老賢者の秘術

「え? 迷った?」

「おかしいな……。」

 そうだ、おかしい。なぜ気づかなかったのだろうか。雑木林の外から見た限り、あの家はそんなに深いところにはなかったはずだ。雑木林に入ったらすぐに見えるべきなのだ。ロランにかまけていたからといって見失うようなヘマをやらかすわけがない。

「どういうことだ?」


 私は荷物を置くと、すぐ隣にあった背の高い杉の木の根元で跳躍し、右手で腰に隠してあるナイフを木の幹に突き刺した。そして、そのナイフを取っかかりに体を右手でさらに持ち上げ、木の窪みに左手を引っ掛け次はナイフを足場にする。そこからまた飛び上がり木の枝に掴まって懸垂けんすいの要領で体を半ばまで持ち上げ、片足を木の枝にかけその上に乗った。


「凄い、猫みたいだ……。」と、ロランが呟いた。

「猫さ、半分はな。聞こえてるぞ」

 ここまで来たら後は簡単なもので、いっぱい突き出ている木の枝に飛び移りながらひたすら上を目指した。

 一番高い場所から突き出ている木の枝に乗って、館の方を見る。奇妙なことに、例の館はすぐそばに見えた。

「なぜ下からは見えなかった……?」


 木を降りて、再度木の上から館が見えた方向を見る。だが、何も見えない。

 思うところがあったのか、ロランが「館の方角にこれを投げてもらっていいかな」と言い、石を私に手渡してきた。

「……何のために?」

「いいから。なるべく遠くに投げて欲しいんだけど、ギリギリ見失わないくらいの距離で」

 立場が逆転したようだ。しおらしくやるとしよう。


 そこまで遠くに石を投げたわけでもないし、石が落ちるところを私は間違いなく目視していた。しかし、その辺りについたというのに一向に石は見つからない。


「見失ってしまったみたいだな」

 埋まっていはいないかと、私は足で辺りの落ち葉をあさってみる。

「もう一回投げてみれば、建物に当たるかも知れん。運がよければガラスが割るということも」私は悪っぽく言う。


「たぶん無駄だよ」ロランが来た道を振り返りながら言う。

「そりゃまたどうして?」

「この短い距離だったけど、木の枝を折りながら来たんだ。確認するためにね。おそらくぼくらは館へはたどり着けない。見てごらん?」


 私は黙って専門家の指示に従う。後ろを見るとまっすぐ来たはずだというのに、木の枝の跡はてんでバラバラだった。


「この雑木林、法術がかけられている」

「なるほど。山道で迷子になる法術か」

「良く分かったね?」ロランが不思議そうに言う。

「わお、ヤマ勘が当たったぜ」

 ロランが微笑みながらため息をつき、土をいじり始めた。

「森に宿る精霊の、特に悪戯好きな奴らに働きかけてぼくらをまっすぐに歩けないようにしてるんだ」

「もちろん、対抗できるんだろうね?」

「……やってみる」


 ロランはチョークを砕いた粉で方陣を描き始めた。何をやっているのかさっぱりだったので私は危険がないかどうか辺りを見渡す。不思議なことに、雑木林からの出口はしっかりと見えているので、多分帰りは迷わずに帰ることができそうだ。


 ふと気づくとロランは方陣の真ん中で胡座をかいて何かを呟いていた。最初は唸り声に聞こえていたが、それは次第に言葉のようにしっかりとしたものになった。おそらく彼らの詠唱なのだろう。

「エスタ・ロラ・ドリュアス・オゥ・フォレステ・エンド・エスト・ロラ・ゲノーモ・オゥ・フォレステ……」


 詠唱している彼の表情は普段よりさらに神秘性を増していた。目を瞑り体を揺らすロランは、今まさに私の目の前にいるというのに、その存在が曖昧になって、木々の間から差し込む光と一体になってそのまま消えていきそうだった。見とれていたのか、気がつくと私の呼吸は止まっていた。


「応じたまえハマドリュアスの美しき娘たち。汝の妖艶さ万人が知るところぞ。彼との契約を解き、我を導きたまえ。応じたまえ老練なるカピタルの匠。汝の英知の恩恵を我らゆめゆめ忘れることあらず。汝と彼との契約を解き、我を導きたまえ……。」


 ロランが私の分かる言葉で話し始めたのか、それとも私が彼の言葉を理解するようになったのか、詠唱が意味を成し始める。彼の言葉の響きで私の頭の中は攪拌かくはんされクツクツと煮えたぎっているようだった。熱でうなされたように、近くのものと遠くのものの距離感がつかめなくなり、さらには平衡感覚すら怪しくなってきた。

 私は木の根元に座り込んだ。すると、木の根元に生えてるキノコが蠢くのが見えた。リスだろうか? それにしては大きすぎる。何も考えずにその背後で動いているものを見ていると、それは今まで見たこともないくらいに小さい老人だった。私とその老人の目があった。老人は私をじっと見ている。私は何故か、彼をあまり見てはいけないのだと思い目をそらした。しかし老人は私に擦り寄ってくる。それでも私は表情ひとつ変えずに彼を無視した。すると、彼は私の膝に手をのせ私の顔を覗き込んできた。老人と思ったその小人は、確かに目の焦点が合うところは老人の姿として捉えられるが、その周りは傘がかかった月のように薄ぼんやりとしていて、服装などはいまいち分からなかった。老人は私の体をはい上り、少しづつ顔に近づいてきた。

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