異母兄弟

 私は部屋を出ると、周囲を確認してから動きにくいハイヒールを脱いで素足で歩き始めた。トイレに行くのにも一苦労なほどに広い屋敷も考えものだ。


 セーラに教えられた方向に行く途中、通り過ぎようとする部屋から女たちがはしゃぐ声が聞こえた。それは名家の屋敷の女にはあるまじき、甘くだらしなく、ふしだらなものだった。覗くのも失礼なのでそのまま素通りしようとしたが、私がその部屋の扉を通り過ぎようとしたちょうどその時に、中から女がぶつかる勢いで飛び出してきた。受け止めようとも思ったが、ドレスを傷物にしては事なので寸ででその女をかわす。女はつまずきこそはしなかったが、体をよろめかせながら大笑いをした。


「やめてくださいましジュウク様!」と、女が悲鳴なのか嬌声なのか分からない声を上げる。使用人のメイド服の肩口が元のデザインからかけ離れてはだけているのも、襲われている最中なのか事の最中なのか判別させづらくしていた。人の家で私とは無関係の厄介事に首を突っ込む訳にもいかないのでその場を立ち去ろうとすると、また部屋の扉から「逃がさないぞ~プリンちゃ~ん」と男が飛び出して来た。


 その男は上半身は裸でズボンも前のボタンが完全に外され、もう少し下がればナニが見えてしまいそうなくらいにずり下がろうとしているが、器用にもサスペンダーがそれを寸前で防いでいて、そしてこれまた器用なことに、その紐が上手く男の乳首を隠していた。まったく関わりたくなかったものの、困ったことにあちらから声をかけてきた。


「おや~君は誰だい?見ない顔だね?」と、男は使用人に全く興味をなくして私の顔をじっくりと観察する。

 その男は一見したところエルフだったが、よく見ると違和感があった。髪はエルフには珍しい黒に近い青色で、瞳も黒い。何よりも耳の形がロランと違いやや丸みを帯びている。どちらかというと、人間の耳が尖ったような印象だ。体つきはやや細いものの神殿の彫刻のように整っていて、肌も大理石のように白いが安っぽくもあった。というのも、パッと見で典型的な魅力のある男なのだが、ロランのような独特の陰影があるわけではなく、とどのつまり、その魅力は汚れていないというだけの小綺麗さでしかなかった。エルフの正確な年齢は分からないが、外見は10代半ばといった感じに見える。


「新しい使用人にしてはそんなドレスを着ちゃってるし、もしかしてお客さんで?」

「……そういう場合は自分から名乗るもんだよ」

 様子からしてヘルメスの人間のようだが、私の雇い主はロランだけだ。へりくだる必要もない。

「へぇ? 俺のこと知らないの? マジで? 意外だなぁ」

 少し無礼を働いたつもりなのだが、男は気にしていないようだった。

「手配書では見たことがないな」と私が言う。

 男は驚いたように、しかし笑顔を見せる余裕で「ひょっとして……その界隈かいわいの方なので?」と、伺うように言った。

「仕事できてるんでね、悪いがそこの使用人たちみたく戯れてる暇はないんだ。用がないなら行かせてもらうよ」

 去ろうとした私を男が強引に立ちふさがって止める。しかし、それでもサスペンダーは男の乳首と股間を守り続けた。

「つれないなぁ、そんな態度をしてると台無しだよ?」と、男が私の顎に指をかけようとする。「せっかく美しい顔なのに……」

「別に私が望んだわけじゃないさ」

 私はその手を振り払い立ち去った。男は他の女たちを絡めてきただろう文句が通用しなかったので、困ったように眉をしかめている。

「なぁせめて名前を教えてくれよっ」去っていく私に男が言う。だが一生会うことのない男だ、聞く必要も教える必要もない、私は早々に厠に向かおうとした。しかし……。


「俺の名前はジュウ


「何?」

 私は思わず振り返った。


 男は得意げに言う。「皆はジュウクって呼ぶよ。君の名を?」


「……キャットイヤー・ライリーだ」


 去っていく私にジュウクは「覚えておくよ、ハニー」と声をかけた。


 用を足しロランとヘルメス侯の部屋の前で合流すると、私はほんの少し不信感を交えて言った。

「隠していたんだな?」

「え?」私の様子を察したロランが戸惑い気味に反応する。


かわやに行く途中でお会いしたよ。彼も雑種だろう?」

「ああっ、ええっと……。」ロランは気まずそうに顔をそらし、言葉を探し悩み始めた。「その、似てるなとは思ったんだよ名前が……。ただ、どう説明していいか分からなくて……。切り出し方も、その……。」

「まぁそれはそうかもしれないな。仕事をする上では確かに不必要な情報だ」

 しかし、こんな所で腹違いの兄弟に出くわすとは。どうりで、名乗った時にロランもサマンサも心当たりのある顔をしたわけだ。


「何故彼はこの屋敷に?」

 ロランは気まずそうなままで言う。「その……彼は君にとっては異母兄弟かもしれないけれど、ボクらにとっては異父兄弟なんだ……。」

 深く理由を聞きたかったが、もうこの時点で嫌な予想しかつかない。反吐が出そうなほど嫌な予想の。


「勇者様が、ボクらの母を見初めて……その、父上に申し出たんだ……あの……母上に相手をしろと……。」

「オーケーオーケー、それ以上は聞きたくはない。なるほど、それは言い出しにくいな。種違いと腹違いの話ならそうなるだろう」

「それだけじゃないんだ……。勇者様は父上の目の前で、母上を……。」

「別にいいと言ってるだろうっ? 改めてアイツのクソっぷりを説明しなくても」

「大事なことなんだよ、クロウ。それで……父上は勇者様に感謝をしているのは確かなんだけど、同時に複雑な思いもあって……君が彼の子供だと知ったら」

「……私にどうしろと?」

 ロランは私に頭を大きく下げた。「ゴメン、クロウ! 君の出自は隠して欲しいんだ。本当に申し訳ないけど、今回限りだと思って協力してくれ!」


 私は大きくため息をついて言う。「分かったよ、別に自分の親を誇りに思ってるわけじゃあないし、雑種のことを隠すのは今回が初めてじゃない。……で、他に何がお望みなのかしらダーリン? 婚約者とでも言っておくかね? お前さんを讃える言葉を1ダースそらんじられるほどベタ惚れだということにして。“ロラン様ったらすっごく素敵なの、昼は紳士的で夜は侵略者、事の終わりには詩人にもなるの。ワタクシ、心も体も女の喜びはすべて白金の麗人イヴ・ヘルメス嬢に教えてもらいましたわ。この方の前に立つ私はただ一人の女、着飾ったドレスも教養もすべて剥ぎ取られ彼の愛撫を待つより他仕方のない哀れな婢女はしためになってしまうのです”って」


「何というか……その挑発的なもの言いを、控えて欲しいなって……。」

「その要望はしばしば耳にする。だが申し訳ないがこればかりは直しようがない」


 ロランは悲しそうにため息をつき、分かったよとヘルメス侯の部屋の扉に手をかけた。私は髪に猫耳が隠れるよう髪型をセットし直した。


「そういえば、あの男は後継者の資格はないのか? 至って健康体のようだが?」

「……彼は異父兄弟だからね、ヘルメスの名を継いでないんだよ。そして君と違って……本名を名乗ってる」ロランは振り返って私を見た。「ジュウクロウ・マツシタと」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る