許される場所

 いくら激昂しようが、扉の使い方まで忘れるものではない。私はヘルメス侯の部屋の扉を丁寧に閉めると、とっとと屋敷を去るため私服を預けた衣装部屋に戻ろうとしたが、借りものの上等のドレスをボロボロにしてしまっている事に気付いた。まずいな、とうしたものか。頭を掻きつつ沈みかけている夕日を見ながら思案していると、後ろから「ライリー殿っ」とウォレスが声をかけてきた。


「いやはや、先程は恐れ入りました」

 ウォレスは広大な庭の隅に位置する彼の小屋へ私を案内してくれた。完全に庭いじりの老人になっている彼は、腰を曲げがちなせいもあって体は一回り小さく見え、頭の傷も今では最初に会った時のように単なるハゲに戻っている。


 ウォレスは私を椅子に座らせると部屋の奥のクローゼットをあさり、「男物でよければ……。」と、着替え用の作業着を出してくれた。私は礼を言ってそれに着替え、彼はその間に茶菓子の用意をしていた。


「疲れたでしょう、激しく動きましたからね……」そう言って葡萄酒を杯に注ぐウォレス。

「ご厚意、痛み入ります……。ところでご老人、その……不躾ぶしつけかもしれませんが、もしお気になさらないのであれば煙草を……。」

 ウォレスは目を丸くしたあとに、おお、構いませんよと頷いて灰皿を棚から取り出した。

「煙草は、私も若い頃にたしなんでおりました」


 私は缶に詰めてあった巻き煙草を取り出し、爪でマッチをってようやくありつけた煙草を思いっきり堪能する。煙草の先端を朱く光らせた後、胸にたまった煙をゆっくりと、物憂ものうげなため息のように吐き出した。

「色々と規格外なお嬢さんですな、貴女は……。」煙草の匂いを嗅ぎながら、ウォレスが目を細めて言う。

「……規格外というのならば、この屋敷のご令嬢も負けてはおりませんがね」

 ウォレスはそれに関して、気まずくうつむいた。「イヴ様は……男勝りといいますか、やや普通の女性とは違うところがありましてな……。そこがヘルメス様の悩みとなっておりました……。」

「本人は、自身のことを男だと信じています」

 ウォレスは首を振りながら言う。「確かに、あの方が男であればと常々思うことはあります。勉学も剣術も、他の兄弟よりもはるかに努力なさって……。ですが、あの方が女性であることはまぎれもない事実。何と申しますか、彼女の乳母も侍女もそれは間違いないことだと……。」

「他人から名指しされるものばかりが自分ではありませんよご老人。自分で定める自分というものもございます」

「しかし、世の中には自然の法則というものがございます。それに逆らえば、手痛い返しが待っているのです……。」

 私は「自然、ね」と言って灰皿の縁で煙草を叩いて灰を落とした。

「私は以前、リザードマンの国にいました。彼らのことを?」

「言い伝えのみでは……。」

「彼らは……修行中には完全に女を断つのです。女にを抜かしては剣が身につかないということでね。この国の人々からすると馬鹿げた話ですが、彼らのそれは信仰の域にまでなっておりましてね。女を遠ざける者ほど豪傑とされます。なのですが……」私は煙草を吸いなおし、しばらく次の言葉をためらった。「やはり、若い衆です。どうしても、耐え切れないものが出てきます。そういう場合、彼らは男同士で済ますのですよ、その……を」

「……理解しがたいですな」と、ウォレスは首を傾け右の眉を吊り上げて言う。エルフにとって同性愛は禁忌だ。


「確かに貴方たちにとってはそうでしょう。けれどリザードマンの武芸者にとって男色は日常のものどころか、ひとつの美意識ですらあります。美少年などはちょっとした人気者ですよ。戦場でも彼らはお気に入りの同胞がいますから、村々で女を襲う必要がありません」

「あるいは……この世界のどこかにイヴ様を受け入れる場所があるかもしれません。そうであるならば素晴らしいことだとは思います。それがあの方の幸せになるのであれば……。」

「ささいな常識が彼女を苦しめるのであれば、別の世界へ旅立たせるのも親心の一つではないでしょうか、ご老人」

 ウォレスはうつむきながら左右の指をくっつけ物思いにふけった。

「貴女の仰りたいことはこのウォレス、以前より頭の隅にはあったことでございます。もしかしたら、と。ただ、あの方はただの町の娘ではございません。由緒正しきヘルメスの人間であり、わたくしめは使える身にてございます」

 戦場を駆け巡った武人は歳のせいなのか元からなのか、しっかりと鎖に繋がれているようだ。最後の最後に、彼もまた生き方を曲げられぬのだろう。


「なれば、彼女が自分で自分の運命の手綱を握れば良いことですよ」と私は言い、老人はそれにうめくように返事をする。


 私たちはしばらく沈黙していたが、ノックの音と共にそれが破られ、小屋の扉が開きロランが顔を出した。ロランの手には私の私服があった。

「ク、ライリー、ここにいるって聞いたんだけど」

「服を持ってきてくれたのか、助かったよ」

「その格好じゃ歩き回りづらいだろうと思ってね」

 私はウォレスを横目で見て、「旅の始めと比べて、随分と気が効くようになったのですよ」と皮肉めいた微笑を浮かべて言った。

「それでさ、本当は今回の旅でお世話になった君をもてなしたいんだけど……ほら、結局あんなことになってさ……。」

「ああ、構わないよ。というより、そちらの方が助かるね」その後に私が洒落にならない無礼を働いているのだから、いち早くこの屋敷を出たほうがいいだろう。

「え?」

「何でもない、領下町の酒場の方が落ち着いて助かるという意味さ」


 服を着替えてから私たちはすぐに屋敷を後にした。厳重な警備のある正面からは出られそうになかったので、ロルフが使っていたという屋敷の植林の奥にある抜け道を使った。それは壁の腐食した部分を削り取り、細身のエルフがかろうじて身をよじって通り抜けられる程度の僅かな亀裂だった。


「しかし問題はないのかね?」

「何がだい?」

「部外者をこんな抜け道に案内して。賊がここを知ってしまったらまずいだろう」

「君が賊の手引きをするのかい? まさか。それに、こんな小さな抜け穴を通れる賊なんてたかが知れてるよ。屋敷にはここから腕も入らないくらいに屈強な衛兵がいるんだよ」

「そうだな、ここを難なく通り抜けられるのはゴブリンくらいか」


 四つん這いになって進んだ壁の穴を、まずロランが通り抜ける。胸の所がつっかえてやや難儀したようだ。次に私が通り抜ける。ロランと違いすんなり通り抜けられると思ったが、尻の辺りでつっかえて完全に動けなくなってしまった。

「クロウ……。」

「……何も言わずに引っ張ってくれ」

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