依頼

 その晩、私は指定された酒場に時間より少し早く到着した。ビジネスを口にしたディアゴスティーノが妙な気を起こすことはないだろうが、建物の構造やその周囲、さらに店内の物の配置などを把握して、事が起こった場合に少しでも有利に動きたかったのだ。どうやらその酒場は街の中心部にあって、この街の人口のほとんどを占めるフェルプールよりも、人間やホビットの商人達が仕事の話をするために使用する、やや気取ったバーのようだった。貴族たちの社交場を改装して建てられたらしく、故郷を出て行く前の私には寄り付くことも想像できなかった高級な場所だ。安い酒場の木造とは違う青レンガ造りの建物は、掃除さえ怠らなければきっとその日のどんな粗相そそうの跡も翌日には残さないはずだ。


 重々しい木製の両開きの扉を開けると、扉のベルに合わせて数人の客が私に注目する。うち数人は、一瞥いちべつではなく私の品定めを始めるかのように凝視ぎょうししていた。トラブルを起こしたくないので、私はその視線に気づかないフリをして真っ直ぐにカウンターへ向かう。頭上には、貴族が置き忘れていったのだろう、手入れが半端なシャンデリアが輝いていた。


「何になさいますか? ミセス」

 カウンター席に座ると、紳士的なバーテンダーが私に話しかけてきた。

「そうね……火酒は何があるかしら」

 彼の丁寧な物腰に思わず触発されてしまった自分の想わぬ言葉遣いに、飲む前だというのに少し顔が赤くなってしまった。

「はい、本日はトウモロコシの蒸留酒の36年ものがございますので、それがオススメです」

 フェルプールの寿命並に古い酒に少し苦笑しながら、私はそれを何も割らずに持ってくるよう頼んだ。

 バーテンダーは念のため氷か水で割る事を勧めたが、私はそれを断り、再度何も割らないで持ってくるように伝えた。バーテンダーはほんの少し驚いてみせたが、その顔も実に紳士的だった。


 バーテンダーが去った後、私はマッチを爪の先で擦ってシガレットホルダーに差し込まれた煙草に火をつけた。緑翼竜ワイバーンの牙で作られたこの細長いシガレットホルダーは、一年ほど前、一緒に旅をした男から贈られたものだ。あまり高価な贈り物は好まないのだけれど、このシガレットホルダーは象嵌ぞうがんの具合がとても気に入っていたので、今に至るまで大事な旅のお共として私の懐に入っている。もし仮に私を殺して奪う価値のあるものがあるとしたら、このシガレットホルダーくらいのものだろう。


 バーテンダーが酒を持ってくる間、再度店内を見回し客層を確認した。あの用心深いディアゴスティーノが身内のいないこの店を指定するのには理由があるはずだ。伊達でこんな場所を選んだとは考えにくい。

 フロアの中央あたりでは、キャラバン隊の東方民族が物々しく今回運ぶハーブやスパイスのサンプルをテーブルに広げたり、演芸組合のホビットたちが賑やかに酒を飲みながら次回の興行の打ち合わせをしていた。場の雰囲気がそうさせるのか、誰もが自分たちが他とは違う高尚なことをやっているつもりで、演技がかった素振りで話をしている。

 そんな喧騒の中、店の入口の扉が開く音と共に店内が静まり返った。入口から誰かが入るなど珍しい事ではなかったが、一瞬店内がそこに釘づけになってしまったのだ。エルフだった。


 ただ扉を開けて入店しただけのことなのに、その瞬間はまるで装飾の施された額縁に収まっている絵画のようだった。試練を与える老賢者の迷宮に挑まんとする勇敢な若者、そんな物語が自ずと想起されそうな類の。彼の銀色の髪は歩くたびに音色をあげるかのように美しくなびき、うっすらとした褐色の肌は下手な白い肌よりも純潔さを漂わせていた。白銀のプレートメイルから伸びる、細いながらも引き締まった腕は、その褐色の肌のおかげでブロンズ像のように光沢を帯び、さらに彼の中性的な艶のある顔立ちのせいで、フロアのほとんどが男だったにも関わらず、全ての視線が彼に集まっていた。店内の雰囲気を出さなければならない竪琴奏者も、エルフが席に着くまでは演奏がおぼつかなかったほどだ。彼は全てをかき乱していた。


