第0話③

 大男・ハルバードは悠然ゆうぜんと前に歩みでた。その長さと先端の戦斧から重さはかなりのもののはずだが、そんな様子は全く感じさせない足取りだった。

 一方の女は焚き火で十分に手を温めた後、数回手をこすってから男の方へ歩き始めた。


 両者の間合いが狭まっていく。


 ハルバードにとって自分の間合いを測り間違うことはありえないことだった。その時、その距離が来たら、鍛え上げられた肉体から繰り出される、常人には考えられないスピードでの斧槍の一撃を振り下ろす。たとえ避けられたとしても、彼の槍斧を返すスピードは片手剣のごとき速さなのである。その二撃でハルバードはほとんどの敵を倒してきたという絶対の自信があった。


 あと四歩、三歩、二……そこで突然、女が立ち止まった。それでもハルバードは目測を謝ることはないはずだった。だが自分ひとりでも歩み続けようとした瞬間、女が突然立ち止まった状態から前にせり出てきた。正確にいえば、上半身を全く揺らさない女の独特の歩法が地面を滑っているような錯覚をハルバードに与えたのだ。目測がズレたかもしれなかったが、ハルバードはそれでも槍斧を振り下ろした。間合いに間違いはなかった。だが女は左肩を引いて体をずらし、その一撃を避けた。既に女の戦いは見ていた。その状態からの抜刀でスミスの手下たちはやられていたが、ここはまだ女の間合い外だ。ハルバードは絶対の自信を持つ返す刀での切り上げを放とうとするが、その瞬間槍斧がやや重くなったのを感じた。しかしそれでもハルバードは構わず切り上げた。


 すると突然、女が宙を舞った。

 

 女は切り上げられた槍斧が、殺傷力を持つ勢いの着く前に柄の部分に足をかけ、ハルバードの力を利用して駆け上がりながら跳躍したのだ。女はさらにハルバードの肩に手をかけ、彼の後ろへと着地した。柄から肩までの女の抜群の体重移動は、ハルバードにほとんど重さを感じさせなかった。


「ぬぅ!」

 ハルバードは叫ぶように呻いてから後ろを振り向いた。だが、女の背中はピタリと張り付くようにハルバードの背後につけられ、いくら振り向こうともその姿は視界の端にわずかに捉えられるのみですぐに消えていく。


小癪こしゃくな!」

 ハルバードは前に進み出て距離を空け、振り向きざまに槍斧で薙ぎ払おうとした。しかしその刹那、一筋の影が風のようにハルバードの横を走り抜けていった。影が駆け抜けた先には刀を手にした女が立っていた。女はゆっくりと、慈しむように刀を納刀していく。


 女が言う。「何が……見えた?」


 影も形も見えていた。しかし、そこにあったのは一切の質量のないものだった。まるで幻のごとく。


幻影ファントム……」

 そこまで言うとハルバードの喉が裂け、その傷口から血が吹き出した。


「ご名答めいとう

 女は完全に納刀した。


 ハルバードの敗北を知ると他の手下たちは脱兎だっとのごとく逃げ去り、ポールは悲鳴を上げて目に付いた民家に逃げ込んだ。女は悠々とそれを追いかける。


 女が建物に入り、猫が頬をこすりつけるような動作で部屋の暖簾のれんをくぐると、そこではポールがその家の少女を人質にとっていた。護身用の小さなナイフだが、少女の首を切り裂くには十分の代物だった。


「おい、こっちに来るんじゃあない! この娘がどうなってもいいのか!?」

「おいおいおいおい、そんな娘を人質にとってどうしようっていうんだ? 私は宿を取りに来た通りすがりの旅人だぞ?」

「ふざけるな! 通りすがりがここまで人をぶっ殺すか!? お前が用心棒だろうがっ!」

 女は仕方ないね、といった具合に微笑する。


「……武器を捨てろ」

 女は肩をすくめた後、ジャケットの下にあるナイフをポールの足元に投げた。

「ふざけるな、その妙な剣だ」

「ああ、これのことか?」女は腰から白鞘しろざやの刀を取り、鞘から刀を抜いた。

「そうだ、それをこっちによこせ」


 女は人質の少女にアイコンタクトをする。少女は息を飲んだ。次に女は室内の光を抜き身の刀に当て光を反射させた。光はポールの目に刺さり、一瞬だけポールが目を瞑った。そしてその隙に、少女が足元のナイフを拾いポールの太腿にそれを突き刺した。


「ぎぃああああああ!」


 痛みに耐えかねポールが少女を突き飛ばす。

 何とか開けた目で女の方を見ると、そこには光の残像に溶け込んだ女の姿があった。そしてその女の姿が見えたと思った次の瞬間、ポールは自分が何故か空を飛んでいると思った。一体何をして跳ね飛ばされたのだろうとポールは不思議に思うが、正確には彼の首が胴体から斬り離され頭だけがそうなっているのだった。しかしポールがそのことを理解する前に、彼の意識は彼の体から消えていった。


 女は少女の肩に手を置くと、力強い微笑みで少女を見た。少女は女の意図を理解してか、やはり力強く頷く。


 女は猫耳をピクリと数回動かし、鼻も数回鳴らして匂いを確かめ、危険がないことを知ると家から出ていった。

 家の外では、エマを始めとする町の住人たちが様子を見るために集まっていた。返り血を浴びた女が出てくると、ある者は悲鳴を上げて後ずさり、ある者は喜びを口にしつつもその笑顔を恐怖で引きつらせていた。


「片付いたぜ……」女は死体の転がる周囲を見渡し言い直す。「いや、散らかしたと言ったほうがいいな。片付けるのはお前さんたちの仕事だ」


 エマが前に進み出る。

「あ、ありがとう。まさか……こんな」

 エマは周囲を見渡した。

「ご期待に沿えたかな?」と女は言った。

「もちろんさ」


 しばらく女とエマは顔を見合わせた。


 女は遠慮がちに言う。「報酬のことなんだが……。」

「あ、ああもちろんだとも」

 エマが宿の従業員に目配せをすると、従業員は袋に入った金貨を持って走ってきた。女は袋の中の金貨を確認すると、数枚を掴んでエマに投げ渡した。

「過払い分は返すよ、遅れてしまったからね」

「そんな、全部持ってったって……」

「遅れた分、そのお兄さんの顔を傷物にしてしまった。旦那だろ? 治療費だと思ってくれ」

 確かにレックスの顎の下からは、既に乾いているものの血が流れていた。

「仕事の出来に関しては私が判断する」


 女はそう告げると、再び案山子かかしの方へと歩いて行った。もう町を出るようだ。


「ちょっと待ちなよ。もう少し留まったらどうだい、疲れたろう? あんだけド派手に立ち回ってさ。それに、アタシらだって礼をしたいんだ」

「貰うもんはもらったよ。それで十分だ」女は振り向かずに言った。エマが礼をしたいと言ったものの、町の住人が女を恐れているのは明らかだった。


「なあアンタ、せめて名前を教えてくれないか?」


 女は立ち止まり、顔だけ振り向けて言う。

「見えている通りさ」


 打ち倒された死体。地面に広がる血糊。あっという間に広がったそれらの光景。それを生み出した張本人。ある者はあれはファントムだと、そしてまたある者はあの女は幽霊ファントムなのだと口々に言い合った。

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