ファントム、連行さる
通りからこちら向かって何者かが叫んだ。
馬に乗った男が二人、年季ばかりが入った安上がりの軽鎧を装備している。役人のようだ。
「ちょうどよかったよ、お役人さん。こいつらに……」
だが私が役人の方に気をやった隙に、倒れていた男たちは立ち上がり脱兎のごとく路地裏の
「おい待て!」と言って、私は逃げる男たちを追おうとした。
「貴様も動くな!怪しい女だ、何をやっている!」役人は馬から降りながら言う。
役人は二人、私に声をかけたのは中年で私よりも少し背が高いくらいの男で、もう一人はその中年よりも頭一つ背が高い若い男だった。貴族の二男三男で、何不自由なく育ったが何一つ我を通したことがなく、不満を述べつつも常に父親の顔色をうかがい長男のスペアとして無難な役人としての人生を過ごし、常に不満を抱いているにも関わらずその存在に気付いていないから知らず知らずに憂さ晴らしのような振る舞いになり、ふとある夜人生を振り返った時に自分の仕事どころか妻も子供も愛していたなかったのだと気付く類の典型的な役人顔だ。
「おいおい、私はあいつらに襲われてたんだ。あっちを追ってくれないか」
「それはお前がただそう言ってるだけだろう?」
中年も若い役人も、逃げて行った男たちを見ようともしない。
「そりゃあ……じゃあ彼女に聞いてくれ、正真正銘の尼さんだ」
私がサマンサを指すと、役人は気まずそうに顔を見合わせた。
「なぁシスター、襲われていたのは私だ。お前さん見てただろう?」
「いいえ」
「え?」
「ワタクシが見たのは、貴女が街のゴロツキ程度に不覚を取って無様な姿を晒しているところです」
本当に、
「つまり、単なる喧嘩かもしれないってことだな」中年の役人が得意げに言う。
「女一人が男四人と喧嘩だとか本気で考えてるのか」と、私は言う。
「その腰の物はなんだ?武器じゃあないのか?ギルドにはもちろん登録してあるんだろうな?そうじゃあないんだったらお前を無許可のレンジャーということでしょっ引くぞ」
「仕事なんてしてない、ただの教会帰りだ」
「ふん、やましいことのある奴はみんなそう言う」
「やましくなくても言う」私は両手を挙げ肩をすくめた。
「許可書を出せ」
「仕事はしていないと――」
「いいから出せ」
役人に逆らうことほど面倒なことはない。私は大人しくレザージャケットの内ポケットの許可証を出した。一応自分の身分の正しさを示すものなのだが、私はどうにもこの手の書類をいい加減に扱いがちで、許可証は折りたたまれ過ぎてボロボロになり文字も滲んでいた。鼻紙にだって使えそうにない。
役人は許可証を受け取ると、一瞬企んだような笑顔を浮かべ隣の若い役人にそれを渡した。若い役人もしばらくそれを見た後、中年が許可証を取りペラペラと振りながら言う。「これは違法なものだ」
「何?嘘をつくな。ギルドで交付してもらったものだ。よく見てみろ、そりゃあ多少
「……お前、クロウ・マツシタだな?」
「……クロウで十分だ」
「知るか。お前にはいくつかの
「なんだと?」
身に覚えが……と言いたかったがそうでもなかった。特にヘルメス侯に無礼を働いたのはまずかったといえばまずかった。
「連れていけ」
中年が命じると、若い役人が私をふん縛るために荷袋から縄を取り出した。
「そんなことしなくても逃げやしない。黙ってついていくよ」
「お前に選択権はない。やれ」
若い役人が私の背後に立ち、腕を回させ縛り始める。
振り向いて私が言う。「女相手でも縛っていないと恐ろしくて馬も乗れないのかね?」
若い役人の顔色が変わった。
「相手にするなっ」
「さっきから黙ってるのはアレだろ、坊やだから余計なことを言うとヘタを踏むからって命令されてるんだろ?」
「おいっ」
「信頼されてないんだよ、お前さん」
役人の息が乱れ始めている。
「おいお前、あまり調子に乗るなよ。もうすぐ窓一つない役所の地下室でお前の悲鳴が響くんだぞ?だが誰も助けには来ない。お前のような取るに足らない小汚いレンジャーの身を案じる奴なんかこの世に誰ひとりいないんだからな」と、ようやく若い役人は口を開いた。
「面白いな。コソ泥程度なら今の脅しで通用するかも知れん。ロウティーンで初めてパンを盗んだっていう程度のガキならね」
役人の私を縛る手が止まった。
中年の役人が言う。「おいロバート、付き合うな。今日のお前のノルマは女を縛って役所まで連れて行くことだ。それが出来たらご褒美として宿舎の晩飯の厚切りベーコンを二枚から三枚にしてやる。だが、しくじったならベーコンはなし、皿に乗るのは野菜とマッシュポテトだけだぞ」
