老賢者を探せ
「──ロウ。クロウ」
ロランの声で我に返った。意識が遠のいていた間、私は呼吸を止めていたらしく、水面から上がったみたいに荒々しく呼吸を乱した。激しく咳き込み、軽く涎まで垂らしてしまう始末だ。まさか坊やにこんな無様なところを見られるとは。
「大丈夫かい?」ロランが訊ねる。
私はまだ答えられず、無言で数回素早く頷いた。
「ゆっくり呼吸をして……」
「大丈夫……だ。すぐに収まる」
呼吸はすぐに調子を取り戻し、周りの風景はロランが詠唱を唱える前に戻っていた、ような気がする。
「今のは?」
「一時的に、この雑木林に施されている法術を解いたんだ」
「それは分かってる。何か変なジイさんが見えたんだ」
ロランが私を興味深そうに見て言う。「それはノームだよ。土の精霊さ。きっと君のことが気に入ったんだ」
「そりゃあ気の毒なことをした。無視を決め込んでしまってね」
「そうなのかい? 心配しなくてもノームは無害だよ」
「女の体を触りまくるジジイは無害とは言えない」
「え?」微笑んでいたロランが真顔になる。「いや、ほら……ノームは悪戯好きだから……。」
「相手を選ぶべきだな。アイツが生身ならぶん殴ってた」
「ははははは……。」
私は雑木林を見渡した。しかし相変わらず館は見えない。
「老賢者の法術だからね。ぼくじゃあ完全には解けないんだ。また木に登ってくれれば方角が分かるはずだよ?」
「そんな手間をかける必要はない」
私は地面に転がっている小石を拾い上げ、「ガァ!」と力いっぱまっすぐに投げ飛ばした。その先でガラスが割れる音がした。
「こっちだな」私は得意げにその方向を指差す。
「えぇぇ……」ロランは困ったようにそっちを見る。
「ああ、ちなみに私も結構悪戯好きだ。お前さんの言うように気が合うのかもな」
「……知ってるよ」
音のした方角に行くと、村から見えていた館があった。思ったとおり、窓ガラスは割れている。
「老賢者に何て言えば……。」不安そうに窓を見ながらロランが言う。
「大丈夫だ」
「何でだい?」
「上手く当たってれば、じいさんもノびてる可能性がある」
「もう……。」
入口まで回ると、玄関には加工した跡もない木製の扉があった。まるで、そういう風に育った木をはめ込んだみたいだった。建物と同じように、どういう技術で作ったのか皆目見当がつかない。
ロランは扉を前にして、落ち着き無く気配を伺おうとしていた。
「ねぇ、君の耳で何か聞こえない?」
「……音はしないな。ネズミの歩き回る気配ひとつしやしない。こりゃ留守だ」
「そうか……。」
ロランは三回ノックをした。
「留守だと言ったろう?」私は肩をすくめる。
「マナーだよ」
ロランが扉を開けた。やはり留守だ。音だけでなく、匂いからもここの空気が少し前から止まったままだということが分かる。
「長いこと誰かが何かをした形跡がないな」
「やっぱりあのお婆さんが言ったとおり、しばらく前からいなくなってたんだろうね」
「記憶力がないな。婆さんは死んでるかもと言ったんだ」
「クロウっ」
「大丈夫だ。
ロランが大きく溜息をつこうとして、埃のせいで咳き込んだ。
玄関、居間、台所と順番に探った後、私は確信めいて言った。「老賢者さんは、ここを出て行ったんだ。しかも戻らないつもりでね。台所なんか特にそうだ。もう使わないから、生モノは愚か、保存食も全部始末してある。ハーブもスパイスもないみたいだ」
「……そうなんだ」
次に二階の寝室と書斎に向かうことにした。やはりどう造ったのか、壁沿いから粘土でこねて引っ張ったように石が飛び出て二階につながる階段になっていた。
寝室は簡素だったので特に調べないとして、書斎に足を踏み入れた時、私は嫌な雰囲気を感じ取った。本棚の本には布がかけられ、窓際の机と椅子は、次の住人をすぐに迎え入れられるように、見栄え良く揃えられていたのだ。
「綺麗に整頓されてるね……。」ロランが感心したように言う。
「マズイな……。」
「え、どうしてだい?」
「じいさん、本当にどこかで死んでるかもしれないぞ。この片付け方、まるで身辺整理じゃないか」
「そん……な」
ロランは慌てて机に歩み寄り、引き出しを開け中を漁り始めた。
「他に心当たりは?」
「な、ないよ」
ロランは引き出し自体を乱暴に取り外し、いよいよ物取りのように物色し始めた。短い付き合いだが、彼にしては似つかわしくない行動だ。それも、何かを探しているというより、ただ焦って落ち着き無く散らかしているように見える。
「しかしおかしな話だ」
「おかしいって?」ロランの声が少し高くなった。いや、これが彼の本来のトーンなのかもしれない。
「もう戻らないなら、どうして法術なんかを?」
「そうだよ、法術だ」食い入るようにロランが私を見る。「法術が施されているということは、彼がまだ生きているということなんだっ」
「そうかね、そこらへんの仕組みはよく分からないが」
「希望はまだあるっ」
「それは何より。で、心当たりは?」
「それは……」
「どちらにしても時間はなさそうだな」
窓を見ると、山の向こうに日が落ち始めていた。やれやれ、あと何回の夕日までもってくれることやら。
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