第十六話 血の目醒め

 私の魔力の宿ったゴゥレム――黒い鎧を纏っていたフェンは、私の血の力の一部を操っているように見えた。


 茨で行動を阻害しながら、必殺の槍で弱点を穿つ。恐らくはそんな戦い方をしていたのだろう。床には既に一つの機石人形の残骸が転がっており、茨によって剥き出しになった核となる機石を突き砕く瞬間が視界に映っていた。


 フェン――


 私が彼の名を呼ぼうとした瞬間。

 それはあっけなく訪れた。


 残っていた最後の一体。気配からして格の違う機石人形が、素手のままでフェンに飛び込んだのが見えた。フェンの突きを軽々と躱し、手刀がフェンへと襲い掛かる。


 槍の柄でそれを受けようとした。が、しかし、機石人形の手刀からは魔力を圧縮して作り出したような刃が生み出されていた。フェンの手の内にあった槍の柄がすっぱりと両断され、彼の瞳が驚愕に見開かれる。


 そのまま鎧を切り裂く機石人形の刃がフェンの身体を襲う。

 あたりに血しぶきが舞った。


「フェンっ――!!」


 思わず叫んでいた。

 ただの人間のために、どうして。

 何でもない奴なのに。いや、だったのに、だ。


 喪うのは惜しい。いいや、そんなものじゃない。

 この感情は変に繕うべきじゃない。


「フェン! どうして……どうしてこんな無茶をした!? 私を見捨てておけばよかった。こんなことをせずに、お前だけ逃げ出していれば、こんなところで死ぬこともなかったのに……!」


 嫌だ。失いたくない。

 私はフェンを失いたくないんだ……。


「そんなこと……できるわけないだろ。約束したんだ。自分の理想の“騎士”になるために、大切なものを護れる漢になるって」


「馬鹿だ……お前は。大馬鹿者だ……!」


「“餌”を勝手に捌いてしまってすまんね。だが、人間の一人や二人が死んだところで、お前らはどうでも良いのだろう? お前のその魔力では、回復したところでたかが知れている。私の手で直々に“駆除”してさしあげよう」


「死なせはしない。《血の系譜ブラッドノーツ》【茨皇女】の名にかけて……!」


 フェンを抱え上げ、首筋に噛み付いた。


 あれだけ嫌悪していた吸血だが、不思議とフェン相手だと不快感がなかった。代償にフェンも吸血鬼としての性質を持つようになる。が、フェンを助けるためにはこれしか方法がないのだ。


 力を与えるための吸血。そして、力を取り戻すための吸血である。全盛期の三分の一も力は出ていないだろう。が、この不愉快な人形をバラバラにするには十分過ぎる。


 感情が昂る。ずるりと背中に翼を取り戻した。


 自身の魔力を広間全体に広げるようにするだけで、私の為の空間が広がる。


 黒い、黒い、黒い茨が全てを埋め尽くす。


「もしや貴様――上位種ガリアだと……!?」


そこらにいる雑魚を狩って悦に浸っていた者には分かるまい。かつて魔界の一部を支配していた上位種ガリアが、どれだけ恐れられていたのかを。


「フ、フフフ……。面白い……! 私が上位種ガリアを狩ったとなれば、これ以上にない功績……!」

「……笑って死ねるかもしれない貴様は幸せだな」


「苦悶のうちに死ね――……っ!?」


 私の戦いに派手なものは必要ない。大きな動きなども、私には似合わない。ただ――ただ、飛びかかってくる機石人形グランディールを指差すだけでいい。


「ぐぅお……き……貴様……!?」


 背後も、側面も、この広間の全てを覆った黒い茨が、私を護る鎧であり、敵を破壊する武器である。弛んだ茨を私と機石人形の間に落とし、それを張るだけでいい。それだけで、茨は機石人形の首へとかかり、そして巻き付く。


