第5話 お姫様のジョブチェンジ
……返ってくるのは静寂だけだった。うん、そりゃそうだろう。こんな危機的状況に首を突っ込むなんて、正気なやつのすることじゃない。
まあ、
「それっ!」
この異世界には、そういう物好きがいるようだが。
声の持ち主は、ドラゴンの顎を打ち上げている。その衝撃で溜め込んでいた炎は暴発。やつは再び、激痛によってのたうち回ることとなった。
俺は蔦で動けないまま、割り込んできた誰かの姿を確認する。
金色の髪を、ポニーテールで束ねた人物だった。身体は細く、それだけで女性と分かる。
そう、女。
ちょっとだけショックである。俺の生きていた時代、男は女を守ってやるのが当然だった。にも関わらずこの結果……情けないったらありゃしない。
「旅のお方! 大丈夫ですの!?」
華麗に着地を決め、件の女性が駆け寄ってくる。
自分の無能っぷりに、彼女から目を逸らしたい気分だった。――が、そうはさせない理由が俺にはある。
アンドロマケだ。
写真で見つけた麗しの妻が、俺を助けに来た本人だった。
「? あの、どうしましたボーっとして。どこか痛めました?」
「え、あ、いや、大丈夫だ」
「そうですの、良かった。ここは外神の領域だから、気をつけた方がいいですわよ?」
「が、外神?」
ええ、と頷く少女に、俺は首を傾げるしかない。初めて聞くワードだし。
彼女の向こうでは、口から煙りを出しているドラゴンが立ち上がっていた。
「ふん、しぶとい方ですわね。このアンドロマケの拳を、もう一度味わいたいと?」
「――」
やはり彼女は、妻の転生体であるらしい。
だがどういうことだ。以前の彼女は、ですます口調のお淑やかな女性だったぞ。ましてや戦いなんて、少しも出来なかった筈だが。
そもそも、俺の顔を見て気付かないとは――
まさか、記憶は引き継いでいない?
「さあ、かかってきなさいトカゲ野郎! 格の違いを見せてさし上げます!」
それらしく、拳を構える元人妻。
――後の展開は、圧倒的としか言えなかった。
振り下ろされたドラゴンの腕を、アンドロマケは両腕で受け止めたのだ。仰天する敵に構わず、彼女は懐に潜り込んで一発。簡単に黙らせてしまった。
いやあ、ホントに俺無能。足引っ張ってただけじゃねえか。
まあ、責任の大半は女神様にありそうな気がするけど。
「じっとしていてくださいね。いま自由にしますから」
「りょ、了解」
「ほ、っと」
俺が全力を込めても無駄だった蔦を、彼女はあっさりと引き千切った。……もしかして、筋力でも負けてません? 俺。
見る限り、アンドロマケは十代の女性として平均的な筋肉をしている。
俺が惚れ込んだ美貌も昔と変わっていない。服装は動きやすさを重視した、ドレスを改造したような物だった。
走りやすくするためか、スカートの部分は大きく切り落としている。袖はほとんどカットしてあり、何とノースリーブである。
女性らしく細い、色白な腕に俺は見惚れていた。
しかもこう、脇が見えそうで見えませんよ。色っぽいなあ。
「私はアンドロマケと申しますの。旅のお方、貴方は?」
「ね、ネオプトレモスだ」
「どこかで聞いたことのある名前ですわね……出身は?」
「あ――ブティアって土地なんだが、知ってるか?」
「ブティア? 初耳ですわね……」
うーん、とアンドロマケは腕を組んで唸っている。
しかし俺の目線は、直ぐに彼女の顔から逸れた。――だって仕方ない。腕を組んだお陰で、豊かに実った胸が強調されてるんだから。
いやはや、まさに目の保養。スタイルの良さは転生前と少しも変わっていないらしい。転生担当者グッジョブ。
「あの、どうしました?」
「っ!? い、いや何でも……」
「? おかしな方ですわね。まあいいです、とりあえず私たち町に行きましょう。またドラゴンみてえなのが出る可能性もありますから」
「わ、分かった」
俺は立ち上がった直後、ハッとして例の物を見る。
バッキリと二つに折れた、オヤジの形見を。――いやまあ、冥界で長々と一緒に暮らしてたから、あの人が死んでる実感は皆無に等しいんだが。
「あれ、アナタの武器ですの?」
「いまは役に立たないけどな……どっかで修理したいところだ」
「なら、私に任せてください。腕のいい方を紹介しますよ?」
「そ、それはどうも」
でもなんだか、世話になりすぎているような。
情けなさを意識した時には、アンドロマケがズンズンと森の向こうへ進んでいく。まあこの世界に関する情報は必要だし、大人しく付いていくとしよう。
「……にしても、拳を振るってるとはな」
ジョブチェンジとはこのことか。
再会を喜ぶ俺がいる一方で、変化した妻に困惑する俺も、確かにいるのだった。
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