イヴ・ヘルメス⑦

                 ※


 カワセミが、魚を取るために水面に飛び込む音がした。白金と翡翠の宝石がぶつかり合って砕け散るように跳ねる様は中々に見応えがあった。しかしそんな光景が外で繰り広げられているにもかかわらず、ロランの心は深い闇の中にいた。


「黙っているんだね……。」ロランは小さく体をうずくまらせていた。

「黙ってて欲しいのかと思ってね」

「……君もやっぱりおかしいと思うだろう? 心のどこかで気持ち悪いと思ってるんじゃないか?」

「……私は、世界を旅して色んなものを見てきた。山のようなドラゴンや一瞬で湖を凍らせる妖術師、女の体をまさぐる変態妖精もいる。けれど、いくら見地を広げても、結局分かるのは分からない事が増えたということだけだったよ。分からないものは無理に分かる必要はない、その時が来ればいずれ分かるさ。そして今日、私の分からないものリストにお前さんの事が載った程度のことだ」私はロランを見た。「ただ、分からないが間違いなく存在する、という事だけは分かるがね」

「その言葉だけでも嬉しいよ……。」

「それに言っとくがね、この世界には同性同士の色恋の方が崇高だって場所もあるんだ。残念なことにお前さんがその場所やその時代に生まれなかったってだけの話じゃないか」

 ロランがそれに力なく笑って答えた。

「……後継者争いに名乗りを上げたのは、やはり望まない相手と結婚したくなかったからか?」

「……違う」ロランは二の腕に爪を立てた。

「……ロラン?」

「……だよ」

「何?」

「復讐だよ!」瞳を輝かせてロランは私を睨んだ。「ぼくから尊厳を根こそぎ奪い取ろうとしたアイツらに! 父上も兄弟たちもタバサもみんな……みんな、ぼくを嘲笑いやがった奴ら、そいつらの上に立ってやるんだ!」

 憎悪に震える彼は、さながら妖しく光る魔石だった。エルフとは歪んでも美しいのだなと、あらぬことを考えてしまう。


「気持ちは分からないでもないが……しかしその復讐はゴブリンを敵に回し、残酷な結末を覚悟してまで成し遂げるものかね? 家を出て旅に出るというのも手段の一つだと思うが?」

「もちろん、それだけじゃない……。ぼくは思うんだ。きっとぼくみたいに、心と体が一致せずに苦しんでいる人が他にもいっぱいいるんじゃないかって。君、さっき言ったろ? そういう趣味がある貴族がいるって。もちろんそういう奴もいるだろうけれど、そうせざるを得ない人たちもいると思うんだ。だから……種族が違うからだとか、愛する人が普通じゃないからだという理由で社会から爪弾きにされている人たちが、もっと誇りを持って生きられるような国作りをぼくの世代から始めたいんだ。ラクタリスでも話したろう? この世界はまだ不完全だって。全ての人が、生まれた場所や境遇、体に関係なく生きられる世界を作る必要があるんだ。……いや、そいうしなきゃいけないんだ。そのためなら、全てを賭ける価値があると……。」


 日の光がいよいよ強くなり、岩場が体を隠すには最適ではなくなってきたものの、時折聞こえる水鳥たちの長閑なさえずりが、ここにはもう危険はないことを教えてくれる。服もそろそろ乾いてきた頃だろう。多少濡れていたとしてもこの天気だ、道中で乾く。


「分かったよ」私は言った。

「え?」

「お前さんの旅に付き合おう。乗りかけた船だ」

 皮肉な笑いをロランがうかべて言う。「よしてくれ。君こそ、憐れみ程度でぼくの計画に乗って残酷な結末を迎える覚悟があるっていうのか?」


「ちと違うね。私はね、ギャンブラーなんだよ。お前さんがたエルフと違って短命なんでね。ただ日銭を稼ぐというなら紡ぐなり耕すなり慎ましくやってるさ。多くのまっとうな奴らが吹雪の中、秋の蓄えで身を固め生き存えてる外で、夏の思い出に浸りながら凍え死にかけるのが私の生き方なんだ。お前さんと初めて会った時、何か妙に惹かれるものがあった。それが何かは分からなかったが、今の話を聞いて少しだけそれが見えた気がする」私は顔を近づけロランの瞳を覗き込んだ。ロランは目を逸らさなかった。「与えられた宿命に屈することを拒んだ目だ、そのための剣なら振るう価値もあるだろう。まあつまり、お前さんのレイズにコールするってことさ」

「本当に、ぼくの旅に付き合ってくれるのか?」

「ああ。ただし、お前さんの覚悟とやらを見せてもらうよ」

「……もちろんだとも」

「そうかね。言葉ではなく態度で示してもらうということなんだがね」

「え?」


 私は立ち上がって木の間に隠すように干してあったロランの服を取り、彼に渡した。

「買い物に行くぞ」

「……買い物って?」ロランは上着を着ながら言う。

「自決用の毒だ。ゴブリンにとっ捕まった時、この世の地獄を見せられる前に飲むんだよ。あと、パートナーの事をゲロったりしないようにな」

「あはははは……」

「私は本気だぞ?」

 ロランの笑顔が張り付いた。

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