第九話 これからのこと
リーリスが眠りに就く前日、俺は街へと降りていた。
暫く城にいるっていっても、俺はただの人間だし。生き物である以上、飯を食わないと生きてはいけない。森の中で動物や植物を狩るにしても確実じゃないので、せめてリーリスが眠っている間の食糧は買っておこうってわけだ。
「――おや、アンタまだこの辺りにいたのかい」
「一通り見てきたから、そろそろ別の場所に行くつもりさ」
ついでで立ち寄った酒場でばったり出会ったのは、城についての情報をくれた酔っ払いだった。今だって安酒を山ほど飲んでいたらしく、ベロンベロンに酔っぱらっていた。偶然の出会いだと思っていたが、昔からここらで情報屋みたいなことをしていたんだろうな。あの時から、全く変わっちゃいねぇ。俺はこの数日で凄いことになっているってのによぅ。
「城はどうだったよ。何にもない所だったろう」
「あ、ああ……。無駄足だったね。苦労してまで行くようなところじゃなかった」
見ての通り、すっからかんさ。と服の内側のポケットまで引っ張り出して見せる。……まぁ、宝の
「森まで抜けて行くような奴は、よっぽどの物好きだぜ。俺みたいな馬鹿はそうそういやしないだろうさ」
「げははは、違いねぇや!」
下手なことを言って、城に誰かが来ても困るもんな。現地の人には、とっくに廃れた城という認識だし、わざわざ森まで入ってくる人なんていないだろう。とりあえず、何もなかったってことを強調して男とは別れた。
もちろん――森を抜け、リーリスのいるあの廃城へ。
意外なことに、リーリスはあれ以上、俺の過去について聞いてくることはなかった。根本的にはあまり興味を持たれてないみたいだ。それでも、余程暇そうにしているところに顔を出すと、質問をされたりすることもあった。
なんで槍を使うのか、だとか。ここに来るまでには、何か面白いものは見つかったのか、だとか。俺の話し方が下手だからなのか、そこから食いついてくることは無かったけれど。
やっぱり、外に出られないというのは、精神的にも負担がかかるらしい。自分が城の中を回って観察している間は、リーリスは広間の玉座に腰かけているばかりで。強い日差しは
……まぁ、俺もずっと同じことをしているのは退屈なので、気晴らしに茨の騎士と戦わせてもらったことがある。リーリスも魔力は十分だったようで、珍しく了承してくれた。きっちり三日間眠り続けていた意味はあったんだな。
ただ、やっぱりゴゥレムと戦うんじゃ、思うようにいかないってのが正直なところ。なんてったって、槍を突き出したところで空っぽの兜が宙を舞うだけ。もとより鎧の中身なんて無いのだから、急所自体が存在しない。腕や脚を狙ったところで、すぐに元通りになっちまうし……。初めから俺に勝ち目なんてなかった。リーリスにとっては、丁度いい暇つぶしになったみたいだけど。
前のように本気で俺を殺そうとすることも無くなったし、こうして過ごすのもだいぶ楽になった気がする。四日間とはいえ、こうした運動でもしないと身体が
運が良かった、それとも悪かったのか。
そうして――リーリスが眠りに就く夜。
「……またあの苦いのを飲ませるつもりか?」
苦い薬に少し警戒したような声音は、まるで年頃の子供のようだった。嫌がってはいるけれども、やはり苦しそうにしていたら飲ませないわけにはいかない。それなら俺だって、親のように諭してみることにしよう。
「でも効いたろ?」
「あれのせいで意識が遠のきかけたが」
「ま、まぁそういうこともあるさ。でも――今回はもう少し、苦みを抑えられるように頑張ってみるかな。これも練習だ」
『苦い薬ほどよく効く』とは耳にするが、流石にそれで恨まれてしまっては元も子もない。思いつきで頑張ってみるとは言ったが、どう頑張ればいいんだろうな。
「私はお前の練習台か……」
「そんなこと言うなよぉ。俺だって、これでも必死にやってるんだぜ」
うろ覚えの知識で、煎じ薬の材料となる薬草を処理していく。一回目はたどたどしかったが、二回目ともなれば少しは手馴れてくるってもんだ。なんだか……自分が騎士だったことが疑わしく思えてきた。
「騎士じゃなくて薬師になった方が良かったんじゃないのか」
「思っていても言わないのが、優しさってもんなんだぜ……」
――とはいえ、これだけ『あの時ちゃんと勉強しとけばよかった』と後悔したこともない。リーリスも薬を用意してくること自体には、それほど抵抗がなくなったみたいだけど……。俺だって、工夫しなきゃと思っていたところだ。
街から城へと戻ってくるついでに、必要な薬草は採取しておいた。今回は二種類の薬草を混ぜて使う。分量が減れば、もちろん効果は薄くなるが――かといって、濃すぎたら濃すぎたで、飲みにくくなるのも問題だ。
……完全には症状の悪化を抑えることはできないし、抑えたところで――ってのもある。リーリスが吸血鬼と知っててやったのかは知らないが、こんな呪いをかけやがって。腸が煮えくり返る思いだけども、今はぐっとこらえるしかねぇ。
「……おい、なんだか濁ってないか?」
「それだけ薬草の成分が煮だされてんだ」
「汚い泡みたいなのが、次から次へと湧いているんだが」
「そりゃあ、
グツグツと薬草を煮ている湯が沸きだすと、白い泡が表面に浮かび始めた。おたまは無いので、それをスプーンでちょこちょこ掬っては、外へと出していく。一度だけ口に入れたことがあるが、苦みの塊みたいなもんで、とても飲めたもんじゃないからな。
