第二章 ヘルハウンド・オン・マイ・トレイル

地獄からの魔手

                ※※※


 クロウとロランがラクタリスの村へ向かったその日の夜、二人が顔を合わせた「四季亭」ではディアゴスティーノが手下を一人連れ立ってカウンターで麦酒を飲んでいた。本人の言った「常連」だという言葉に嘘はなかったという事だ。

 ディアゴスティーノは貴族しか捕ることの許されない鹿肉のジャーキーを牙をむき出しにして噛み千切り咀嚼した後、麦酒を一気に飲み干し喉を潤わせていた。しかし一見リラックスしている様であっても、その頭の片隅では今回の仕事で得た金を次に生かすための算盤をはじき続けていた。稼いだ金を元手にさらに次の稼ぎを、その無限の螺旋階段からはいくら酒を注ぎこもうと降りられることはないほどに、ある意味では彼は根っからの商売人だった。


 ディアゴスティーノと違い安酒を口にしながら手下が言う。「ボス、前々から気になってたんですが、何であの女に好き勝手やらすんですか?」

「奴じゃねぇ、奴のお袋に免じてんだよ。……俺のお袋と奴のお袋、マーリンは従姉妹同士でな、実の姉妹みてぇに育っててな。だから、マーリンを侮辱するってのは俺のお袋を侮辱してるようなもんなのよ」面倒くさそうに言葉を選びながらディアゴスティーノは話す。「何より、戦後俺らフェルプールが利権に預かれたのは他でもないマーリンのおかげだ。あれから30年も経つからよ、色々な解釈をしやがる奴が出てきてはいるが、マーリンがいなきゃあ俺らは他の亜人と同じような流浪の身になってたっておかしくはねぇんだ。だからよ、俺らフェルプールはマーリンにはそれ相応の敬意ってもんを払わなきゃいけねぇ。例え彼女のやり方がだったとしてもな。俺があの女のやることに多少目をつむってんのはそいういうことさ。じゃなきゃあとうの昔に山羊の糞になってるぜ」

「……山羊は肉を食わんのでは?」手下が困惑しながら訊ねる。

「だぁからよ、奴の死体を野良犬が喰ってそいつが草むらで糞たれてそれを肥料に草が育ってそれを山羊が食うってぇ意味だよ、全部説明させんじゃねぇっ」


 昨夜のクロウとロラン以外、滅多に常連以外は入店してこない店だったが、今夜も再び見慣れない一団が入店してきた。それが入店した時、最初は遠目に痩せこけたホビットか物乞いの子供の入店かと常連客は思った。しかし、一人、いや一匹だったその影は、湧いたようにその場で増殖した。その様は昨晩のロランとは違う意味で常連たちの視線を集めた。暗く湿ったところで蠢く害虫を見る目、その視線に類似したものを挙げるとするならばそれが近かった。

 彼らは茶番を繰り広げているディアゴスティーノのいるカウンターまで、酔っていないにもかかわらず千鳥足を思わせるような足取りで脇目もくれず歩いて行き、先頭を歩いていた、体は大きくないものの恐らくリーダーなのだろう一匹が、何の断りもせずにディアゴスティーノの隣に座った。


「ァアンタがディアゴスティーノさぁん?」

「……ゴブリンが俺らのシマで何してやがる」

 敵意と用心を含ませた目でディアゴスティーノは隣の席を見る。

 そのゴブリンの顔には老人ではないもののアーモンドのような頑丈そうなシワが刻まれており、そしてその顔の上にはトウモロコシのヒゲようなクシャクシャの白髪が乱雑に、生えているのではなく植え込まれたように乗っていた。さらに右の頬には切れ味の悪い刃物で引き裂いたみたいな傷があり、口を閉じていても牙と歯茎が剥き出しになっていた。貴族から剥ぎ取ったのだろうボロボロのコートは、元々は鮮やかな紫だったのかもしれないが、今では腐った豚肉のような不気味な色合いになっている。混沌の仄暗い穴の底からひょっこりと顔を出してきたように、その佇まいは無秩序そのものだった。


「いやぁ何ね、ちょおっくら人探しをしてんだよ。アンタぁこの辺じゃあ顔がきくって……」

「質問してんじゃねんだよ、わきまえろっつー話をしてんだよ俺はっ」


 店内で演奏していたバンドの奏でる音が、ディアゴスティーノの激情にあわせて少し小さくなった。

 ゴブリンは周囲の変化を感じ取り「ふはっ!」と攻撃的な笑顔をディアゴスティーノにむき出しにする。傷のせいで常に開きっぱなしになっているゴブリンの右の頬からの悪臭が、ディアゴスティーノの鼻を刺激した。

