赤いドレスの女

 慎重な旅路から一転、村で金に糸目をつけず馬車を購入し、私たちは急ぎで目的地へと向かった。老賢者を少しでも早く見つけ出しロランを領地に送り届けさえすれば、流石のゴブリンたちも私たちを追跡することは出来ない。ヘルメス侯の直轄の領地で手を出してしまえば、奴らはこの領国内のみならず、ヘルメス候と交流のある周辺国でもお尋ねの身として追われてしまうのだから。


 半日馬車を走らせ日が完全に落ちた頃、馬車は老賢者のいた所とは別の意味でおどろおどろしい森の入り口へとたどり着いた。その森は入り組んだ木々が月の光を完全に遮断しているため、入り口の数歩先の足元さえも暗闇に侵食されていた。


「ここは……。」ロランがただならない雰囲気に圧倒され馬車から降りるのもためらっていた。

「藁をもすがるってことでね。心配することはない。私はお前さんたちより遥かに夜目が効くし、暗闇だろうと音も匂いもある。昼間と勝手は変わらんさ」私は馬車から降り、ランプに灯をともして森の入り口に立った。灯は暗闇に飲まれ、私の周辺どころか体すら照らすことが出来なかった。「……多分な」


 私が漆黒の闇に飲み込まれていくのをロランは立ち尽くして見ていた。留守番がいいかね? と訊くと慌てて後をついて来た。


「足はすり足で、木の根っこにつまずかない様にな。手を探るように前に出しておくんだ。頭をぶつけないよう──」

 後ろで固いもの同士がぶつかる鈍い音がした。遅かったようだ。


 湿った木々と腐葉土、そして小動物の匂い。大きな生き物の動く音は、私たちの移動するものだけだ。木にとまっている梟や蝙蝠の目が、ランプの灯を捉え星のように反射して光っている。それを見るたびにロランの呼吸が恐怖でか細くなっていた。

「心配するな、吸血蝙蝠じゃない。もしそうだったとしても、少しくらいは施してやればいいさ」

 ロランが障害物にぶつかって返事をする。

「冗談だよ」


 嗅ぎ覚えのある臭いを手がかりに森を歩いていくと、遠くにうっすらと光が見えてきた。老賢者のように法術を施されていたらどうしようもなかったが、幸いその光は逃げることなく、私たちが向かうと次第にその姿をあらわにしていった。

 その家は老賢者の館とは別の意味で奇異だった。森のど真ん中にあるというのに街中にある石造りの商店のような造りで、まるでその家が建った後にこの森が生い繁ったみたいだった。

「目的地だ」


 扉の前まで行くと、私は馬具をあしらったドアノックを五回大きく叩いた。

「婆さんっ、いるんだろ!?」

「ちょっとクロウ……。」

「仕方ないさ、年寄りだからこれくらいやらないと聞こえないんだ」


 もう一度ドアノックを叩こうとすると扉が開いた。

 中から出てきたのは年寄りどころか妙齢の女だった。こんな森の中で誰に見せるのか、女は肩と下品なまでに膨れ上がった胸元を露出した真っ赤なドレスで着飾っていた。ドレスは今にもはだけて床に落ちそうなのに、布地はまるで意志を持っているように女にうっとりとまとわりつき危うい状態を保っている。瞳はドレスと同じようにルビーをはめ込んだみたく赤く暗く光っていて、うっかり長いこと見つめていると石になってしまいそうなほどに不気味だ。ウェーブのかかった金髪には可憐さなどはなく妖しげで、彼女がその気になれば意思をもって蛇のごとく這い回り相手を絡め取るかもしれない。私の鼻を突く蟲惑的な匂いは、男ならば堪らないのだろうが同じ女としては少し不快感を誘った。呼吸までもが淫靡な女だった。ちょいと本気を出せば、孤独な独身の貴族などひとたまりもなく城も領地も全て彼女に差し出してしまうだろう。


「あらこんな夜中にどなたかしら?」

 しかし声は作ったように甲高く乾燥していて、魅力があるとはあまりいえなかった。

 私は礼を失すると思いながらも女越しに室内を探りながら訊ねる。「魔女の婆さんに用があって来たんですが、不在かな?」

「あら、お師匠様のお知り合いかしら?」女はわざとらしく手に口を当てた。

「知り合いと言うほどでもありません。数回頼み事をした程度で」

「そうですか。しかし申し訳ありませんが、お師匠様は只今外出しておりまして……」と、女は長いまつ毛を下になびかせながら伏目がちに言った。

「いつごろ戻られるのかな?」

「それが……お師匠様は気まぐれでして。一旦お出かけになると、数ヶ月はお戻りにならない場合も……。」

「数ヶ月……ときたかい」


 まったく、最近の年寄りの間では徘徊が流行っているとでもいうのだろうか。このままでは手元にあるランプ並みの灯火が消えてしまう。私がまいったなぁと呟き頭を掻いていると、赤いドレスの女が伺うように言った。

「お客様方、どのような御用向きでしょうか? 修行中の身ですが、もし私でよろしければお役に立てるかもしれません」女は扉をより大きく開いた。「お入りになってお聞かせ願いませんか?」

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