悪い前触れ

「そこのよそモノはアンタの身内かね?」室内の私たちを見つけた老人は、が溜まった目を細めて言う。

「旅人だよ。使ってない馬小屋を宿がわりに使わせて欲しいって来てんだよ。ついでに話し相手になってもらっていたところさ」ロッテは私たちに視線を移しながら言った。「この二人がどうしたね?」

「……あんたらちょっと来てもらおうか」


 私たちがアインという老人に連れられて表に出ると、雑木林に入る前にマッチを売りに来た姉弟がそこにいた。どうも様子からするにこの老人の縁者らしい。

 私は首を傾けて「その節はどうも」といった具合に姉弟たちを見遣った。しかし彼らの手にあった白パンを見て私の目は思わず険しくなる。ロランを見ると、叱られる寸前の子供のような浮かない顔をしている。私は三人の浮かない顔の子供に挟まれるハメになっていた。


「この土地の観光案内をしてくれるって雰囲気じゃあなさそうだね」老人と子どもたちを交互に見ながら私は言った。

「子供たちにこの白パンをやったのはアンタらかい?」

 私はロランを見た。暗闇だがより一層彼の顔が暗くなるのが分かった。

「……そのようだね」

「……憐れんでるつもりかね?」

 私は表情のみで「そんなことはないさ?」と答えた。

物見遊山ものみゆさんでこんなところに来たんだろうが、街の者の気まぐれで施しなんてやめてもらおうか」暗闇だが、老人の顔により一層怒りが浮かび上がるのが分かった。「この子らに贅沢を覚えさせてどうする? 白パンなんぞお菓子がわりに食べられるものじゃない。そんなものを渡されたら今の生活が惨めになるだけじゃあないか。ワシらはな、これからもこの土地で生きていかなきゃならんのだ、余計なことはせんでくれ」

「……ああ、すまなかった。連れは世間知らずなんだ。後で私からもきつく言っておくよ」


 老人は「わかればいいんだ」と言いたげに子どもたちを連れて帰り始めた。何だかんだ言って白パンを返す気はなさそうだ。多分、このじいさんが食うんだろう。子供のロウソクを潰してでも自分のをながらえさせるような顔をしている。

「よく言っておくよ、、と」

「何? 何の話だか良く分からんが……」老人は一瞬急所を突かれたような狼狽を見せた。

「とぼけるなよ。この子達が売るマッチはお前さんの大事な収入源なんだろう? 若い人間が街に行ってしまっているあいだの」

 老人の顔に再び怒りが現れた。しかしそれは、さっきとは違い、後ろめたさの反発からのものだった。薄っぺらい怒りだ。

「連れを見れば分かるよ、何かショックなものを見た顔をしている。きっと私に隠れてこの子らの言い値でマッチを買おうとして、商売の実態を知ったんだろう。一箱10ギル? ぼったくるにも奥ゆかしさってもんがあるぞ。それが意味するところは一つ、この値段は正当なものだってことだ。このお高いマッチを買ったらそれが尽きるあいだ、子供相手に客がに興じるのさ。街でも路地裏じゃあ孤児みなしごたちがそういうことをやっているのを見てきた。売春は許可がいるから、モノを売っているってでな。で、お前さんは子供たちが自分の今の境遇を思い知って、ここを去るような考えが生まれるのを避けたいんだろう? その子が売春宿に売れる年齢になるまで逃げられちゃ困るんだ。夜な夜なお祈り代わりにその子らに聞かせてるんじゃないのかね、お前たちはここでしか生きられないんだと」

「あんたに何が分かるってんだ……」老人からは罪悪感を必死で別の感情で押さえつけようとしているのが見て取れる。「こんな土地で生きていくとこがどういうことか……」と、何とか言葉を口にできたくらいだ。しかしその怒りの仮面はボロボロと崩れ落ちている。

「分からんね、気位を捨ててまで生きながらえようとする奴の事なんざ。土地が悪いんじゃない、縛り付けられてる自分の弱さに気づいてないだけだよお前さんは。まぁ何かしら自分の生き方に嫌悪感を抱きそうになったときは、お前さんのことを思い出すよ。少しは慰められるだろう」

