旅立ちの朝
翌朝、ロランの使っている宿まで彼を迎えに行くと、どうも昨夜のことが
「体調管理までは面倒を見るわけにはいかないんだが?」
「ああ、うん……。」
私は結構真面目な注意をしているのだが、お坊ちゃまは上の空ときた。
これからの旅の打ち合わせを始めなければならなかったが、用心のために私の家までロランを連れて行くことにした。私と母が過ごした村のはずれにある小さな家は、長い間留守にしていたので少々どころかかなり埃っぽかった。
「朝食の支度をする。表に川があっただろう? そこで顔を洗ってくると良い」私は羽箒でテーブルの上を掃きながら言う。「何なら水浴びをしてきてもいい。数日間、体を洗ってないだろう?」
ロランは驚いたように自分の服の袖の臭いを嗅いだ。
「そんなに気にすることはない。私らの鼻が並はずれて良いだけさ」
ロランがホッとため息をつくのを私は笑って見遣った。
服を畳むための籠を渡してロランを送り出した後、私はお坊ちゃまにお出しするための朝食の準備にとりかかった。
窯に火を入れフライパンを熱して、頃合いを見て朝の市場で仕入れた脂のたっぷりと乗ったベーコンを放ると、ベーコンの脂がフライパンの上に溶けて広がり香ばしい匂いが台所に充満した。
フライパンの表面にまんべんなく油を広げた後、やはり市場で仕入れてきた卵をその上に落とし、表面が白くなり更に卵の端の部分がキツネ色に焦げ付いてきたのを見計らい、ナイフで卵をベーコンごとすくい上げる。
小さなフライパンなので、もう一品同じものを作る合間に沸騰させておいた小鍋のお湯を取り上げ、茶葉の入ったポットにそれを注ぎ込んだ。
二人分のベーコンエッグの皿をテーブルに置き、パンをスライスしてその横に添えてカップにお茶を注ぐと、丁度そのタイミングでご主人様がお戻りになすった。
「いい匂いがすると思ったら、ベーコンエッグか」ロランはテーブルの上を見渡し子供っぽい笑顔を浮かべた。「すごいな、ぼくが水浴びをしている短時間でこれを?」
「左様でございます」
私はうやうやしくお辞儀をする。
「食べても?」
そう言ってテーブルに着いた彼の濡れた銀髪から、真珠のような滴がしたたり落ちた。埃を軽く掃いただけのオンボロ長屋なのに、彼が佇んで何かをするだけで、そこは高価なアンティークを並べた趣味の良いショップのようになってしまう。
「もちろん」
ロランはナイフとフォークを手に取ると、流れるような手つきでベーコンエッグを口に運び始めた。流石は貴族のエルフ様、テーブルマナーは完ぺきといったところか。もっとも、正しいテーブルマナーなど私は知らないので、上品な雰囲気ということなのだが。
「うん、おいしいよ」
私はお茶を飲みながら再度軽く頭を下げる。
「ありがとう。生まれつき手先が器用でね、大体のことはこなせるよ。もし衣類のほつれなんかがあったら言ってくれ。後で直しておこう」
「きっと君は良い母親になるんだろうね。君の夫や子供が羨ましいよ」
とっても愛らしい、無邪気な笑顔でロランは言う。この笑顔への正しい返礼をするならば、私は頬を赤らめ普段よりもやや高い声で「冗談はよして、意地悪な人」と顔をそむけながら言わなければならないのだろう。しかし、あいにく私はそんなマナーを身に着けてなかった。
「……何か気に障った?」
「いいや」
「本当に君はすごいよ、何でもできるんだ」
「ああ、昨晩見た通りだ。
ロランの笑顔が遠慮がちになった。おかげで私も食事に集中できる。
「……何故、この仕事を?」ロランがお茶を飲み終わった口を上品にナプキンで拭う。
「エルフの年齢のことは良く分からないんだが、知りたがりの年頃なのかな?」私はパンで皿に残った黄身をすくい上げて口に運んだ。
「……。」
少し突っぱねただけなのに、ロランは尖った耳を垂らして
