取り消せないよ?」
「ふん、誰が」
ヴォルクはより一層私に近づき、体を壁に見立てるように胸を張り威圧感を与えようとした。ヘラコウモリの様な顔が、怒りと夜の闇で昼間よりもさらに醜くなっている。なるほど、これがこいつの処世術か。半端なチンピラならこれだけで後手になりそうだ。
ヴォルクが凄むにも剣を振るうにも最適だと判断した位置で立ち止まる。しかし私はさらにヴォルクの深い間合いに入った。彼に何かを囁く為にそうしたかのように、さりげなく。
「馬鹿だよ、お前さん」
私の右手は既に刀の柄を握っていた。鞘から刀を抜くのではなく刀から鞘を抜くように腰を引き、最小限の動きで抜刀を済ます。ヴォルクは外套が抜刀の勢いでめくれ上がって初めて私が既に攻撃の準備に入っていたことを知るがもう遅い。おあつらえ向きに慌ててバフヘッドを振り上げガラ空きになったヴォルクの脇腹を刀が滑り、私はその流れに任せ彼の横を半回転しながら通り過ぎた。体験したことのない痛みに口から屁をこくように呻いた後、ヴォルクは呆けた顔で振り向き私を見る。
立ち尽くすヴォルク。哀れな飼い犬。老いた牛だってお前さんのバフヘッドなら避けられるよ。
そしてようこそ、これがお前の死だ。
私はの肩口から脇腹まで一気に袈裟で切り裂いた。ヴォルクはもう声すら上げられなかった。肺にもう空気が残ってなかったのだろう。
「ファントムは……捉えられたかい?」
私がそう囁くと、ヴォルクは前でも後ろでもなくその場で体をたたむように地面に倒れた。
「何てことを……。」
外套で刀を拭っている私の後ろで一部始終を見ていたロランが呟いた。
「ディアゴスティーノの手下をやってしまったのはまずかったかな。まぁ過払い分はこれでチャラということだ」私は納刀しロランの方へと振り向いた。「長寿のお前さん達からしたら、行き倒れのフェルプールなんて珍しくないだろ?もしこれが初めてなら、今のうちに見慣れておいた方がいい」
「そうじゃない、君は……人を殺した。フェルプールだとかエルフだとかは関係ないっ」
ロランは右手でヴォルクの遺体を示し、左手で私を非難するように指した。
「殺したんじゃない。こいつは殺されに来たんだ」
「そんな理屈……」
「いいか? こいつはどうしようもない阿呆だったんだ。どれくらい阿呆かとういうと、自分の命を危険に晒してみせることでしか何かを得られないくらいにな。命を使うことがこいつにとって最初にして最大にして最後の武器だったんだ。もし、私がこいつを見逃してやったらどうなるかな? こいつは自分の存在意義を失うってことなんだぜ? もう生きていくことなんてできないさ。こいつの武器は実はとんでもないなまくらって事になるんだからな」私はさっきとはうって変わって足音を大げさに立てながらロランに歩み寄った。「お前さん、人の命をもっと尊重したほうがいい」
「……母親を侮辱されたことと関係は?」
思ったより目ざとい坊やのようだ。
「……慣れっこさ」飽き飽きした振りで目をそらした。多分、昂ぶってまだ瞳孔が細くなったままだろう。
「どうするね?こんな獣みたいな私を解雇するかね?どちらかというと、今ので腕の方は証明できたとは思うんだけどね」私はロランの胸を小突いて言った。「さっきも言っただろう、お前さんが踏み入れたのはこういう世界なんだと」私は牙をチラつかせながら笑った。どうにも彼は意地悪をしてしまいたくなる顔をしている。
「……いや、やっぱり君が適任だ」
「そりゃどうも」と、首を横に傾けて礼を言った。「さあ、とっとと宿に行こう。チンピラとはいえ斬ってしまったら後が面倒だ」
ヴォルクの死体の前から私たちは早々に夜の闇へと立ち去った。
ロランに迫った時、私の鼻はある匂いを嗅ぎとっていた。彼のプレートメイルの下にある、男からはしない柔らかな匂いだ。どうやらまだまだ隠し事の多そうな依頼者らしい。
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