第五章 ラヴ・イン・ヴェイン
馬子にも衣装
暗闇の中、クローゼットでお仕置されている子供みたいな心持ちで身をうずめてい数時間、ようやく都に到着した。馬や徒歩での旅より速く安全だったとはいえ、その間私はまったく生きた心地がしなかった。
「あそこがボクの屋敷だよ」
そう言ってロランが指し示す先には、高い壁に囲まれた真っ白な屋敷があった。古い昔ながらのエルフの貴族の住まいと違い、様々な国の技術や趣向をごった煮にして寄せ集めた造形で、白すぎてまばゆい光を放つそれは、清廉潔白さを主張しすぎて逆に胡散臭い神官のようでもあった。霊廟と同じ種族が作ったものだとはとても思えないナリをしている。
グリフィンが屋敷の中庭に降り立つと、最初は使用人たちが何事かと驚いていたが、魔物の背中からロランが降り立ったのを見ると、すぐに主人の令嬢の帰還を喜びながら駆け寄ってきた。喜び方から察するに、どうもロランが試練を無事に終えて帰ることを疑っていた者もいたようだ。
「イヴ様っ」と、年老いた庭師らしき使用人が恐る恐る近づきロランに安堵の表情を向けるが、奥の魔物の背中から老賢者が降りてくるとその表情は驚愕したものに変わった。「ディオール様……!」
無事に帰還し、さらに目的まで達成したことがあまりにも想定外なのだろう。
ロランは得意げに魔物の背中から降り「父上は?」とその使用人に問いかける。
「お部屋におられますが……その……。」
「いきなり面会しようっていうんじゃない。用意ができたら向こうから呼ぶだろう。それまで久しぶりの屋敷でのんびりするよ」ロランは屋敷を見渡し感慨深げに言う。「しかしまるで、何年も帰っていなかったみたいな気がするな」
無事だとはいえ、彼の衣服の汚れようやその言葉から、今回の旅が簡単なものではなかったことを察したらしく、老いた使用人はうやうやしく頭を下げた。遠くでは、別の使用人が老賢者の上着を預かり頭を下げ屋敷の中へと案内していた。
「そちらの方は……」礼を失してはならぬと思いながらも、私の身なりに不信感を隠せずに使用人が言う。まあ、よくある光景だ。確かに私の格好も、ボロボロのジーンズに上はヨレヨレのタンクトップだけという、貴族の屋敷を動き回って良い格好ではないのだから。
「彼女はクロウさん。今回の試練でボクの付き人をやってくれたんだ。彼女がいなかったら命が三つあっても足りなかっただろうね」
「それはそれは、イブ様を助けていただき使用人一同を代表して礼を述べさせていただきます」
「ご老人、それが仕事なのです」
そう返したものの、老いた使用人は頭を改めて深々と礼をする。下げた頭の上には、変わった禿があった。
「イヴ様っ」
建物の方から若い男の声がした。それを聞くと、ロランは口角を釣り上げ「カルヴァン……」と作り笑いで返事をした。
「驚きましたよ、まさか試練を達成なさるとは……。」歩み寄ってきた金髪のエルフの男は、自信に満ちた笑顔を向けながら言う。彼の作り笑いはロランとは違い、主従関係がありながらも、まるでロランの弱みを握っているかのような嫌らしさを漂わせていた。
「ヘルメス様ほどではありませんが、私もここ数日不安で眠れなかったのですよ。貴女が魔物や亜人によって大変なことになってはいないかと」と、色艶のある白い肌を光らせ、私を一瞥しながら言う。「しかし様子を見るにそこまで大げさな旅ではなかったようですね。何せ女だけで達成できるのですから」
「……疲れてるんだ、お前の無駄口に付き合っている余裕はない」
カルヴァンは、それは失礼と肩をすくめ「では、ヘルメス様のお部屋でお会いしましょう」と踵を返し去っていった。
「……誰だ?」
「ロルフのお付きだよ。ロルフが病に
なるほど、だとしたら彼はロランに感謝すべきだろう。あの坊やじゃあゴブリンの襲撃をかわすことなど、それこそ命が3つあっても無理だ。もっとも、それは誰が奴らを雇ったかによるのだが。
「それより、これから父上に謁見しなきゃあいけないんだ」
「ああ、そのようだね」
