ヘルメス侯爵

 ヘルメス侯の部屋の床はワインレッドの絨毯じゅうたんで一面真っ赤だった。大きな机もソファもないことから、おそらく謁見えっけん用の部屋なのだろう。私たちが跪いている先には、仰々しい装飾品が施された年期の入った皮張りの椅子に腰掛ける初老のエルフがいた。体つきは武門の男らしく大柄で、険しい岩肌のようにごつい拳はかつては戦場での栄光を、今では溢れる富を掴んで離さないことに必死のようだった。しかし、以前首をはねた宿場の男ほどではないが、その佇まいには神話で語り継がれる程の美しさ神秘さは欠けている。台座を使って自分を高く見せようとすると余計にそれが強調されるようだった。このエルフはあと何十年と経とうが、老賢者のような荘厳な雰囲気を彼が出すことはないだろう。私たちの後ろには、さっきロランとやり取りをしたカルヴァンというエルフが嫌な笑顔を見せながら控えていた。


「無事だったようだな。何よりだ……。」

「はい……。」

 しばらく二人共沈黙した。切り出したのはヘルメス侯だった。

「驚いたぞ。まさかディオール様を連れ戻すとは」

「……神のご加護があったからこそです」

 ヘルメス侯は、ウムと頷くとやはりまた沈黙した。何かを探るように考えた後、ヘルメス侯は私に目を向けた。

「お前は?」

「キャットイヤー・ライリーと申します。この度、ロ……イヴ様の旅にお供させていただきました、一介の戦士です」

「ほう、お前一人でか?」

「……はい」

「女でありながら戦士とは……。」

「……意識を怠らぬ短所は時として武器にも成り得ます。女であるが故におちいった窮地きゅうちも多ければ、女だからこそ乗り越えられた窮地きゅうちもまたしかり」

「なるほど……道中はいかがであった?」

「ゴブリンに襲われましたが、なんとか切り抜けることが……。」と私は言った。

「何と、ゴブリンに……。」


 違う。この瞬間だけ顔を上げヘルメス侯の表情と声を観察したが、純粋に彼は驚き戸惑っている。


「しかしまぁ、噂では最近のゴブリンは以前にも増して凶暴だと聞き及びますが、どうやら噂の域を出ないようですなぁ。何せ、女二人で切り抜けてしまうのですから」と、私たちの後ろに控えていたカルヴァンが言った。

「カルヴァン……。」ロランが跪いたままカルヴァンに顔を向ける。

「女だからこそ乗り越えられた、確かに女には男にないがあるからな」しかし、カルヴァンは余裕を持って続ける。なるほど、多少の無礼もロランに対してはヘルメス侯は何も言わない関係というわけか。


「貴様、彼女に詫びろっ」ロランが立ち上がった。

「気にするな」跪いたまま私は言う。「種族問わず色んな男たちが私に同じ言葉を吐いたよ。口からドブの臭いを出すオークの口からも、このお兄さんと同じ言葉が出たもんさ。まぁつまり、下賤げせんの魔物と同程度の男だということだ」

 カルヴァンの口からくぐもった音がする。

「ヘルメス様、もうお分かりでしょう? 今回は女二人で達成できるほどの簡単な試練だったのですよっ。イヴ様の後継者としての器量を図ることなどできないっ」

 ヘルメス侯は確かに、と言いたげに顎ひげを撫でた。


「剣術でボクに勝ったことのないお前が言うのか?」と、ロランが言う。

「イヴ様、稽古と実戦は違いますよ。木剣で何が分かるというんです」

「実戦ときたかい」私は思わず鼻でせせら笑ってしまった。

「なにぃ?」

 私はカルヴァンを無視して言う。「“レインメーカー”、どうやら噂以上ですねヘルメス侯。実に巧妙だ、感服いたしました」


「……どういう意味だ?」

 ヘルメス侯が反応した。


「理不尽な二択というものですよ。私の技量が及ばなければ簡単な試練だということになり、私の技量があれば彼女は楽をしたということになる。どちらに転がっても貴方はご息女を否定することができる」


「……お前は、私がそんな姑息な真似をしているとでも言うのか?」分かりやすくヘルメス侯の顔が怒りで曇り、緑色の瞳が霞んだ。

「おい女、無礼だぞ!」とカルヴァンが口をはさむ。

「しかも、こんな大根役者に台詞を仕込んでまでね」私は顎でカルヴァンをしゃくって言った。

 ロルフがか細く、クロウ落ち着いて、と言うのが聞こえた。


「この御無礼を償うのであれば証明するしかありませんな、私の技量を。そうした後に貴方がたが私の申したような事を仰るのであれば、それは無礼でも何でもない。真実を口にしたまでということです」


 この女ァとカルヴァンが言い、そわそわと私とヘルメス侯を交互に見る。

「……で、その技量とはどうやって証明するというのだ?」と、ヘルメス侯が言う。

「簡単ですよヘルメス侯。この屋敷の手練を用意してお手合わせ頂ければいいんです」


「馬鹿めっ」とカルヴァンは吐き捨て扉の方へと歩み寄った。そしてカルヴァンが「リチャード! ジェームズ!」と声をかけると、扉の前の衛兵が二人入ってきた。


「よろしいですね、ヘルメス様っ」興奮しっぱなしでカルヴァンが言う。

「かまわん……。」そう言うヘルメス侯の目は、完全に私に対して敵意をむき出しにしていた。

「我々三人が相手をしよう。せめてもの慈悲だ、この中から選べ」と、カルヴァンが言う。

「選ぶ? 技量を証明するなら全員を相手にしないとダメじゃないのかね?」

「いいだろう! ではこのカルヴァンから相手になろう」

「お前さんから?」

「そうだっ、今さら臆したか?」

「いや……。」そう言って私は後ろの二人を見た。「?」


 一瞬の沈黙。


「なめるのも大概にしろよ!」カルヴァンは叫ぶなり鞘から両刃つきのレイピアを引っこ抜いた。

 私も挑発的に笑いながら刀を抜く。左手に鞘を持ったままの状態で。

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