「別に、必要に迫られたことを一つ一つこなしていったらこうなっただけだよ。料理を覚える必要があったから包丁を手に取り、裁縫を覚える必要があったから鋏を手に取り、身を守る必要があったから剣を手に取ったんだ」私はカップに残ったお茶を飲み干し、目の前の皿をすべて片付けた。「自分であろうとしただけだよ。そしたらこうなったんだ」
「自分であろうと……」
ロランがまっすぐに私を見る。
「そんな大げさなことじゃない」
食器を片づけた後、まだ温かさの残るテーブルに地図を広げ、この村の位置を指で指し示した。
「私たちがいるベンズの村がこの辺だ。で、お前さんが住んでいるヘルメスの中心都市がここ。……お前さんの探しているご老人の居場所の目星はもちろんあるんだろう?」
「ラクタリスという土地に彼の住まいがあるから、まずそこで手がかりを見つけようかと思ってるんだ」
私はロランに合わせて「ラクタリス」と呟いた。ここから大きな山を二つ越えたところにある場所だが、お坊ちゃま連れでも三日とかからないだろう。だが、そこに老賢者がいると考えるのは甘い見通しだ。そこからさらに捜索を続けることを覚悟しておいた方が良い。しかしよりによってラクタリスか……。
私は言った。「期限は?」
「え?」
「期限があるだろう? 爺さんをつれてくるまでの。まさか、爺さんを連れて帰るまで親元に帰れないなんてことはないだろう?」
そこまできつい口調で質問したつもりはなかったのだが、ロランは気まずそうに眼を逸らした。ロランはしばらく思案した後、意を決したように私を見る。
「彼を連れて帰るまでは……帰らない」
「何?」
「いずれ話す時が来ると思うけど、ぼくにはこれしかないんだ。諦めた時はすべてが終わる時だよ」
昨夜と同じ、彼の幼い瞳の奥に隠れた強い光が表に出てきていた。
「……なるほど素晴らしい。不屈の精神という事か。負けを受け入れるまで負けはしない、何かを成し遂げるには強い決意と意思が必要だ、お前さんはそれを持っているということだね。嫌いじゃないよ、そいういうのは」私は寸でで拍手をするような勢いで手を広げた「……だがこれはビジネスだ」
「え?」
「それまで私を付き合わせるつもりかね? 下手をしたらその爺さんはひっそりと死んでいるかもしれない、それなのにこの先何年も何十年もお供をしろと?」
「あ、いや……」
「割に合わないってだけじゃない。後継者争いというのなら、他にも兄弟がいるんだろう? そいつらに先を越されたらどうするんだ? 貰うもんはきちっと貰うが、骨折りに付き合いあうのは御免だ」
「それは……大丈夫だよ」
「どういうことだ?」
「他の兄弟は……いないんだ。一人は試練の最中に死んでしまったし、もう一人は病気で寝たきりなんだよ……」
「ちょっと待ってくれ。意味が解らない。じゃあ何のためにふるいにかけられるような真似を?」
「それは……実は、父はぼくを後継者にするつもりはないんだ。ぼくを後継者にするくらいなら娘婿を迎えようと思ってるだろうね。だから、例え争う兄弟がいなくても、ぼくには資格がある事を彼に見せる必要があるんだ」
なるほど、皆まで聞く必要はなさそうだ。私の鼻が今も捉えつづけているロランの匂いがそれを補ってくれる。
「ならそこはいいさ。では私を雇う期限だが、次の新月までというのはどうだ?」
もうすぐ満月なので、こちらとしては十分にサービスをしたつもりだ。
「ああ、かまわない。それだけあれば見つけてみせるよ」
「もしそれ以降延長したいなら追加料金を払う事だね。追加料金は今後の経過を見て判断させてもらうが」
ロランは肩をすくめて「了解」と承諾した。
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