「あまりワシを怒らせるな、何をしでかすかわからんぞっ」

「何をするんだ? 子リスとタンゴでも踊るのか?」

 どうやら私も気に入らないところがあったらしい。そう言い放ってからロッテの婆さんの家に戻った。アインのじいさんは、私に何かを言おうとしたようだったが、結局まとまらずに呻き声をあげるだけだった。


 部屋に戻ると、老婆はしんみりとした顔で私たちを迎えた。

「ここの奴らは長いこと人に親切にされたことがないんだよ。だからいざという時、何と返していいかわからないのさ」老婆は残っていた葡萄酒を飲んだ。「申し訳ないが、出て行ってくれないかね? 狭い村だ、分かるだろ?」

「……はい」

 私とロランは出発の準備を整え、老婆に礼を言うと村を発った。何もない村だ、その言葉がせめてもの餞別せんべつなのだろう。老婆は目を合わさず「気をつけるんだよ」と言ってくれた。


 月の光がさしてくれているので何とか視界の効く夜道を私たちは歩く。黙っていた私にロランが言う。

「ごめん……」

 私は何も反応しなかった。

「まさか、あんな事になるなんて……。クロウ、怒ってるんだろう? 君がなぜあの子達に黒パンしかあげなかったか、どうしてマッチの事であんなに憤慨していたか、ぼくはまるで分かってなかった。君は全部知っていたんだね。なのにぼくときたら……。」


 それでも私は沈黙した。怒っていたわけじゃない。逆にある意味すっきりしていたといったほうがいいだろう。世の中には体験しなければ分からない事がままある。もちろん、体験せずに済むならそれに越したことはないのだが。


「……あの子達を救わないと」

「なに?」

「あの子達を救うんだよ」

「お前さん、まだ分かってないのか? あれが現実なんだよ、戦後のこの世界の」私は振り向いて彼を非難するように言った。「出生率が上がったと言ったな。その結果どうなった? 溢れたガキどもが体を売るようになったんだ。あの子らを救うってことはそのすべての溢れた子供達を救うってことだぞ? 気まぐれの慈悲であの子達を引き取ったところで問題は解決しないんだ」

「そうだよ、その通りだよクロウ。だからぼくは後継者にならなければならないんだ」

 しかしロランの瞳は思った以上に真っ直ぐだった。あの隠れた光を輝かせながら。

「どいういうことだ?」

「……転生者の作った世界は不完全だ。良い事もあったと思うけど、見てきたように不幸も多く生み出してる。だから、そんな世界を正さなきゃいけないんだ。転生者の作り出した不幸を誰も見ようとしない。臭いものに蓋をしてるだけだ。けれど、誰かがこの世界の間違いを一つ一つ正していかないと……」

「例えば?」

「え?」

「例えばあの子達に関してはどうするんだ? 世界を正すとして」

「それは……まず孤児院を作ったり、仕事を増やしたり……」

「仕事を増やす?」

「大きな建設事業とかをやればいいんだよ。学校とか病院とか、役所とか」

「そんなものいるのか?」

「建物が要るか要らないかじゃなくて、工事自体が必要なんだ。いろんな人が携わることで、それが自然と仕事を生むはずさ。そして大きい建物は必然的に人を雇わないといけなくなるだろう? 清掃とか、簡単な仕事なら子供もできるから、体を売る必要なんてなくなるんだ」

「なるほど……」

 このおぼっちゃまは私が思っている以上に本の虫だったということだろうか。まるで、見てきたように構想を語る。その具体的な語り口は、彼の言うことを夢物語で終わらせない説得力があった。

「屋敷ではそういう勉強をしていたのか?」

「え? うん、もちろんそうだよっ」ロランは言う。「ぼくが領地を治めることになったら、そういうことから始めたいな……」

 私に並ぶロランの横顔は幼さの中に頼もしさがあった。なかなかどうして、このエルフは結構優れた領主になるのかもしれない。


 険悪な雰囲気が無くなった後、少し森の中を歩いたが、私の耳は不穏な音を聞きとった。それは村からだった。


「どうしたのかいクロウ?」

「静かに……」


 私は髪をかきあげ猫耳を顕にし、じっと耳をすませた。

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