第十話 『おはよう』と『おやすみ』

 パチパチと、たき火から火の粉が弾ける音がする。他に明かりのない大広間、静かな空間で、たったそれだけ。こんだけ広いのに、蕾の中で眠るリーリスと、俺と、物言わぬ茨の騎士の三人だけ。なんとも寂しいもんじゃねぇか。


「おっと、また来たようだぜ……」


 茨の外には、二体の機石生物マキナ

 誰に言われるでもなく、茨の騎士が剣を抜いて歩いていく。


 茨に囲まれて一日過ごしてみて分かったんだが、リーリスの出した黒い茨は思っていた以上に強固で。小型の機石生物マキナの牙ぐらいなら、傷一つ付かない。


 野生の動物なら、食い破ろうと挑戦しても無理だと分かったらさっさと他所ヨソに行っちまうんだが……。こいつらは絶対に諦めない。茨が解かれるのを待っているのか、ずっと表で食らいつき続けたままだ。


 それを茨の騎士と俺が、内側から刃を差し込んで撃退するって戦法だった。これなら、一方的に安全なところから危険を排除できる。なかなか考えられているじゃないか。


 これなら常に警戒していなくても十分だ。横になって寝るぐらいの余裕はある。……けど、やっぱり静かすぎて退屈になっちまうんだよなぁ。


 そこで俺は、何を血迷ったのか、唯一の話し相手に言葉を投げかけてみた。


「茨に囲まれて過ごすってのは、どうなんだい? 旦那」


 …………。


 当然、茨の騎士は応えてくれるわけがない。言葉を発さないのは知っちゃあいるが、意志すらないのだろうか。所詮はリーリスの操り人形。……でも、本当に?


 いや、俺にはたたずまいで分かるぜ。この鎧には、魂が宿っている。かつてこの城で誰かを、何かを守っていた漢たちの魂が。背中を見りゃあわかる。そういう漢は、“旦那”と呼ぶのが俺の中での礼儀なんだぜ。


「なぁ、聞いてくれよ。俺の昔に所属していた騎士団にもさ、旦那みたいな人がいたんだ。若い奴はみんな慕ってた、それこそ父親のように」


 部隊長でもなんでもなかったけど、新人の世話をよくしていて、とても世話焼きだった。


「いつも弱い者の盾になって生きようとする人だった。その背中はいつ見ても恰好良かったね。……俺だって憧れてた」


 歳は親父よりも少し若いぐらいで、家族のように接してくれたけど照れくさくて。同年代の他の奴は“親父”と呼んでいたけど、俺だけは“旦那”と呼んでいた。


「ただ、そういう正義の味方のような人が無敵なのは、決まって物語の中だけなのさ。現実はそう単純にはいかない。……俺が入隊してから二年後に、機石人形グランディールに襲われて死んじまった」


 俺が二十歳の頃だったかな。生き残った兵士から聞いただけで、実際に見たわけじゃない。死体の回収もできない状況だったと言っていた。誰も責めることなんてできない。ただ、騎士団中に悲しみだけが蔓延していた。


「まぁ、騎士団を抜けたのはそれが原因ってわけじゃないんだけどな。それでも、誰かと肩を並べて戦うことができなくなっちまった。だからさ、アンタとこうして槍を振るえるのは楽しいんだ。なぁ、旦那」


 たとえ返事がなくても、こうして目の前にいるものに話しかけると、気がまぎれる。別に勘違いして欲しくはないんだが、独り言の気があるわけじゃあないんだ。






 やっぱり一人じゃないっていいもんだよな。

 厳密に言やぁ一人なんだけど……気分的には二人での警護だ。


 旦那との(一方通行な)会話のおかげで、どうにか退屈に飲み込まれずリーリスの目覚める夜を迎えることができた。あの白い蕾が現れてから三度目の夜。今日も空に浮かぶ満月は煌々と輝いている。