「それで、ボクひとりで会うわけにもいかなくて、誰と試練を達成したか父は知りたがると思うんだ。それで、その……。」ロランは気まずそうに私を横目でチラチラ見た。「着替えてはくれないかな? 流石にその格好は……。」
「あ~もちろんだとも」
「気を悪くしないでくれ、父は古い人間なんだ」
「分かってるさ。私だってこの格好で今からお前さんの親父さんに会えって言われたら、逆にお前さんに着替えを提案していたよ。しかし、まさか私にドレスに着替えろと言うわけではあるまいね」
ロランが気まずそうになった。なるほど、そいういうことか。
数人の使用人たちにそそくさと目をそらされながら、私のベンズの実家くらいあるだろう広さの衣装部屋に通された。部屋のクローゼットには冠婚葬祭用の形式ばったものから、舞踏会用の華やかなものまで実に様々な女性用の衣類が用意されていた。替えの普段着を期待したが、私が普段着るようなものは、あいにくここのクローゼットたちは存在すら知らずにお役御免になるに違いない。
侍女たちが服を
二口ほど飲んで私が言う。「ありがとうございます。こんな流れ者にこんなにも上等なものを振舞ってくれるとは」
「あらぁ、お茶に詳しいのですね?」
「フェルプールなのでね、鼻が効くのですよ、マダム」
「最近は東方の商人たちが都に出入りしておりまして、彼らが上質の茶葉を持ってきてくれるのです」
東方民族、確かに最近は彼らが増えた。転生者が関所の敷居を低くし、通貨を統一したり道幅を揃えたりしたのが原因だというが。
何より淹れ方が良い、と私が言うとセーラは口を押さえ上機嫌に笑った。世辞などではなく、きちんと硬度の低い水を使っているおかげで、みずみずしい果実のような甘い香りが損なわれていない。
私がセーラと話している間に、他の侍女たちがドレスを数着見繕ってくれたようだった。それらは体のラインを強調したり、所々肌を露出させたりと、生まれてこの方着たこともないような上等なものばかりだし、何より私の趣味ではなかった。しかしこれも仕事だ。私は動きやすそうなエメラルドグリーンに輝くドレスを一着選んで更衣室に入った。それは妖しの森の魔女のものほど淫靡ではなかったが、布は薄く頼りなく体に寄り添い、激しい動きをすれば簡単に脱げてしまうようなドレスだった。何より、布が風をよく通すのですぐに体が冷えてしまいそうだ。
私が更衣室を出ると、姿を見ずともまずお世辞を言うために待ち構えていた侍女たちが、歓声をあげようとしたその瞬間口ごもってしまった。
「すまないね……足ばかりに栄養が行ってしまっていてね……。」
ドレスのスリットから、普通の女の倍はあろうかという私の太腿がはみ出ていた。侍女たちが選んだ中では控えめであったはずのドレスが、娼館の女が着るもののようにだらしなく見える。細かい傷が、辛うじてストッキングで隠れているのがせめてもの救いか。
「ええっと……どうしましょうか」と、セーラが回りを見渡し「スリットのないものがよろしいのでしょうか?」と別のものを用意させようとする。
「いや、これで結構。他の奴だとおそらく動きにくいでしょう」
侍女たちが足をどう隠すかを思案していると、「クロウっ」と衣装部屋にロランが入ってきた。
「うわぁ、よく似合うよ。普段の格好も良いけど、そういうのだってたまにはいいんじゃないかい?」
私はありがとう、と頭を軽く下げた。
「でもさ、ちょっとそれサイズが一回り小さいんじゃないかな?足がはみ出てるよ」
「……お前さんはもうちょっと乙女心を理解するべきだな」
私はすっとぼけた顔をしているロランを尻目にセーラに話しかける。「マダム、とても美味しいお茶をありがとう。それで、相談なんですが、お茶を飲みすぎてしまいましてね……その」
「茶葉でしたら、後ほど包ませてお渡ししましょう。違いのわかる方に飲んでいただくのが何よりですから」
「ええ、それもありがたいんだが……飲みすぎた上にこのドレスがやや冷えるのですよ……。」
「ああ、
「小便ですよ、マダム」
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