 空中で動けなくなった機石人形は、なんとか抜け出そうと、先ほどフェンを切り捨てた、あの魔法の刃で茨を切ろうとしていた。


「人形には苦しみなんて無いのだろう? 怯えの感情も無いのだろう? 血を流すことしかできない哀れな奴等め」


 誤って首を落としてしまえば笑いの一つでもあっただろう。だが、そんなことに付き合えるほど寛容でもない。まずは両腕を拘束した。そのあとは両脚だ。


 この茨は私の手足のように自由に動く。茨に囲まれたこの空間は、いわば玩具箱のようなもの。持ち主である私になされるがまま従う他はない。


 千切れてしまえ。

 五体を割いても怒りは治らないだろうが。


 茨を操る魔力をさらに強める。ギリギリと茨が引かれていく音がしていた。


「まさか……これほどとは……! ぐっ……ぎぎ……」


「痛みはあるのか? 無いなら汚い断末魔など不要だろう。自らの死をただ待っていればいい。抗うだけ無駄なのだから」


「貴様っ……! よもや我々から逃げ続けられると思ってはおるまいな……! どこまでも追い続けるぞ……! 上位種ガリアともなれば、“彼ら”だってやってくる……! 我々機石人形グランディールの頂点である、零世代の者たちが……!」


「――――」


 ゴキンッ、という小気味の良い音がした。身体の所々にある関節の外れた音だろう。首の骨もどこかで外れたらしく、言葉ももう発せられていない。ちょうどいい。いい加減、ギャアギャアと喚いているのが不快になってきたところだ。


 さらにギリギリと引かれる茨。すでに腕の長さは二倍近くまで伸びていた。すでに機石人形の表情は、喜怒哀楽のどれでもない。身体の内にある何処かの器官もボロボロになっているのだろうか。目も口も、限界まで開け広げられている。


「……私が死ぬときは、こんな無様を晒したくないものだな」


 誰かが傷つくのを見ていて気分が良くなることなどない。《血の系譜ブラッドノート》のうちの何人かは、そういう加虐嗜好にまみれたのが何人かいたが、私には最後まで理解はできなかった。


 目の前で限界が訪れ始めている人形を見ても、そこに違いはない。憎しみはあったが、そこに喜びなどは無かった。ただ、冷静であることに務める。魔力に満ちた茨は、鋼のように強く硬くなっていた。機石人形のいかなる武器でも、千切れることはなかった自慢の茨だ。


 ――張り詰めたのは茨ではない。機石人形の身体の方。


 ブチンッという音と共に、伸びきっていた腕や脚が千切れた。最後には限界まで伸ばされて細くなっていた喉も千切れ、宣言したとおりに五体を裂かれ、核となっている機石が宙へと飛び出した。


 もちろん、それを丁寧に茨で掴み取る。

 もはやどこから発声しているのか分からない声が、空虚に響く。


「ま、待て……! それを壊せばどうなるのか解っているのか? やめろ、消滅してしまう、やめろ……!」


 ――バキリ。

 硬いものが砕けた音がした。






 これ以上の追手が出て来る様子はなかった。そうなると、今度は静寂が広間を包み始める。何度見た光景だろう。真っ暗で、真っ黒で。視界が茨で埋め尽くされるこの光景を見るのは。蹂躙し、自分以外に立つものがいない、この光景を見るのは。


 静寂か。ほとほと飽きたこの感覚を“久しぶりだ”と感じたのは、他ならないフェンの存在があったからだった。執着。自分の命に対して、それがあるのも自分の中では意外だったが――それにも増して、命以外にも執着するものが生まれていたことに驚きがあった。


 ――フェン。死なせたくない。失いたくない。

 一緒に旅をしようと言ってくれた。

 何も知らないのに、必死に知ろうとしてくれた。


 たとえそれが同情というものだったとしても。

 私の中で幾分か救われたものがあったのは事実だった。

 助けてくれるというのなら、それに縋ろう。

 誰かに対してそう思ったのは、これが初めてだったのかもしれない。


 いつ新たな機石人形グランディールが現れるかも分からない。ここから逃げよう。誰にも知られることのない場所で、フェンの傷を癒さなければ。


 鎧を纏って少しばかり重たいフェンの身体だって、血に宿った魔力によって抱き上げることだってできる。血を吸ってしまった代償は、とてつもなく大きい。もしかしたら、フェンに恨まれるかもしれない。ヒトとして生きていた頃とは違うのだから。


「目が覚めて、吸血鬼ヴァンパイアになっていたとしても。お前は笑って許してくれるか……?」


 不死の身体で二人。

 世界中を逃げ回ることになったとしても、私は後悔しない。


 今度こそ、フェンに『おはよう』と言うために。

 私は翼を広げ、フェンと共に城から飛び立った。

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