寒村の夜

 ロランは残された時間と戦いながら本を物色していた。まるで死神の鎌から逃げるかのように、そのさまには恐れさえあった。敬っているはずの老賢者が片付けた部屋の本棚から本を引っ張り出しては床にぶちまけ、そして床に落ちた本にざっと目を通しては部屋の隅へ投げていく。その行為は止めるのを躊躇ちゅうちょさせるほどの気迫があった。食事の邪魔をされれば、座敷犬でも飼い主の手を本気で噛みつくのと同じように。そしてある程度物色し終わると、ロランはまた別の本棚へ向かい始めた。


「なぁ」私は言った。

「何だい?」ロランは答えた。

「手がかりを探しているんだろう? 私に心当たりがあるんだが」

「本当かい?」しかし、ロランはそれでも本棚の方へ視線をやっている。

「ああ。蛇の道は蛇って事でな。法術と同じ類か分からんが、怪しげな力を使う点では同類じゃないかなと」

「誰のこと?」そう言いながらまたロランは本棚へ歩み寄り、本を掴み取って内容に目を通し始めた。


 一見焦っているようにも見えるが、ロランの行動には目的が見える。本、もしくは別の何か、老賢者よりも重要なものを探しているような。彼の余裕のなさはどうもそこから来ているように思えた。


「重要かね?」

「え?」

「その本を漁ることがだよ」

「だって、手がかりが必要だろうっ」

 世間知らずのクセに一丁前に怒りを向けてくれる。

「ここで本を探して手がかりが出てくると? それともその老賢者様は、わざわざ分かりやすいところに置き手紙を残し、実は探して欲しいけどその気持ちを素直に出せないウブなところがあるお方ということなのかな?」

「あ、いや……。」

「時間がないんだろう? 自然に死を待つならまだしも、身辺整理をしているなら、首をくくるつもりなのかもしれない。急ぐべきだ」

「う、うん。分かった」ロランはそれでもまだ本棚から目を離そうとしない。「じゃあ、クロウ、下に行って待っててくれないかな?」

「ロランっ」

「すぐに行くよ」


 私は「やれやれ」と、下に行って待つことにした。ロランはそこまで待たせることなく降りてきたが「女を準備で待たせるなんて聞いたことないな」と軽くなじってやった。

「ああゴメン……。」

 降りてきたロランは、まるで盗人のように落ち着きなく、カバンに入れていた何かを悟られまいとしていた。


 村に帰ると、約束通り私は老婆のためにイワナをさばくことになった。魚をさばくためのスペースが台所にがなかったので、外で平たい大きな石を見つけその上で調理する。頭をナイフで切り落とし、断面から切れ目を入れて三枚におろす。おろし終わったら次は台所だ。フライパンでバターを熱してその上に薄くさばいたイワナの皮と身を別々にしてソテーにする。森で採ってきたキノコもサービスで盛り込んでおこう。エロじじいの横に生えていたので、存外ノームが宿ったやつかもしれない。悪戯いたずら懲罰ちょうばつ火炙ひあぶりとはちと可哀想な気がするが。


「おやおや、久しぶりに豪勢なもんにありつけそうだよ」

 老婆が編み物をしながら私に話しかける。小さな鼻がスンとなるのが聞こえた。

「ありあわせですよ」

 そういえばロランが見えない。どうも老賢者の家から戻って彼の行動が妙だ。私は不安を覚えながらも、フライパンから皿にイワナのソテーを移して盛り付け、横にパンを添えた。残された食器たちから老婆のかつての家族の構成が、そしてその汚れからは誰から順に居なくなっていったのかが分かった。長いところひとつの場所にとどまると、ただいるだけで人は何かを語ってしまうものだ。