「怒んなよ~、まさかフェルプール相手に礼儀作法だなんて夢にも思わなくってな」

「だったら夢ん中で一からお勉強してくるか?」

 そう言ってディアゴスティーノはゴブリンの頬に鋭くはないが重いビンタを見舞った。ゴブリンの白髪が水中の水草のようにブワっと揺らいだ。

「うっかり夢ぇ見れないほど深い眠りにつけちまうかもしれねぇがよぉ」


 その一撃でゴブリンの目がトロンとした目つきに変わった。その目つきが意味するところは唯一つだが、ディアゴスティーノもその視線には晒され慣れていた。今にも喉が鳴りそうな程の鋭い視線でゴブリンを睨み返す。

 そんな二人の様子を見ていたバーテンは、グラスをフキンで拭いながらさりげなくカウンターの下の引き出しに手をかける。そこには調理器具と一緒に投擲用のナイフが仕込まれていた。


「しつれぇい」ゴブリンは据わった目のまま頭髪をかき上げる。「俺の名前はバクスターだ。こいつらのかしらぁやってる。ディアゴスティーノさん、以後お見知りおきを」

「……人探しと言ったな? だが情報が欲しいってんなら、まずギフトと情報をそっちから差し出すのがビジネスのルールだぜ。ゴブリンに俺の事を教えやがったのはどこのどいつだ?」


 “ビジネスのルール”というディアゴスティーノの言葉に少しうんざりしたようにバクスターが言う。「ん~単純な話だぜ? ひとりひとぉりしらみつぶしに探っていったらここにたどり着いたんだよ」頬杖をついて思わせぶりにバクスターは続ける。「アンタの名を出したのは……確か隣の街の酒場の男だったかな? フェルプールにエルフの仕事を回したことと、ここいらじゃアンタがそういうのを仕切ってるってのを聞いたんだ」

「この稼業の男が簡単に口を割るとも思えんが」

「い~や~、実に友好的だったぜぇ?」


 バクスターが合図をすると、手下のゴブリンの一人がズタ袋をカウンターの上に放り投げた。

 ディアゴスティーノが訊ねる。「これがギフトか? 禁猟のウズラなら間に合ってるぜ? ここには大体のもんが揃って……」


 手下が乱暴に袋の中身をカウンターにぶちまけた。それは切断された人間の腕だった。切断面は、よほど下手くそだったのか、何度も切り付けられたようにズタズタで、最後の部分は無理矢理に引きちぎったようだった。彼らの仕事の雑さがうかがい知れるといったところだろう。


「簡単だったぜ? 右腕一本で友好的になってくれたのさ」

 バクスターの手下がゴヒャッゴヒャッと聞いたことのない笑い声を上げた。

「あ~、フェルプールは人間も食うんだっけかぁ?」眉間に人差し指を当て、思索している素振りをしながら陽気にバクスターが言う。


「やれやれ、マナーも悪けりゃ頭も悪いときたか」

 ゆっくり懐に手を伸ばすディアゴスティーノ。

 だが、バクスターはそれよりも早くバタフライナイフをコートのポケットから取り出し空中で器用に一泳がせしてから刃をディアゴスティーノに向けた。

 遅れてバクスターの手下も鞘から小ぶりの剣を抜く。

 バクスターがディアゴスティーノにナイフを突きつけて言う。「ビジネスだぁ!? うんざりなんだよぉ、勇者側てめぇらが勝手に作ったルールなんざぁ……」


 しかしバクスターがナイフをディアゴスティーノに向けた事がわかるや否や、後方の東方民族を始めとするテーブル席の常連客達が一斉に椅子を蹴り飛ばすように立ち上がり、三日月刀といった各々の得物を鞘から抜き出した。示し合わせたわけでもないにも関わらず、一糸乱れぬ動きのために椅子が蹴られて倒れる音と金属の擦れる音はほとんど時間差なしで店内に鳴り響いた。

 楽隊の演奏はいつの間にか止んでいて、その代わりに刃の音色が鋭く残響していた。

 バクスターがバーテンに目をやると、彼もまた既に投げナイフの標準をこちらに向けていた。

 バクスターはディアゴスティーノから一旦目をそらし店内の様子を伺う。

 店の入口には190はありそうなゴツイ黒人の用心棒が腕組みをして立っていた。素手で十分という意思表示だろう。

 そしてバクスターがディアゴスティーノに視線を戻した時には、既にその隙をついてディアゴスティーノのダガーの刃が彼の喉元に当てられていた。


「おいチンピラもう一度言うぜ? ここは俺らのシマだ好き勝手やってんじゃねえぞ」感情が瞬間的に起伏するディアゴスティーノだった。一瞬で、飲んでいる酒に引火するのではというくらいに吐息が熱くなっていた。「二度目までは許す。誰だって聞き違いや物忘れがあるからな。だが三度目を言わせんなよ?鹿。その場合はどっちにしたってバラされるしかねえんだぞ?」


「……しようがねぇな」そう言ってナイフを納めると、バクスターが手下にも武器を納めるように目配せをする。

 椅子から降り、ディアゴスティーノから距離を取るバクスター。すると奇妙なことに、バクスターは懐から突如、黒く重々しい小筒を取り出した。

「んじゃあ拮抗させるしかねぇか?」

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