「ミセス、火酒をストレートでお持ちしました。……ミセス?」

 惚けていたせいで、しばらくバーテンダーの声が遠くに聞こえていた。慌てて彼に礼を言うと、私はついでに自分が未婚である事を教え、調子を取り戻すために火酒を少し多めに口に運んだ。 その火酒は口に含んだ瞬間、味を感じるよりも早く舌の上で燃え広がるようだった。下手な悪酔いならば覚めてしまうだろう上質の酒だ。飲み込んだ後には、ほんの少し古いタルの香りが鼻腔に吹き抜ける感じもする。


 悪くない。美しい男、美い酒、やや上向きになっていた私の機嫌はしかし、次に入店した男によってぶち壊されてしまった。ディアゴスティーノだ。


 ディアゴスティーノは脇目もふらずまっすぐに私の座っているカウンターまで歩いて来た。黒豹みたくしなやかな身のこなしで飛び乗るように私の隣の椅子に座ったディアゴスティーノだったが、それはこの酒場ではかえって下品に思えた。おかげさまで私の前で艶かしく踊ってくれていた煙草の煙も、いそいそと霧散し空気に混じって消えてしまったくらいだ。


「逃げずに来るとはな。念の為に街道に手下を配置しといたんだが、無駄になったな」

「帰る度にお前さんとどつき漫才をするなんてのもうんざりだからね」

 ディアゴスティーノは「へっ」と嫌な笑いを浮かべると、カウンターを叩いてバーテンダーを呼びつけた。


「何にいたしますか、ミスター?」

「とりあえず麦酒」

「どの麦酒にいたしましょうか? 例えばモリッツ産の……」

「混ざりもんがなけりゃなんでもいい。あと適当につまむもんなっ」

 まったく、安酒で悪酔いしていたらゲロを吐きたくなっていたところだ。

「……お前さん、この店に来たことないのか?」

「常連だぜ?」おかしな事を聞かれたとでも言うようにディアゴスティーノは言う。

 よくもまあ出禁にならないものだ。それとも私が知らない間に、思っている以上にこの街でコイツが大物になっているということだろうか。


「……別にお前さんと楽しく飲もうなんて思っていないんだ。仕事の話をとっととしてくれないか?」

「まぁ待てよ」

 ディアゴスティーノは麦酒が注がれたグラスが運ばれると、それを味わおうともせず、お冷を飲むように喉を鳴らしながら半分までを一気に飲み干し、口についた泡を袖で拭うと愉快そうに笑った。ディアゴスティーノしては珍しい素直な笑いだ。


「オメェ、中々活躍してるみたいじゃねぇか。ここいらにも聞こえてきたぜ、“ファントム”クロウってな」

「そいつぁどうも」

 私は本当に僅かに頭を下げた。

「でだ、オメェの腕を見込んで頼みがあるんだ」

「おべっかはよせ。腕を見込むも何も、大して見てもないだろ」

「めんどくせぇ女だな」

 ディアゴスティーノは煙草を取り出し口にくわえ、マッチをブーツの底で擦って火をつけた。

 タバコを咥えた口でディアゴスティーノが言う。「護衛をやった事は?」

 私もディアゴスティーノに合わせ、シガレットホルダーを口にくわえ数回煙を吸った。

「あるけど? それが今回の依頼ってわけかね? それだけのことを随分と持って回るんだな」

 ディアゴスティーノは周囲を軽く見渡し、そして私に少し顔を近づけた。 

「馬鹿野郎。こんなところで話すんだ、どういうことかわかるだろ?」

「もちろんだ……だがねディエゴ、お前さんいつからそんな大げさな仕事まで手を回すようになったんだ? 棺桶を豪勢にされると担ぐ側が苦労するんだぞ」

「俺だって安易に手広くやんのは身の破滅を招くことくらい知ってるさ。ただ、今回はたらい回しで俺ん所に舞い込んだんだ。オメェがたまたま帰ってきてなかったら断ってた」

「手下がいるだろう。お前さんの命令とあれば喜んで無茶をしそうなのもいた」

「費用対効果って知ってるか? そりゃあ俺の手下を数人つぎ込みゃあ出来る仕事だろうよ。でもな、その分失うのも多いんなら意味がねぇんだ」

「ああなるほど、私ならしくじってどこかで野垂れ死にしたとしても、お前さんが失うものはないものな」

「そうひねくれるな。……実は今回の依頼者ってのが、さる貴族のご子息様なんだ。それをちょいとあるところまで連れて行って欲しいんだよ。もちろん貴族絡みだ、報酬はこれまでのことをチャラにしたってまだお釣りが来るってもんさ」


