ラクタリス
曇天がそのまま落ちてきて、染みを作ったように陰鬱な色合いに支配された村を歩きながら私は話す。
「正確には集落と言っていいか分からない。そもそもゴブリンたちがここに名前を付けていたかどうかも分からないんだからね。ただ間違いなくこの地のゴブリンたちはここを中心に生活していたんだ。ところがある日を境に彼らはこの地から姿を消すことになる。理由は知ってるかな? 歴史のお勉強だ」
「聞いた事がある。ここの周辺はゴブリンたちが巣食っていて、旅人や商人たちを襲うから転生者が彼らを退治したんだろう?」
相変わらず、湖の瞳は澄んでいる。
「物は言いようだな。それにもう少し遡る必要がある。ゴブリンたちが求めていたのはみかじめ料と通行料だ。で、それを収入源にしてやつらは生活していたんだ。しかしある時を境にそれが支払われなくなった。転生者が絡むのはそこからだ。元々煙たがられていたやつら何だが、転生者は特にゴブリンを嫌っていてね、彼の発案でみかじめ料と通行料を支払う必要はないということになったんだ。転生者的には
「……この村のことかい?」ロランが寒村を見渡しながら言う。
「違う。転生者様お気に入りの愛妾のことだ。15歳だったとも11歳だったとも伝えられている。その少女がこの付近を通る時に、ゴブリンの襲撃に
「酷い……。」
「ゴブリンからしてみればいつもどおりのことをやったまでさ。やつらには捕らえた獲物を縄張りに飾って見せびらかす習わしがあるからね。人間の農夫だってカラスの死体を畑に吊るし上げるし、頭のいい生き物に対してはそういうのは効果的なんだ」
「でも、だからって……。きっと転生者は悲しんだんだろうね」
「だろうね。それはそれはとても大きな悲しみだっただろう……恐らく」私はロランの方に首を回し顔を傾けた。「何せここに住んでいたゴブリンたちを皆殺しにするくらいだから」
「え?」
「戦争をおっぱじめるくらいの大軍を送り込んで、ここの周辺に住むゴブリンたちを
私は鼻をわざとらしく鳴らす。「今でもまだ、この土地はゴブリンたちの血の臭いがするよ」
「本当かい?」驚いたロランが片足を上げて地面を見る。
「嘘だよ。だがね、実際ここには姿のない墓標がゴロゴロしてるんだ。顧みられることのない無名の死で溢れているのさ」
ロランではないが、私も足で地面を擦った。かつてここに流れた血の記憶を探るように。
「……どちらが悪いとは言えないよね」
ロランが何とか思いついたような言葉を口にする。
「そうかね?」
「だって、何も人から強奪する生き方だけじゃなかったはずだよ? 畑を耕したり、牧畜を育てたり、ゴブリンたちにだって他のやり方があったはずだろう?」
「周りを見ろよ」
「え?」
「人間だって開拓に困る痩せこけた土地だぞ? 奴らの寿命を知ってるか?長くて30年だ。下手すりゃ家畜より短命なんだ。お前さんたちエルフだって、5000年後のためだからといって砂漠に木々を植えたりするか? 大体、ゴブリンたちがここに集まっていたのは、他の豊かな土地から締め出されたからだぞ」
「それは……。」
「転生者の願ったのはゴブリンの絶滅。ゴブリンはそれに抵抗した。それだけだ。今じゃあゴブリンたちは各地に散らばって驚く程の繁殖力で種の保存に成功しているがね。言ってみれば、転生者が唯一適わなかった相手、それがゴブリンってわけさ」
「君は随分と転生者に対して否定的な捉え方をするんだね?」
「奴がやったことでロクなことがあるかい?」
「君は知らないんだよ、彼がどれほどの恩恵を世界にもたらしたか」
あばら家寸前の家屋を私たちは通り過ぎた。中では老婆が居眠りなのか作業しているのかわからないていで糸車を回している。糸ほどにか細い命の網で、かろうじてこの世にとどまりながら。
「……そりゃ知らなかったな」
「そうさ。技術が発展して商業も盛んになって人々は皆豊かになったし出生率も上がった。飢えや病気も過去のことだよ。都に来てみるといいんだ」
「私たちがいるのはラクタリスで、私はラクタリスの話をしているんだが?」
「……それは」
「実りある作物、発展した産業、跳ね回る子どもたち、それがここのどこに? 言ったろう、ゴブリンに関しては転生者様は何もかもしくじったんだよ」
ロランはうつむいてしまった。澄んだ瞳に、濁りが見えてきた。
「お前さんの言い分は次の授業の時までの宿題としておこう」
私は首を振りながら出生率が上がった? と言った。
村の中をしばらく歩き回り、私はわずかばかり生気の残っている家のドアを叩いた。そしてそこに住む、街で出くわしたら物乞いと間違えそうな老婆に魚との交換を条件に、使っていない馬小屋を一晩、宿として使わせてくれるよう頼んだ。
白髪がみっちりと頭部をおおっている、若い頃は私より少し上背があったのだろうその老婆は、食べ残しの七面鳥のような、骨にわずかな肉がついた程度の手を振りながら、大きい魚を渡されても困ると言い出したので、魚は料理しやすいよう私がさばかせてもらうと提案すると、しぶしぶ承諾してくれた。
「ところで、ここら辺に老賢者が住んでいると聞いたんですが……」と私は訊ねた。
「老賢者? 年寄りはいっぱいいるがね」老婆は答えた。
老婆はまだ何かあるのかという風に、うんざりしたように私を見る。多分、彼女は世の中の全てにうんざりしているのだろう。そういう年の取り方もある。あるいは、この土地が全てをうんざりさせるのかもしれないが。
「エルフの聡明な老人なのですが……。」
ロランが私の後ろから年寄りに声をかける。
「耳が尖ったじじいかね? ありやエルフだったのか? イカレちまって自分で耳を切ったのかと思ったよ」
「はは……。」
「だったら雑木林の向こうに、けったいななりの家が建ってるのが見えるだろう。そこにしばらく前までジジイが住んでたよ」
「しばらく前?」
「最近は見ないってことだよ、わからんかね? おっ死んじまってるのかもってことさ」
その老婆の言葉に気落ちするロランだったが、さすがは神から遣わされし種族、気落ちした彼の悲劇の主人公的な様子を見るなり老婆の物言いが優しくなった。彼に関わる人間は皆、情け深くなる。
「もしかしたら、あんたたちが探してる老人じゃないかもしれないよ? エルフっぽくもなかったし、賢者って言うにはねぇ……ちょっと」
「ちょっと?」
「変わりモンってことさ。わざわざ何でこんなとこに越してきたのかって聞いたんだよ。まだ若い奴らが出稼ぎに行く前にね。そしたらそのじいさん、「世界の本質を探してる」って抜かしやがったらしいんだよ。あたしゃボケて寝室を探しに来たんじゃないかと思ってるよ」
「死にに来たのなら、それで間違ってないかと」私が頷いて言った。
「だろう?」
ロランが私と老婆を呆れてみていた。
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