帰路

 老賢者の旅の支度を待つ間、私たちはサマンサの用意したお茶を飲んでいた。それが飲み終わり安心しきっていた所、私は大変な事を忘れていたのに気づいた。

「どうしたんだいクロウ?」

「……帰りをどうしようか」

「……あ」


 馬も二頭しかいない。歩いて行こうにも老賢者はあの体だし、何よりゴブリンの心配もある、一体どうしたものか。


「ご心配には及びません……。」頭を悩ませている私たちにティーセットを片付けながらサマンサが言った。


 私たちは霊廟の屋上に連れて行かれた。

 サマンサは屋上の真ん中に立つと、胸元から笛を取り出しそれを思いきり吹き始めた。すると、さっきまで上空にいた鷲たちが逃げ去り、二対の影が空の彼方より現れた。鳥かと思われたその影は、近づくにつれ鳥どころか馬よりも大きくなっていった。

 霊廟に降り立ったのは、鳥でも獣でもない、獅子の体にわしの翼と頭を持つ魔獣、グリフィンだった。その瞳はあらゆるものを射すくめる程に鋭く、くちばしときたら一突きでも目をつつかれたら眼底ごとえぐれてしまうくらいに巨大だった。羽ときたら一番小さなものでさえ羽箒に使えそうなほどに堅牢で、体だってどんな巨大な獅子さえもこのグリフィンには見劣りするだろう。大きな鉤爪は精気溢れる生きた馬の腹部だっていとも簡単にえぐりとってしまうに違いない。

 そんなグリフィンがサマンサの前に鈍い音を立て降りると、彼女の前で甘えるでもなく忠実な下僕のように後ろ足を曲げて座り込んだ。


「この子たちを使えば都までは半日もかからないでしょう」

 そう言って、サマンサは冷たい紫色の瞳にほんの少し温もりを携えグリフィンたちを撫でさする。

 表情が鳥なのでいまいち分かりづらいが、グリフィンたちは彼女に懐いているようだ。目を細め喉をクルクルと鳴らしている。まったく、人を殴るわ魔獣と戯れるわ、随分と型破りな尼さんだ。


「確かに、コイツを使えば帰り路はかなり楽だろう。だが、あの老体だぞ? この背中に乗るのもやっとじゃないのか?」


「気遣いは要らんよ、勇者の落胤らくいん

 そう言って屋上に現れたのは、先ほどとはうって変わった健康そうな老人だった。老人なのは変わらないが、数十歳若返ったように見える。妖しの森の魔女が、エルフは老いて死ぬことはないといった理由が分かった気がする。気の持ち用が体に大きく影響されるということか。


 老賢者はいかめしい金色の刺繍ししゅうが施された黒いローブに身を包み、旅用のカバンを肩にかけた簡単な格好だった。アカシアでできた杖を持っていたが、体に支えが必要とは思えないくらいに背筋は伸びている。

「お主の可能性にかけてみるのも良かろう。何せ、後は死に方の問題なのだからな」老人が微笑した。

 ロランは私を困った顔で見たあと「感謝致しますディオール様」と頭を下げた。


「ディオール様、私は留守を預からせていただきます」と、サマンサが言う。老人はうむ、と頷いた。

「ここでお別れか。短い間だったが世話になったね」と、私が言う。

「こちらこそ。次にお会いする時はもっと友好的でありたいものですが」

「友好的だったろう? 私はお前さんのこと嫌いではなかったよ? お前さんの踊りをもうちょっと鑑賞したかったくらいさ」

「……全てをお見せする事ができなかったのが悔やまれます。イヴ様のお情けがなければ、いまごろ聖職者として貴女に祈りを捧げることもできたのですが、残念です」

「言うねぇ」

 中々好感度の高い尼さんだ。ロランがため息をついているのが聞こえた。

「もし私にまた会いたければ、ベンズのディアゴスティーノって男を訪ねるといい。不信心な男だがビジネスには誠実だ」

 尼さんは機会があれば、と会釈したあとロランを見た。何かを言いたげだ。そしてロランもそれを知っている。二人が一緒にいるときには、無視することができない物事があるようだ。

「彼女のことは……ボクがなんとかする」

「期待はしておりません。得てして、二つを手に入れようとすると片方がこぼれ落ちてしまうものです」

 ロランは尼さんから目を背けた。


 魔獣の一頭に老賢者が乗り込み、私たちはもう一頭の背中に乗った。

 老賢者が何かを唱えると、二匹の魔獣の瞳が光り、魔獣は鳥というよりも獣に近い鳴き声をあげ翼を広げて羽ばたき始めた。

 この体重を浮かび上がらせるために必要なのだろう巨大な翼が、魔物の強靭な力によって周囲に簡単な焚き火ならかき消してしまうほどの風を巻き起こし始める。

 しかしシスターはというと、そんな強風によって衣服が乱れ、顔に砂埃がぶつかっているにも関わらず、鉄仮面のような表情を崩すことなく飛んでいく私たちを見送り続けていた。


 グリフィンが大空を舞う。いささか高く飛び過ぎじゃないだろうか。山に登るのとでは違い、高さにめまいを覚えそうになる。


「……そういえばお前さんの親父さん、“レインメーカー”とか呼ばれているんだったな」

「ああ、そうだね。戦後に他の領主以上に所有地を広げたり事業を拡大したりしたからね……。」

「しかし変じゃないか。転生者の恩恵に預かったのは彼だけじゃないだろう? 武門のエルフに商才があったとでも?」

 ロランは何も言わなかった。まぁ、あまり彼の家のことに首を突っ込むのは仕事の範疇はんちゅうを越えている。


「それより、どうして君は上を見上げながら話すんだい? せっかく景色がきれいなのに」

「……言うんじゃない」

「もしかして君……。」

「言うな……。」

「だったら、もっとしっかり掴まってくれてて構わないんだよ?」

 私はお言葉に甘えて得意げなロランの背中に顔を押し付けるように抱きついた。

「まさか君から積極的にこういうことをしてくるなんて変な気持だな。……ちょっとクロウ、痛いよっ」


 もう音も聞きたくなかった。私は目を閉じて小さく呼吸の音を感じながら時が過ぎるのを待ち続けた。

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