 私の後ろの方では、先ほどのエルフにウェイターが注文をとってるようだった。彼の美しさに感化されたそのウェイターの声は少し上ずっていた。ウェイターはエルフが気に入るようなメニューを数品あげていたが、エルフはそれを全て断りハーブティーを注文した。


「質問をしても?」

「オメェにゃその権利がある」

 ディアゴスティーノは頷きながら、煙草の灰を床下に落とした。

「三つばかり気になる点がある。まず貴族様ならばこんな辺境のフェルプールに依頼なんかしなくても、都の騎士連中に仕事を依頼することだってできるだろう。たらい回しにされたといっても、ここまで話が下ってくるのもおかしな話だ。次に、護衛だったなら普通チームを組むだろう、あそこにいらっしゃるキャラバン隊みたいにな。よりによって一匹狼の私に話を降るのはどういうことだろう?それとも既に私以外のチームはもう編成されているとか?」

「……三つ目はなんだ?」

「そして……今回の依頼人はあのお嬢さんじゃないのかね?」


 振り向くと、いつの間にかあのエルフは私たちのすぐそばまで来ていた。さすがの私も少し面を食らい、気まずくなって顔をそらしてしまった。

「……どうしてそう思った?」

「だってお前さん、この店に入って来てから一度もこのお嬢さんを見ようとしなかったろ。こんなにも目立つというのに」

「……分かってるならいいさ。ホントに可愛げのねぇ女だ」

 ディアゴスティーノは面白くなさそうに煙草を床に捨ててもみ消し、残りの麦酒を飲み干した。

 エルフはというと、私の隣にハーブティーのカップを置いて座り「ここから先はぼくが話しましょう」と、顔と同じく中性的な声で話しかけてきた。男だって口説けそうないい声をしていた。

「初めまして。ぼくはロランと申します。今はただのロランです」

 私は確認するように「ただの」と彼の口真似をした。

「……何か?」

「いや、その方が賢明だね。私の名前はクロウだ。ただのクロウ。お前さんと違って深い意味は全くない」

「クロウ?」

「珍しい名前だろ? 父の国の名前らしい」

「ええ、まぁ」

 一瞬だけロランの反応に違和感を覚えた。それは、珍しい名前を聞いたのではない別の何かだった。


「では、貴女の質問への答えですが、やはり貴女の考えている通り事情があります。ぼくの家は代々、世継ぎを決める際、試練を子供たちに課して、それを達成できた人間を候補として選ぶんです」

「何ともまぁありがちな話じゃないか」

「はい。古くから続く家では多かれ少なかれこういうことをやっているんですが、けれどぼくの家は武功で名を立てた一族なので、名目上は独力で試練に挑まなければなりません。おおっぴらに名だたるエルフや人間の戦士を集団で雇うわけにはいかず、といってもオークやリザードマンの手を借りるにはぼくは世間知らずです。途方にくれていた時に、知人からこういった仕事の紹介も兼ねている信頼できるフェルプールがいるということをお伺いしまして、この街まで依頼に来た次第なんです」


 私はディアゴスティーノを横目で見ながら「信頼できるねぇ……。」と苦笑いをした。

「で、お前さんの護衛をするのなら、必然的にその後継の試練というのに私も挑むことになるんだが、お前さんは何を果たさきゃあいけないのかな?」

「ぼくの試練は……ぼくの一族がお招きしていた老賢者を屋敷に連れ戻すといものになります」

「……徘徊老人を連れ戻すのがお前さんの試練かね?」

 軽いジョークのつもりだったが、それにロランは「いえ、彼は聡明な賢者です」と普通に答えた。

「それでもまだ十分じゃないかな。例えば、ダンジョン攻略なら確かに私たちフェルプールの方が良いだろう。手先が器用だし目も鼻も耳も効くからね。だがね、数いるフェルプールの中で私を選んだ理由は何なんだい? 手駒を失いたくないって理由ならディエゴ、お前さんの斡旋業はちょっと信頼が置けないんじゃないか?」