若い役人・ロバートは顔を歪める。「バンクスさん、そんな言い方無いでしょう。俺だって真面目に――」
私は歯をちらつかせ、囁くように言う。「やったな、ロビン。大好きなベーコンだぞ?次にお使いがうまくできれば食後にゼリーがつくかもな」
「黙れよっ」
ロビンは段々とエキサイトしてくる。
「もしかしてお前さん、つい最近変声期が終わったのかな?やっぱり合唱コンクールではソプラノだった?」
若い役人が私を壁に押し付けた。
「いい加減にしろよお前。俺が何もできないと思ってるのか?」
「そんなことはない。縛った相手にはお前さんは無敵さ」
若い役人は腰から棍棒を抜き出し私の太腿の裏を打ち据えた。私は地面に膝まづいた。
「何をなさっているのですっ。女性相手に恥ずかしくないのですかっ」
中年の役人が注意する前にサマンサが声を上げた。中年の役人は苦虫を噛み潰したように顔を背ける。私にとっては計算通りで奴らにとっては計算外といったところだ。
「この女が抵抗するからですよシスター」と、中年は申し開きをする。
「抵抗?何も動いておりませんが?」
「いや、減らず口を……。」
「ソプラノが恥ずかしいことですか?立派な役割です。だいたい、彼女は自分で歩けると言っているのですよ?縛る必要がありますかっ」
「しかし相手は腐ってもレンジャーです、シスター。万が一ということもありえます」
「では、こうしましょう。ワタクシも貴方がたについていきますわ」
「え?」と、役人たちが同時に声を上げてハモった。そして私のソプラノという推測は間違っていなかった。
「彼女が暴れるようなことがあれば、ワタクシが対処したします」
ロバートは、挙動不審にバンクスを見る。バンクスはその視線を叱責のようなきつい目で見返した。
「恐れ入りますがねシスター、心配は無用です。こっから先は役人の仕事ですし何より女性の、しかもシスターの手を借りたとあっては我々も顔が立ちませんよ」
「貴方たちこそご心配いりません。ワタクシどもアグリコルの修道者に守られるのは恥ではありません。何より、弱き者を手を差し伸べることこそワタクシたちの本懐ですわ。笑いたい者がいたら笑わせておけば良いのです」
彼女にはいまいち話が通じづらい。だが今はそれが幸を成していた。
「なぁ、お役人方」私は立ち上がりながら言った。「お前さんたちこそ、本当にここを管轄している役人かね?」
「なに?なぜそんなことを聞く?」と、バンクスが聞く。
「いやね、わざわざ役人がこんなところを見回るために鎧を装備するというのも変な話かなと」
「それは、ここのあたりで強盗が出たという知らせが……。」バンクスの語気がやや弱くなる。
「だったらそちらを優先すべきじゃないかね?こんな取るに足らないレンジャーの証明書の不備なんて相手にしてる暇があるのか?」
「黙れ。お前の質問に答える義務はない」
「ではこうしましょう。ワタクシと彼女が馬に乗り、貴方がたも残された馬に乗れば良いではありませんか」
「いやシスター、“こうしましょう”と言われましても……。」
「何か、後ろめたいことでも?」
「そんなことは決して……。それにシスター、貴女がどのような方かも分かっていないのに……。」
「この修道服が何よりの証です。よもや貴方、ワタクシを偽物の修道女だとお思いですか?」
「それを言ってしまえばシスター、貴女だって私らが偽物だと思ってるということですかね?」
「ふふふ、その可能性も捨て切れませんわね。さぁ、では参りましょう」
サマンサは縄を解き私を馬まで押していく。
私を馬に乗せるとサマンサは笑って言った。「もしこのお役人方が偽物で貴女も偽物、ワタクシまで偽物となったら中々に愉快な道中になりますわね」
「……お前さんユーモアのセンスがあるよ。修道女にしておくのがもったいない。喜劇の脚本を書かせたら年末の興行では拍手喝采の大ウケで演芸組合のホビットたちが歯噛みをして悔しがるんじゃないのか。エルフに負けたってな」
サマンサは「まぁお上手」と上機嫌に手綱を振るった。彼女のユーモアのセンスには期待できそうにない。
実際に去年の春の興行で似たような喜劇が上演されていた。留守の屋敷に忍び込んだ泥棒がその家の娘につきまとっていた結婚詐欺師に父親と間違えられ、けれど泥棒は間男をその家の娘の婚約者だと勘違いし、まがい物の宝石を売りつけようと屋敷を訪れた宝石商と婚約指輪の相談するというドタバタ喜劇。だが興行は大失敗に終わった。
結局みんな、考えることは似たり寄ったりなのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます