場末の酒場にて

 夜の街に繰り出すと、私たちは目についた酒場に入った。そこは民家の馬小屋を改築したような、簡易な造りの店だった。実際、隣は馬小屋になっていた。建物の木材にこびりついた微かな馬の糞尿の臭いは普通、飲食店にはあるまじきものだが、この店においてはそれが相応しいものなのだとも思えた。

 足を踏み入れると、床板は私の体重でもギシギシと音を立てるほど頼りなく、かつてロランを出会った四季亭と比べると遥かにみすぼらしかった。ロランのようなエルフの貴族が足を踏み入れるような場所では到底なかったが、この旅のあいだにそういうものにはもう慣れているらしく、彼は少しも顔の色を変えずにレディーファーストで私の後について入っていった。


「いらっしゃいっ」

 頭の禿げあがった初老の店主が、自身も出来上がっているらしく、頬と鼻の頭を真っ赤にして声をかけてきた。

 店の中にはエルフや亜人の姿は見当たらなかった。どうやら人間ご用達の酒場のようだ。酔っぱらいは多いが、特にガラの悪そうな連中は見当たらない。ヘルメス侯の膝元では、ヤクザの息がかかった酒場が少ないので、店にい入る前にいちいち店構えや客の様子をうかがって用心をする必要がないので助かる。そこら辺に関してはあの欲深い男に感謝しなければならないところだろう。

 部屋の中央では男たちがポーカーに興じ、隅では肌の黒い男がピアノを奏で、その隣で男と同じ黒い肌の女が人間の讃美歌を歌っている。誰も聞いていないのを感じ取っているせいか、ピアノも歌もかなりぞんざいで、喧噪の一部と変わりがない程度のものだった。隣で咳をしただけで掻き消えそうな声は、せめて給料分は働こうということか。


 私たちは適当な席に座ると、各々火酒と果実酒を頼んだ。

「乾杯」ロランが運ばれてきたグラスを掲げて言う。

「何に?」

「このペンダントを……。」ロランは懐から、毒の入ったペンダントを取り出した。「無事に捨てられることに」

「そうだな……。死が二人を分かつことがなかったってことだ」


 すべてが終わった。無事に終わった旅だ。そして何より、私の仕事は完全に終わった。あとはロランの手から大金が零れ落ちるのを待つばかりなのに、私の気は晴れなかった。ロランはといえば、喧噪の中からピアノの音を聞分ける様に注意深くピアニストを見ている。お互い、すぐに酒を飲む気にはならなかった。


「なぁ……。」

「何だい?」頬杖をついたロランは無邪気な目で私を見る。

「その……後継者になるばかりが手ではないだろう。新しいやり方だって、きっとあるはずだ。お前さんの好きな言い回しさ、“他にやりようがある”ってね」

「そうだね、修道女になるのもいいかもね。ひっそりと、日陰に隠れて生きるっていうのも」

「そういう意味じゃあない」

「わかってるさ……。」ロランはそう言ってから再びピアニストと歌手に目を遣り、わかってるさ、と再度呟いた。

 ロランのように、私もピアノと歌手の歌声に耳を澄ます。それは人間がかつて奴隷だった時代に彼らを鼓舞するために歌われた歌で、どこか遠い世界から自分達を救ってくれる英雄が現れ彼らの敵を打ち倒し、約束の地へと連れて行ってくれるというものだった。人間のあいだには彼らの願いが祈りになり歌になり、そして転生者を呼び寄せたと信じる者がいる。人間にとっては特別な歌だ。探るように耳で探る彼女の声は、酔っぱらい共の声に紛れて掠れ、より一層悲壮感を強くしていた。


「よおアンタ、ここがどこか分かってるのかい?」

 静かに飲んでいる私たちの間に、酒の匂いを通りこしてゲロの臭いを巻き散らかすほどに酔っぱらっている男が割って入ってきた。しかも酒に加えて、くしゃくしゃの巻き毛に脂が絡み付いてうんざりするほdの悪臭ときた。フェルプールの女を買うならば、金とは別に一瓶の葡萄酒を付けてぐでんぐでん酔わせて鼻を鈍らせる必要がありそうだ。


「エルフが出入りするようなお上品な酒場じゃないんだぜぇ?」

 私は髪で獣耳を隠すようにしていたが、ロランは上手くそれができずに一方的にからまれてしまった。

「エルフわぁ、エルフらしくお上品なカフェでやってろってのぉ。なんだぁ、貴族様が庶民を高みの見物ってかぁ?」

 酔っぱらいがロランの肩に手を廻す。私が出ようか? という具合に目配せをすると、ロランは大丈夫という風に微笑んだ。

「ミスター、つれないことを言わないでください。決してそんな気で足を運んだわけじゃありません」

「どうだかねぇ。こぉんなところにエルフが来たって、楽しめやしねぇだろ。さっきから辛気臭い顔してんじゃねぇか」

「そんなことないですよ」ロランは爽やかに困った表情をつくり、「マスターこの紳士にお近づきの印に葡萄酒をっ」と手を挙げて声をかけた。

「ほぉいいねぇ、俺ぁ何だかアンタの事を気に入りそうだ」酔っぱらいはニヤニヤとロランを見て、ロランはありがとうございますと会釈をする。

「俺らに混ざりたいってんなら、ゲームの一つでも参加してくれないとな」酔っぱらいは店主から手渡された杯を上機嫌に飲み干しながら、顎でポーカーで興じるテーブルをしゃくった。「お上品なエルフに、受けて立てるかい?」

「ポーカー、ですか?」

「そうだとも。ルールの説明はいらないよな?」

「もちろん」

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