「貴女が彼の知る中で一番の手練なのだと聞きました。優れたレンジャーでかつフェルプールという条件を満たしているのは貴女だけなのだと」

「おやおや……。」

 再び私はディアゴスティーノを横目で見た。ディアゴスティーノは別の意味で面白くなさそうに新しい煙草に火をつけた。コイツにしては珍しく耳が垂れている。


「それが……ぼくが貴女に依頼をお願いしたい理由になります」

 ディアゴスティーノはエルフを眺めて何かを言いたげだった。多分、二人はまだ何か隠している。だが、依頼主に隠し事をされるなんてのはこの稼業では珍しいことじゃない。

「……ぼくから質問してもよろしいでしょうか?」

 ロランは少し遠慮がちに私の体の所々を見つめた。好奇や性的なものとは少し違った目だった。

「もちろん、お嬢さんにもその権利がある」

「……先ほどからのその、“お嬢さん”というのはやめていただけますか?ぼくは男ですし……何より先ほど申しましたロランという名前があります」

「……そりゃ失礼」

 ロランの憮然とした表情、というには大人過ぎる、ふくれっ面は純粋に不快感から来ていた。からかい過ぎたようだ。こういうノリがお好きではないらしい。


「それでは改めてクロウさん、その……まず貴女が女性だというのに驚きました」

「不都合でも?」

「いえ、とんでもありません。あと、その……。」

 ロランは私とディアゴスティーノを見比べ言葉を選んでいた。売春宿で指名したのとは違う女が出てきた時の坊やみたいな困惑だった。私より長生きをしているのかもしれないが、素晴らしいまでの温室育ちだったのだろう、そのウブさにくすぐったい笑いを浮かべそうになってしまう。


「私がフェルプールじゃないと?」

「え、ええ。貴女と彼では違う種族のような……」

雑種バスタードなんだよ、私は。面倒くさいから両方で通すようにしてるんだ。人間かと聞かれた人間、フェルプールかと聞かれたらフェルプールとね」私は髪をかきあげ、隠れていた獣耳を見せた。「でも心配はいらないよ。ダンジョン攻略は何度もやっているし、フェルプール並みに鼻も耳も効く。もちろん、そこにいるディエゴの言うように腕も立つからね。お前さんのオーダーには応えてるはずだ」

「半亜人……ですか」

「その事について興味があったとしても、申し訳ないが答えるつもりはない。仕事には何の支障もないからね」私はグラスを口に運び、火酒を数口飲んだ。「多分私の技量に関しては実際に見てもらわないと何とも言えないんじゃないかな。聞いてるかもしれないが私に選択権はないんだ。だからね、お前さんが私を見初めたならこの場で商談は成立するんだ。どうするね?」

 ロランは困惑したようにディアゴスティーノを見た。私が「選択権はない」と言った意味がわからなかったのだろう。


「……お願いします。ぼくは先ほど言いましたように、ある意味空手からてです。貴方がたを信頼する他ないんです」

「お互い不条理な選択肢という訳か。そうだね、危険な奴らに仕事を依頼してカモられて奴隷商人に売られて悪趣味な貴族にカマを掘られてっていうコースも有り得るわけだから、その方が賢明だ」グラスを傾けながら、私の物言いを気に入らなさそうに見ているロランを横目で見た。「悪いね、育ちが良くないもんでね。でもこれから一緒に旅をしていくんだから、お互いの欠点には目をつぶろうじゃないか。なぁに、花嫁探しをしているわけじゃないだろ」 

「ええ……まぁ、それは……。」

「商談成立だなっ」

 決断をしきれないロランに業を煮やしたディアゴスティーノが手を叩いて宣言した。


「ところでお前さん、今回の仕事でいくら支払う用意があるんだ? 私たちの業界じゃあ、前金で半分、仕事終わりにもう半分ってのが普通なんだがね。あとは……幾分かの支度金かな」

「はい、あまり高額はご用意できないんですが、前金で20000ジル、合計で40000ジルご用意があります」

「40000ジル、強欲なディエゴじゃなくても目の色が変わるな」

「な、言ったとおりだろ? オメェの借金チャラにしたってお釣りがくるって」

 算盤を弾く為か部下に指図をする為にしか使われなくなった人差し指にはめられた指輪を、嬉しそうに弄りながらディアゴスティーノが言った。

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