 ロランがこっそりと帰ってきたつもりなのだろう、普段よりもスローモーな動きで戻ってきた。そんなことをしたところで、私の耳はしっかりと彼の動きを捉えているのだけど。

「どこに行っていたんだ心配したぞ?」

「いや、ああうん。ちょっと夜の散歩だよ」


 まったく、遠足気分が抜けないのも大概にして欲しいものだが。しかしどうにもロランの様子がおかしい。何か酷いショックを受けたような顔をしている。

「ロラン?」

「大丈夫、何でもないんだ」


「さて、も戻ってきたことだし、いただくとしようかね」

 老婆が昼間の初対面の時とは違い、もの柔らかにいう。王子様を部屋に招いて心躍るのは、いくつになっても変わることのない女の性というやつなのだろう。テラ・チートと祈ってから老婆は料理に手をつけ始めた。


 老婆がソテーを食べながら嬉しそうに言う。「いやぁ美味しいねぇ。久しぶりに魚を食べたよ」

「どうしてあまり食べないんですか?」いつだって素直なロランが訊ねる。

「若い奴らがいないとね……」

「おばあさんはいつからこの村に?」慌ててロランが話題を変える。

 私は呆れて右斜め上の虚空を見上げた。

「少なくとも25年前よりは後だね」

 しかし、いい男と美味いもので上機嫌になっていたのだろう。そこまで気分を害することにはならなかった。老婆は懐かしむように昔話を始めた。

「入植当初は皆この村を発展させようと息巻いたものさ。勇者様がここを実り豊かな土地にすれば、山が切り開かれ大きな街になっていくだろうって仰るもんだからねぇ。けれど一向に土は作物を生み出さず、こんな山奥だから人の行き来も乏しくて、だんだんと人がいなくなって……。結局残ったのは帰るところがもう無い奴らさ。アタシも旦那が山っけ起こさなきゃ、今頃街で余生を送ってたんだけどねぇ。今じゃ自分らで、ここは姥捨て山だなんて笑い飛ばしてるがね。それどころか街のやつらなんか、もうこの村の存在だって忘れてるだろうさ」


 私は老婆の機嫌を損ねわぬよう、彼女の前の盃に革袋から葡萄酒を注ぎ込んだ。

「ああ、ありがとう」老婆は半分ばかりそれを飲む。「まぁいいじゃないか、こんなしみったれた土地のことなんか。それよりもお前さんがたはどうしてこんなところに? あのじいさんに何の用なんだい?」

「私たちは彼の家族ではないのですが、街にいる彼の家族に安否を確かめて欲しいと頼まれたんです。ある日突然いなくなったとかで」

 ロランが余計なことを言う前に答えておいた。

「で、じいさんは見つかったのかね?」しかしどうも老婆はロランとお話ししたいようだ。

「それが……」

「ボケちまった老人はそこが自分の居場所と思えず常に動き回るもんさ。ボケて疲れもわからんからね」

「居場所……。」ロラン思い当たるように言う。

「どうした?」

「いや、老賢者は戦後からすぐに塞ぎ込むようになったって、侍女が言ってるのを聞いたんだ。出かけたり旅に出ることが多くなったって……。」

「一番落ち着くところを終の住処にしたかったんだろうよ。もう私ゃここが一番落ち着くようになっちまったがね」

「けれどじいさんは……」

「ここがそうじゃなかったってことだねぇ」


 ここまで話して、やはり手がかりがもうないことに気づく。ロランが漁っていた書物の中に、露骨な手がかり、老賢者手製の乙女チックなポエムでも挟んでいれば何らかのとっかかりにはなっていたんだろうけれど。


 しばらく黙って皿を平らげていると、家のドアを誰かが激しくノックした。

「婆さん、ロッテの婆さんいるんだろ?」

 近所といえど珍しい訪問だったのだろう、不思議がって老婆、ロッテがドアの方を見る。

「どうしたんだねアインさん?」

 老婆が席を立ちドアを開けると、そこには老人が立っていた。

 帽子をかぶっていたので最初は良く分からなかったが、顔を上げて室内を見渡す顔は、シミとイボと、ついでに怒りで覆われていた。

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