――中には
「灰汁?」
「なんだよ、灰汁を知らないのか? 数十年こっちにいて、料理とかしないのかよ。……というか、いつか聞こうと思っていたんだが、食い物とかは大丈夫なのか? 腹が減ったとかさぁ、あるだろ?」
「いいや、無い。人間の食い物など必要であるものか。魔力の補充のための食事なら、できないこともないが――血を吸うことも別に必須ではない」
食い物が必要ないってのは、なんとも便利な身体だ。……つっても、美味しい食事を食べると幸せな気分になる自分としては、もったいないような気もしてくる。どちらかといえば、リーリスたち
「それでも、血を吸いたくなる時ぐらいあるだろ。なんたって
「中途半端に血を吸うと、自分の力を分け与えることになる。それで手下を増やして軍勢を率いている奴もいたが、そんなもの私は御免だ。……派手に動くと、追手に気付かれる危険性も高くなるしな」
「そもそも、不味い血を好んで吸うほど悪食でもない。人間には干渉しないと決めて、数十年を過ごしてきた。これからも同じだ。……私は、ヒトを襲って快楽に
「……そうか」
呪いも何もかもが無くなって、元気になったらどうするつもりなのか。そう聞くつもりだったが――本人がもともと血を吸うつもりが無いというのなら。もう、気兼ねすることはなにも無い。
「決めたぞ。俺もリーリスの呪いを解くのに協力する」
「……なんだと?」
「聞こえなかったか? リーリス一人だと、万が一にも城から出られるようになっても、この先大変だろ? 呪いが解けるまでは、俺が一緒に旅してやるからさ」
黒い茨。白い蕾。リーリスの意志とは別に、勝手に出てしまうそれらが人の注目を集めないわけがない。もし、この廃城のような場所が見つからなかったら? 自分だったら、そう言った場所を探すために情報を集めることだってできる。
そう言うと、リーリスは呆れたような顔をして――
「馬鹿かお前は。私は
「
「――はっ。女の子? 私が? ふふふ……ははははっ!!」
ひとしきり笑った後に顔を上げたリーリスの、その赤い瞳は――より一層に赤みを増しているように見えて。冷たくなった声音に、背筋が寒くなる。
「……馬鹿にするのも大概にしておけよ」
それまで直立していた鎧、茨の騎士が、ゆっくりと動き始める。
――ヤバい。腰に提げた剣に手を伸ばしてる。
「おいおいおい! まだ薬を煮出してる最中だってのに!」
「……ちっ」
舌打ちをするリーリス。
危ない危ない……。なんとか怒りを収めてくれた。まったく、こっちはおかしいことなんて一つも言ってないはずなのにな……。逆鱗がどこにあるか、さっぱり分からねぇ。
「まぁ、眠っている間に考えといてくれよ」
「……死んでいる間に、夢を見られるのなら、の話だがな」
こうして話している間に、煎じ薬も完成して。
刻一刻と、リーリスの眠りに就く時間が近づいてくる。
「――さて、これで三度目になるわけだが。なにか言い残しておくことは?」
「……どうせ帰れと言ったところで、聞くつもりはないんだろう」
まったくもって、俺もリーリスも落ち着いていた。流石に三度目ともなると、心の準備も万端。ただやはり心配だったのは、どんどんとリーリスの呼吸が荒くなっていたこと。呪いの症状が出始め、息がしづらくなってきたんだろう。
「よくわかってるじゃないか」
おどけたように肩を
そして顔をしかめて『やっぱり苦い』と言う様子は、ただのか弱い少女と言わざるを得ない。
「――ふぅ。そろそろ限界……だな」
ゆっくりと器を置くと、怠そうに頭を支えながら弱弱しく息を吐いている。
「分かるのか?」
「分かるさ。起きた時から、少しずつ身体が弱っていくのが。これ以上は
「そうか……。そんじゃあ、また顔を合わせるのは三日後だな。俺は――そろそろ広間から出ていかないといけないな。リーリス、おやすみ」
「待て。その必要は……ない」
「……その必要はないって?」
「…………」
俺の問いに答えることなく、リーリスが目を閉じた。
それと同時に背中の方から湧き出るように現れる、大量の黒い茨。鋭い棘が無数に付いた茨の波が、俺のもとに迫ってくる。多少は痛い思いをしてもいいか、と
「なん……だ……? 茨が――」
不思議なことに、茨の騎士だけじゃなく、俺までもを黒茨は避けて伸びていく。
気が付けば、茨の壁の中に俺もいた。前とは違う景色が、そこにはあった。
周りはそこそこ頑丈な茨に囲まれている。前に二度、三度槍で突っついてみたが、少しの傷が付いただけで貫くことはできなかった。切ることもできなかったし、頑丈さは折り紙付きだ。
鉄壁の茨の守りに、内側で警護する俺と茨の鎧。
これを盤石と言わずして、なんと呼ぶ。
……安心して眠ってくれるといいんだがなぁ。
「――というか、まだ『おやすみ』とは返してくれないのね」
『なんだかなぁ……』と、小さな呟きが口を突いた。
警戒は解いてもらったけれど、まだ少し嫌われているんだろうか。
「ま、こればっかりは本人に聞かないと仕方ないな」
ぐるぐると辺りを回って、いつでも侵入者に対処できるようにしている茨の騎士。そんな守護者を横目に腰を下ろし、焚き火を用意して暖を取ることにする。
「――気楽にいこうぜ、“旦那”」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます