マッチ売りの兄弟
老婆の言うように、確かに雑木林の向こうには妙な建物が見えていた。そこまで古びていないにもかかわらず、凄まじい強風でしなったように傾いた作りだった。形だけだ見ると今にも倒れそうなのに、一方で作りはしっかりしていそうだ。どういう技術で建てたのか皆目見当がつかない。色合いも紫のとんがり屋根という、これみよがしな数寄者の館といった感じだ。とても目立つので迷いはしないだろうが、暗くなる前に雑木林に向かいたかったので老婆に礼を言うと、私たちはまっすぐにその屋敷を目指した。
「お兄さん、マッチ買わない?」
雑木林まであと少しというところで、私たちが村に入った時から興味深そうに見ていた、14歳と11歳くらいの姉弟が話しかけてきた。がらんどうから吹き出た風のような声だった。
「マッチかい? 間に合ってるよ」
私がつっけんどんに返事をすると「ちょっと、子供だよ」とロランが私を諭すように言う。
「男に間違えられたぞ?」
ロランは「まぁまぁ」と言い、子供たちにかがんで微笑みかけた。
「彼女はお姉さんだよ。君たち、マッチを買って欲しいの?」
少女は「じゃあお姉さんはお兄さん?」と風を出す。
「ああ、まぁ……。」
「じゃあマッチ買ってよ。10ギルでいいよ」
「ああそうか、じゃあ」と言いつつロランが懐を探る。
「マッチが10ギルとは少し高いんじゃあないかのかね?」
「ちょっとクロウ……。」
「街じゃあ30セルもしないぞ? 十倍以上だ」
ぼったくりがバレたにもかかわらず、少女は微動だにしなかった。
「そうなの……?」ロランは言った。
「なあ坊やたち、買ったマッチはどこで受け渡すんだ?今ここじゃないんだろう?」ボロを出しそうになるロランを遮るために、私は間を置かず話し続ける。
「え?」ロランが怪訝に私を見た。
一方で少女は何も言わずに私を見ていた。いや、もう見ているのかもわからない。ただ仮面に二つ穴を開け、そこにガラス玉を埋め込んだような瞳だったのだから。
「30セル出そう。それにおまけで黒パンだ。分けて食べるんだよ」
私はロランが下げているカバンに手をつっこみ、黒パンと30セルを出して少女に差し出した。彼女はそれを受け取ると、私と黒パンを交互に見ながらマッチを差し出す。
「お姉さんに苦労ばかりかけるな」マッチの箱を開け中身を確認しながら私は弟を見て言う。
「
私の手が止まる。彼の声にも何の抑揚はなかった。
「……そうか」
私はそれ以上少年を見ることができず、下を向いて唇を締めた。
「そうか……ロラン、行こう」
「ちょっと、クロウ……」
「振り返らずにまっすぐ歩け。何も興味がなかったどころか、あの姉弟に会わなかったくらいの感じでな」まだ事態を理解していないロランに私は囁いた。
「色々聞きたいことがある」
「質問は受け付けないと川辺で言ったはずだが?」
私たちは長いあいだ誰も踏み入れなかったのだろう、獣道らしい道すらない雑木林を、小枝を踏みしだき歩いていた。
「そりゃあ、ぼったくろうとしたのは悪いけどさ、もうちょっと色々やり方があったんじゃないかな?」
「『他にやりようがあった』、そのフレーズがお好きなようだね。お前さんはきっと、火事場でそんなことを考えながら逃げ遅れて死ぬタイプだな」
「答えになってないよ、クロウ」
「女が答えをはぐらかす時はね、ダーリン? 答えたくないって時なのよ?」
「……せめて、黒パンよりもいいものくらいあげても良かったんじゃあ?」
「黒パンはまずいか? 黒パンでも食えないことがある土地だ。感謝感激モノじゃないかな?」
「もっと上等なパンがカバンに入っていたよ? あげたくなかったの?」
私は立ち止まった。大きく深呼吸してから話す。
「そのとおり、私は白パンが大好きで大好きで仕方のない卑しんぼなんだよ。あの真っ白で柔らかいパンを食べるためだったら親兄弟だって売り渡すくらいなんだから、見ず知らずのガキンチョが苦しもうが知ったこっちゃあないんだよ。そして散々売り物を値切られてしょうがなく黒パンをもそもそ食べるあの子らを想像しながら私は白パンに舌づつみをうつんだ。うっひゃあ堪んねえぜ、ぼったくりのガキ共の流す涙は最高の調味料さっ。私の生まれた時ゆりかごに白パンが置かれていたように、私の葬儀の時も棺桶の中には白パンを入れておいてくれないか? 墓石にはこうだ、パンに愛されパンを愛した女ここに眠るってな」私は掌を返しながら軽く体を傾け、舞台上でお辞儀をするように「……これで満足かい?」と締めくくる。
「クロウ……君、泣いてないか?」
「ゴミが入ったんだ。気をつけろ、ここは木の葉の屑が舞ってる」
もう私は無視して歩きたかったが、念の為に言っておく。
「私の
私は憮然としながら歩き回った。それからロランは何も言わなくなった。自分の態度がヒステリック気味なのは分かっている。けれど、この世界は体験してもらわなければ理解できないことが多すぎる。そして、いくら体験しても慣れないことがあるということも。
そんなことを考えながら歩いていると重大なことに気づいた。
「嘘だろ、迷ったぞ」
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