第十四話 『黒茨の騎士』

 もしかしたら、あの襲撃は夢だったんじゃないかって。


 そう考えたりもした。


 あの機石人形も、恐れをなして逃げ出したんじゃないかって。

 俺たちのことになんか、もう構う気はなくなったんじゃないかって。


 永遠にとはいかないが、まだ少しぐらいはこの城で穏やかな時間を過ごせるんじゃないかって。でも――現実はいつだって、甘くはない。


 その時は、程なくして訪れた。


 玉座から景色を見回しても伽藍洞。ただただ冷たい空気が満ちる大広間に、三つの人影が入ってくる。そのうちの一人は見覚えがあった。誰かを見下ろす気分ってのは落ち着かないな。俺が庶民の出ってのもあるんだろうけど。


「アンタたちが探している娘は、もうここにはいないぜ」


 玉座から立ち上がりながら、両手を広げて段となっている部分を降りていく。

 ほら、黒い茨はないだろう? ここにはいないんだ、と語りかけるように。


 向こうがリーリスの事情を知っているかは不明だが、それでどこかに行ってくれるならそれに越したことはない。一番マズいのは、眠っているリーリスを見つけられることだから。


「……やぁ。アンタが例の親玉ってやつかい。話が通じればいいんだが」


 その先頭を立っている男は、他の二人とはまた様子が違う。

 無機質さが薄いというか、口元に蓄えた立派な髭のせいか、人間のように思える。


「話などする必要はない。――まずはこの城を探すぞ。外に出ていたとしても、決して逃げられはしない。我々、機石人形グランディールからは」


「やっぱり、アンタも機石人形グランディールなんだな」

「第一世代の更に初期に作られた。少なくとも、他の個体よりは使命感をもって行動していると自負している」


 そういって右腕を掲げるように見せつけてくると、確かに間接部分が球体のようになっていて、まさしく作り物であるように見えた。義手でここまで精巧には動かないだろう。


「使命感……? 人を襲うのに使命感もクソもないだろう」

「私は邪魔な人間以外は殺さんよ。目的は魔族の殲滅なのでな」


『これとは違うのでね』と、髭の先を撫でながら嘲笑を浮かべる。

 同じ機石人形グランディールでも、何やら差があるらしい。


 ご丁寧にも、自分たちの目的とやらを説明してくれる。


「世界に仇なす種族。この世界を魔族の脅威から救う為に我々は“生み出された”。作られしもの、世界を浄化するための道具という自覚のもとに動いている」


「そりゃあ戦争で酷いことになったってのは知ってるが、それでも……魔族にだって善い奴ぐらいいる。一方的に殺すこたぁないだろ」


 ――あぁ、嫌だ。

 俺はこんなやりとりを知っている。


「魔族であることが既に罪。一匹たりとも残しておくわけにはいかない」


 ――嫌だ。嫌だ。


 前にも一度、こんな言い争いをしたことがある。

 その時は自分の上司に対してだったけれど、まるっきり同じだ。


 リーリスが眠ったままでよかった。きっとこいつらの話を耳にした瞬間に激高して飛び出してくるだろうから。そりゃあ怒るだろうさ、こんなこと言われちゃあ。


「あのさ。ナントカであることが罪、だとかさ……。残しておくわけにはいかない、とかさ――」


 そんで、不愉快なのは俺だって同じだ。


 あの頃はまだ、自分の怒りを表に出すことすらできないで、ただただ残酷な仕打ちを眺めていることしかできなかった。あの時、この手を動かしていたら。この足を動かしていたら、と。何度後悔したのだろう。


 もう、後悔なんてしたくないから。

 相手が何であれ、俺はこの槍を向ける。


「――俺がこの世で一番嫌いな言葉だぜ、そいつぁよ!」


 ――――。






 戦いにはそう時間はかからなかった。

 “親玉”には俺の槍は届かなかった。


 今は冷たい床の上に、瀕死の状態で転がされている。

 自分の身体から、血液と共に何か大切なものが失われていく感覚。


 こんな状況で、よく戦った方だよな、なんて情けないことは言いたくない。

 けど、無様過ぎるだろ、俺。何やってんだ。


「ハァ……ハァ……ハァ……!」


 自分の息が浅くなっているのが分かる。大きく息を吸おうにも、肺が上手く動いてくれない。全身が熱い。重たい。初めてリーリスを見た時には、あれほど鮮明に情景を移していた視界も、今では色を失いつつある。

 

 ……死ぬのか、俺は。俺たちは。

 こんなにボロボロになっちまって。

 まだ何もやりきってないのに。


 ぶっちゃけて言ってしまえば、俺はそんなに強くはねぇ。


 旦那だって、突き詰めてしまえばただの鎧だ。リーリスが直接操っていれば違ったのかもしれないが、元々与えられていた命令だけじゃ限界だってある。今ではその兜も胸当ても、バリバリに裂かれちまっていた。もちろん、動き戦える気配はもうない。


 ……怒りと、悔しさと、そして絶望と。


 大事な場面に限って失敗しちまう。結果を残すことができない。剣の腕も、なにもかも。こんな中途半端だったから……結局はこんなザマだ。俺の憧れていた、戦争を終わらせた“英雄”サマとは違う。


 そこには天と地ほどの差があるんだろうさ。

 そんな大層なものになれる程の器ではないんだろうさ。


 でも――


 世界を守るような力がなくたって……。

 誰かを守るぐらいのことはできたっていいよな……?

 それぐらいのことは、望ませてくれ。


「さて、遊びは終わりだ。吸血鬼ヴァンパイアを探せ。どこかに逃げたのだとしても、この城を探し終えてからだ」

「ハッ」


 いつかは見つかってしまう。

 そんな予感があった。


「旦那ァ……!」


 俺にだって……諦められないものだってあるんだよ。

 目の前にいるヒト一人ぐらいは……。

 彼女が安心して目を覚ませる日常を、護るぐらいは……。


「俺ぁ、こんな所で終わりたくないんだ。なぁ、アンタもそうだろう……!?」


 届け。届いてくれ。

 俺のこの感情、アンタだって同じモノを持ってる筈だ。

 たとえその鎧の中が空っぽだとしても。魂には刻まれている筈だ。


 旦那が失ったものは俺がおぎなってやる。

 だから旦那は、俺に足りないものを。


「俺が身体を貸してやるからさ。ほんの少しだけでいい。力を貸してくれ……!」


 鎧から見える光が仄かに強くなった気がした。


 肯定と受け取っていいのだろうか。

 ……いや、このままじゃ、二人とも終わりだ。

 そうなったら、誰がリーリスを護る?


 選択肢など、最初から無かった。

 これは……申し出じゃなく、確認だ。


 ズキズキと痛む身体を引きずり、なんとか鎧の旦那の元へと這い寄る。不安な気持ちは無かった。どうしても、やらなければならないという気持ちだけがそこにあった。


 所々が欠けて無くなっていた。その部分に関しては、身を守る防具としての役割を期待することはできない。こんな鎧で戦場に出ようものなら、気が狂っていると言われても仕方がないだろう。


 ――けれど、これはただの防具なんかじゃない。

 数日だけの短い時間だったとしても、共に戦った戦友そのもの。かつて誰かを護って散った、偉大な騎士の魂が宿っている鎧だ。


 既に俺たちは死に体。息も絶え絶えで、どれだけ動けるかも分からない。

 でも、だからこそ今なら機石人形たちの警戒から外れている。

 反撃するなら、今しかないんだ。


「――――」


 身に付けろ、と言われた気がした。


 一人で着用するのは骨が折れた。全身ボロボロの状態だったこともあり、地面に転がりながら。無理なものは諦めて、できる限り身に付けた。騎士団にいた経験が、自分を助けてくれるなんて、なんて因果なんだろうか。


 最後に兜を掲げたときに、ちらと中身が見えた。


 ともに戦っていた時に覗かせていた黒い茨は、いまとなっては影も形も無い。まったくのがらんどう。とはいえ――そうでないと、とてもじゃないが自分が着ることはできなかっただろうけど。


 その兜を被った瞬間――


「――――っ!?」


 兜の内側で光が瞬いた。どこから湧いてきたのか、鎧の内側が茨で満たされていく。全身を針で刺されているような激痛が襲ってきた。真っ白になる意識の中で、たくさんの人の記憶が流れ込む。……この城にいた人たちのものだった。


 幾つもの、幾つもの出会いと別れ。

 俺が経験してきたものよりもずっと濃い。

 喜びと、信頼と、忠義と、決意を。

 悲しみと、怒りと、喪失と、後悔を。

 全てをこの身で受け止める。


「俺も漢だ。アンタたちの全て、受け止めてやるぜ……!」


 ――――。






 視界が、違う。身体に宿った活力が違う。

 万全とは言えないが、空っぽじゃないだけ大違いだ。


 立ち上がると、自ずとまだ身に付けていなかった下半身部の鎧――ももあてやらが身体を覆い始めた。……流石に鉄靴は自分で履かないといけなかったが。


 それでも、この感じは昔の戦いの記憶を思い出す。


「おや、先ほどとは様子が違うな」


 それは自分が経験したものでもあり、またそれとは別の、鎧に宿っていた多くの騎士たちの記憶だった。魂が叫んでいる。護るべきものを脅かす、敵を倒せと。


 蕾に包まれる前の、彼女の様子を見て。

 あの時の涙の意味を理解したんだ。


アイツリーリスは一人で怯え、震えていた。それをあと何度繰り返せばいい。誰が彼女を救ってやることができる? 彼女が安心して眠り、再び目を覚ます。これだけは、誰にも邪魔はさせない」


「……何だ、お前は?」

「一度だけ教えてやる。……忘れるなよ?」


 今なら言える。胸を張って言える。

 かつて自分が憧れていたものに。

 いつしか、その形を忘れかけていたものに。


 いざ自分がそれになった時は実感が湧かなかったものだ。ただ名前が嬉しくて、名乗っちゃいたが、それは真の意味では決してなかった気がする。


「俺は――」


 この姿が、本当になりたかった自分の姿だ。

 今こそ名乗ろう、“騎士”の名を。


『――“黒茨の騎士”』

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