第十五話 当たり前じゃない
『嫌だ、嫌だ――。こんなところで死にたくない。終わりたくない。誰か――』
――始めての“死”には、恐怖しかなかった。
突然の呪い、抗えない己の身体に絶望が頭を
目を覚めた時は、自分の不死性について初めて理解した。私が過ごしていた世界――この世界からは魔界と呼ばれていたが、そこはこの世界とは比べものにならないぐらい潤沢に魔力があった。
生まれ持った能力が強ければ強いほど、指数関数的に序列に差が出てくる。私に死をもたらす者など皆無だった。多少の傷を負ったところですぐに治癒する。他の魔物のように老いもない。この瞬間、初めて――漠然とした己が不死種だという感覚が、実感へと変わったのだ。
……だからこその安堵。解放。思わず涙を流していた。
この茨の中で、何日眠っていた……?
吸血鬼という種は私以外にもいたが、全くの同種は存在しない。少なくとも私以外には見たことがない。《何をされたら本当の死を迎えるのか》》が分からない。
……私が眠っている間に、その何かしらの対処をされていたら。自分がこうして蘇ることなどできなかったのだ。誰も、眠っている私に気が付かなかった。
『運がよかった――』
そう考えると、安堵から涙が零れた。
私は“また”生きている。死んでも大丈夫。――ではない。
死にたくない。死にたくないのだ。
情けないことだが、私は死を恐れている。
いかに不死性を持っているといえども、生物であることには変わりない。限界というのは存在する。それがこの世の摂理なのだろう。私が死んで眠りに就いている間は、流石の私といえども無防備なのである。
そこを狙われてしまえば、一たまりも無い。だからこそ、最後の力を振り絞って、
永遠の、永劫の、
知性もなにもない魔物でさえ、溶岩や毒の沼は本能で避けて歩く。言語を持ち、言葉を持ち、文化を持つ私たちだ。不死性によって時間が有り余るが故に、ことさらにそう言った“消失”について、深く考えたりもした。
いかに力のある
それが、私にとっては拷問のように思えた。
『……怖い。もし眠りに就いて、このまま目が覚めなかったら? もし、あの男が私を騙しているのだとしたら? 目が覚めて、誰もいなかったら。武器を構えた人間たちに囲まれていたら――』
――二度目の死では、次こそはという恐れがあった。
フェン・メルベニー。掴みどころが無くて、ヘラヘラしていて、何を考えているかもよく分からない男だった。何故だか私を恐れるようなこともせず、あまつさえ
ただの――人間が、私の苦痛を和らげようとしていた。
力が強いものだからこそ分かる世界がある。他者とは別の場所にいるのだという感覚がある。他人に心を許したことなど殆どなかった。魔界なんて弱肉強食の世界だ。争いがあり、別れがあり。裏切りだってあった。
何もかも、この世の全てに、いつかは終わりが来る。そこに在ったものが、無くなってしまう。私は何も期待してはいけないのだ。そんな絶望に浸食されながら、私は二度目の終わりを迎えた。だから――
『おはよう、リーリス』
不意に声をかけられたことに、驚いてしまった。
何も変わらなかったことが、ただそれだけのことが、奇跡のようにも感じられた。
嬉しかった。嬉しかったんだ。
――三度目は、死がひと時の別れでしかないことを教えてくれた。
いいや。“死”というものに対しての恐怖が薄れた、と表した方が正しいか。目が覚めた時に、誰かがいるという安心感。あの男はそれを、ただの“眠り”だと教えてくれた。それは対話が無ければ起こりえなかった変化だ。たとえ自分とは種族が違うものだとしても、意思疎通ができる相手がいる。そのことに感謝した。
ものを尋ねる、ということは、相手を理解しようとする第一歩だと、あの男は話していた。『おはよう』と言われたが、なんだそれは、と。毎度意味が分からなかったので尋ねてみると、それが目覚めた時の挨拶なのだと教えてくれた。
だから、もう眠るのは怖くない。
『おやすみ』は別れの挨拶ではなく、『また会いましょう』の約束だから。
次は『おはよう』と返すことができると、そう思っていたんだ。
だから――唐突に訪れた四度目の眠りの瞬間には酷く傷ついた。
騙された。裏切られた。信用なんてするんじゃなかった。
いつからこんなに私は丸くなってしまったのか。
望んでしまったからだろうか。知ってしまったからだろうか。
その――反動だからだろうか。
目が覚めた時に、こんなにも心が苦しくなったのは。
「……フェン?」
花びらがゆっくりと開く。
そこには、ところどころが砕けた黒い鎧があった。
いや、鎧を纏い――全身を血に塗らしたフェンが立っていた。
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