「開くぞ……」


 無言で忠実な騎士の鑑である旦那と並んで、我らがご主人様の目覚めを待つ。


 ゆっくり、ゆっくりと、月明りに照らされた白い蕾が開いていく。


 思わず溜息をつくほどに、神秘に満ち溢れていた。あたり一帯の空気が浄化されていくようにも思えた。蕾の中から覗かせた銀色の髪。白く透き通った肌細い手足と相まって、月並みな表現だが人形の様だった。


 この幻想的な光景を見たいから、俺はリーリスといるのではないだろうか。これはなんというか……一目惚れに近いものを感じていた。守ってあげたい。一緒にいたい。様々なものが入り交じり、この感情はそう簡単には言い表すことができない。


「起きたんだなリーリス。おはよう! いい夜だな!」

「…………」


 これでもかと明るく挨拶したってのに、少し怪訝そうに眉をひそめて茨の騎士を近くへと呼ぶ。こ、こいつはいくら俺でも傷つくぜ。物申さずにはいられねぇ。


「なんだよ、挨拶ぐらい返してくれたっていいじゃないか」

「……“挨拶”?」


 手で触れて魔力を読み取りながら、何を言っているんだといった様子。


「そういえば、お前……。毎度毎度、なにか訳の分からないことを言っていると思ってはいたが、なんなんだ? いい加減、私も怒ろうかと思っていたところだ」


 いやいやいや、そんな待ってくれよ。挨拶も知らないだって? 流石にそりゃあないだろう。挨拶ってのは、他人との繋がりを作る上で大切なものだ。知らないなんて、普通に生きていればありえないだろ。


「起きた時は『おはよう』で、眠るときは『おやすみ』だろう?」

「だろう、じゃない。そもそも眠ることが無かったんだ。そんなもの私が知るか」


 そう言われて、がっくりときちまった。そうか……。リーリスは魔族、住んできた環境が全く違うことを忘れていた。話に聞くと、仲間と言うか対等の立場にある奴は何人かいたようだけれど、一緒に暮らしていたわけじゃあないらしいし。


 殆ど一人で生きて来たって……。それって、寂しくないのか?


「それと――お前にもう一つ聞きたいことがある」

「…………? なんだよ」


 後ろ手に親指で旦那の方を指していた。


「コイツのことを“旦那”と呼んでいたが、なんでだ?」


 ――そうか、寝ている間のことは、旦那の魔力を通して全部分かるんだったな。そう考えると、リーリスが寝ていた間に話していた昔の話もなにもかも、全部筒抜けってことじゃねぇか。……なにか変な事、喋ってないよな。


 なんでって聞かれたって……。


「そ、そりゃあ……恰好いいだろう? 城に仕えて、主を守る。騎士の鑑、漢の中の漢って感じで。そういう恰好良い、尊敬できる漢を、俺は“旦那”って呼ぶことにしてるんだ」


「漢って……こいつはただの鎧だぞ?」

「そ、そういうこと言うなよ……。俺にはそう感じたんだから」


「肉体も無いから死体ですらない。幾つもの魂の残滓を纏めて――」

「いいんだ! 俺がそう思ったんだから!」


 こう、なんで夢や浪漫を壊すことを言うかなぁ。たとえものを言わなくても、肉体が無くても、意志疎通ができなくても。俺には分かるんだよ。


「ふぅん……。変わってるやつだとは思ったが、相当な変わりっぷりだな」

「ほっとけ!」


 気が付けば、互いに小さく笑い声を上げていた。

 こんなことは初めてだった。


 別に変人だと思われてもいいさ。こうやって楽しく話せるのなら。


 これまでに見たリーリスの表情は、普段のしかめっ面か眠る前の辛そうな表情ぐらい。目を閉じる前に蕾の中に引っ込んでしまうから、寝顔は一度も見たことがない。開いたときには既に起きてんだもんな。

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