イン・ザ・ヒート・オブ・ザ・ナイト①
※
そのゴブリンの一団が到着するのと同時に、村には生暖かい風が吹き出した。まるで、彼らがその風をもたらしたかのようだった。不吉な臭いさえ充満していた。
狼に乗ったバクスターが顎でしゃくると、一匹が適当な家の扉をノックする。
出てきたのは、顔がシミとイボに覆われた老人だった。
「何だ……ゴブリンか。こんな夜中に何のようだ?」
嫌悪感を見せながらも老人には恐れがあった。人間に比べると力は弱いが、今この村には年寄りと子供しかいない。それも限りなくやせ細った。
「人を探してたら
「エルフ?」ゴブリンに関わるのも嫌だったが、面倒はもっと御免だったので老人は簡単に教えることにした。「もう出て行っちまったがそいつらのことかね?」
バクスターの目の色が変わる。「いつ頃だ? いつ頃までいた?」
「ほんの少し前までいたよ。ここで好き勝手やって出て行きおった」
「どっちの方角だ?」
「見てないよ。歓迎されざる客だったからね。興味もない」
「そぉうか。とりあえず、そんなに離れてはいないってぇことか?」
「だろうよ」
そこまで聞くとバクスターは上機嫌に手下たちを一旦見た。
「アンタとは友好的な関係を築けそうだ」バクスターは横目で老人を見やり、ニヤリと笑う。
「そうかね?」老人は教えればすぐにいなくなってくれるものと思っていた当てが外れ、ややうんざりと言う。
「そうさぁ。んで、友好の印に食いもんと水をちょいとばかり分けてくれないか? なぁにタダでってわけじゃあない。贈り物もあるぜぇ?」
「暗くて見えんか?」老人は具体的にため息をついた。「お前らに施せるほどのものがこの寒村にあると?」
バクスターも周りを見渡し、自分の額を叩いた。「アッチャー、こりゃあ失礼。でもよぉ、蓄えくらいはあんだろう? アンタたち人間はぁ俺らとちがってその日暮しなんて事ないんだからさぁ。頼むよ? 贈りもんは奮発するぜぇ?」
バクスターが合図をすると、手下の一人がずた袋から衣類や装飾品を取り出した。薄汚れているが、この辺りでは見ることのできない貴族のもののようだった。
「どうだぁ? んんん? 上等なもんだろう、使ってもいいし売っぱらってもいい」バクスターが必要以上に老人を覗き込む。「
「勘弁してくれ。どうせ盗品だろう? お前らがそんなもの手に入れるとしたらな」
「問題でも?」
「おおありだ。どこで盗んだか知らんが、そんなもの身につけてたら役人の手が伸びるかもしれん。売ろうにも同じことだ」
バクスターが天を仰いで「心配しすぎだぜぇ?」と言う。
「それに、こんな所に住んでる私たちかもしれんが、盗人の片棒を担ぐのはゴメンだ」
「ああん?」
「モノを盗むほど落ちぶれちゃおらんということだ。エルフの事は教えたろ?さぁ帰った帰った」
その老人はもう少しよくバクスターの表情を観察するべきだったろう。無下に返そうとして、彼は決定的な変化を見逃していた。
「
バクスターは手下の方を向いていたが、その実老人に言うように話す。
「
再度老人の方を向いた。
「ああ、そうだ」バクスターの変化にまだ老人は気づかない。
バクスターはまた手下の方を振り向き「おやおや」と肩をすくめた。
「しつこいぞ? あまり居着くようなら役人を……」
言いかけた瞬間、老人は絶叫した。彼の
痛みのあまりうずくまり、バクスターの顔よりも低い位置になった老人にバクスターが語りかける。「お前らがそれを口にするか? なぁ? 忘れちまったのかぁ? 短命の俺らですら覚えてんだぜぇ?」
「こ、この無法者どもがっ」老人は呻きながら言う。
バクスターは“無法者”という言葉に反応し首を傾げ、じっとりと老人を見遣って語りだした。「お前らに教えてやろう。俺たちの受難ってやつをなあ」バクスターは老人の太腿から血だらけになったナイフを抜き、それを老人の頬にこすり血糊を顔に塗りたくった。「30年前まではこの土地にも森があったんだぜぇ? あぁんなちんけな雑木林じゃなくてなぁ。だがある日、転生者様の指揮する軍隊がここにやってきた。何をしに来たかは知ってるな? ゴブリン狩りってやつさぁ。スローガンは“死んだゴブリンだけが善いゴブリン”だ。で、転生者様は非常に
バクスターは血まみれの老人の頬を軽く撫でた。「クラフトマン……この氏族は手工業を生業としててな、ゴブリン同士で物々交換をしながら慎ましく生きていた。ファームス……主食は野菜と穀物に、あと虫だ。人間たちに習って細々と農耕を続けていた。多種族との
しかしその問いに老人は呻きでしか答えられない。
「俺らからすべてを奪ったのは誰だァ? んんん? どうしたぁ? 何も答えられないのかぁ?」
バクスターは太腿に再度ナイフを突き刺した。
「あああああああ!」
「土地を、氏族を、尊厳を、根こそぎ奪い取ったのはぁ? ああん?」
バクスターはナイフを何度も太腿の同じところに突き刺す。老人は痛みで絶叫したが、最後にはそれすらもままならず、息も絶え絶えになった。
「それが答えかよぉ。悲しいぜぇ、アンタとはいい関係が築けると思ったのになぁ」
騒ぎがを聞きつけて何軒かの家の扉が開き、何事かと様子を見に来始めた。
「どしたぁ? 羨ましいのか? お前らにもしてやろうか?」
バクスターが凄むと扉は閉められた。
「よこせ」
「え?」
「全部だ。ぜぇんぶ。お前の持ってるもん全部な。お前らが俺らにしたように、だ」
何の感情もなかった、しかしそれは死臭を漂わせる声だった。その臭いで、よってきた羽虫が絶命するような。
哀願するように老人はバクスターを見上げたが、もう遅かった。そこには言葉が通じる者の目はなくなっていたからだ。そこにあったのは、人とは相容れない、怪物のものだった。
「お頭ァ」
何かに気づいた一匹がバクスターを呼ぶ。
「何だァ?」
バクスターがその手下の視線の先を追うと、一体の陰が彼らに近づいてきていた。老人にかまけていたとはいえ、誰も気づかずにここまでの接近を許したのは奇妙なことだった。それはあたかも幽霊が影から湧いて出てきたようだった。
「……誰だぁお前?」
近づいて来たのは一人の女だった。
丸みを帯びた体と柔らかそうな髪、繊細な顔立ちは間違いなく女のものだったが、だが、全てのパーツが揃った彼女のその佇まいは、厳つい玄武岩を思わせる趣があった。
女は騒ぎを何も見ていないかの如く、
「道に迷ってしまってね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます